米留学中の残念な大学4年生

米留学中の残念な大学4年生

せっかく留学しているのにいまいちパッとしない、残念な留学生活を赤裸々に綴ります。週に何度か更新。(していたこともありましたが今はモチベ無)

コメントいただけるとモチベになります。

留学最終年になりました。一年生の頃に始めたこのブログもついに四年目に突入したのかと思うと感慨深いこの頃です。最近更新することを完全に失念していたとは口が裂けても言えません。

 

皆さんはニュースをご覧になっておりますでしょうか。総裁選やトランプの暴走、話すことはごまんとありますが、今日は数多あるニュースの中でも私の気に障った、群馬県草津町長の冤罪について話そうかと思います。

 

 

ニュースの概要としては2019年にとある草津町議会議員が町長にわいせつ行為を強制されたとインターネットにして突如暴露、真偽の程が不明なまま6年が経過、その歳月の間に町議がこの告発が「嘘」であったと自白、今年に入り裁判が終了、判決として被告の町議に執行猶予つきの判決が下されたものです。

 

この事件で恐ろしいのは、犯罪、殊更性犯罪においては被害者の声が非常に大きく取り上げられ、いとも簡単に負のレッテルを貼られ、真実が明らかになる数年の間、決めつけられた「容疑者」はただ「耐える」ことしかできない、という恐ろしい実態です。

 

無から「犯罪」を作り出し、そしていないはずの「容疑者」が多くの人から機銃掃射のように誹謗中傷を浴びる。いわれもないこととはいえ、当時の世論としては少なくない人が町長を「犯罪者」と決めつけてネットで町長と草津町自体をそれぞれ「権力にものを言わせる大悪党」「そんな性犯罪者が統治する街」とネガティブな言葉を浴びせられ続けました。

 

結果として町議が自ら嘘を自白し、判決として町議の「悪」が裁かれたからこそまだよいものの、場合によっては「痴漢冤罪で人生を棒に振ったリーマン」のように「人生が終了」していてもおかしくありませんでした。

また草津町もありもしない犯罪のせいで「犯罪に甘い街」と誹謗が止まない状況に陥っており、当時の役場や町民の心持ちはとても想像できません。

 

あれだけ世論に影響を与えた嘘に「執行猶予」がついた事には正直驚きが隠せませんでしたが、ツイッター上の法律に詳しい方(自称)曰く「あの罪名で懲役自体がつくことが珍しく、とても重くとらえられての判決」との文を読み、そんなものなのかとどこか残念と思いつつも法律の限界であるといわれて腑に落ちるところもありました。

 

私個人としては男性という「弱者」であるため、どんな人にも「猥褻冤罪」をふっかけられてしまうという事実に恐怖し慄いているところです。

 

一刻も早くこういった冤罪が疑われる際の「推定無罪の世論」、また冤罪だった際に嘯いた者への裁きがより重くなってほしいと思うこの頃です。

ご機嫌麗しゅう、夏季インターンの選に漏れること50はくだらないでしょうか、終わる事のなき戦を前に、「数か月で決着がつくだろう」と予想しながらも結局は終わりの見えない塹壕戦に派兵されていった第一次世界大戦時の若者の気持ちに自らをかぶせているカミゴリです。

第一次世界大戦はなぜ始まったのか―負の連鎖と総動員―

(一次大戦で見送られるドイツ兵)

さて、暫く自宅に帰れていない私の「防人歌」ならぬ「防人ブログ」を編むこととしましょう。

 

先日普段通りYoutubeを適当にネットサーフィンをしていた時の事でした。本牧の「アド街ック天国」の録画されたものがありまして、そちらを何の気なしに観ていました。

 

本牧という街は、米軍抜きには語れません。戦後は多くの土地が米軍に接収されており、米軍兵並びに彼らの家族が多く住む街だったといいます。現在のヨコスカや沖縄の米軍基地のようなものなのでしょうか(接収地の返還の暫く後に本牧付近に越してきた者としては想像すらつきませんが...)。

 

勿論戦中にお住まいで、無理くりに土地を、しかも昨日まで鬼畜米英として憎むべき対象として教わっていた米軍に召し上げられた地主の皆さんの心意気といったら計り知れない部分もありますし、昭和の終わりから平成にかけてそれらが返還された際の喜びなぞはひとしおだったこととお察しします。

 

とはいえ一時期はアメリカの文化に触れやすいエリアだったことも事実です。軍人の駐在がアメリカンなレストランやお店を誘い、またそれによって本牧という街自体にブランドがあったわけです。

横浜・本牧】本牧通りの桜2012: ちょこっとカフェブレイク

そしてバブルが醸成され、はじける頃にこの街はピークを叩いたのでしょう。マイカル本牧はアパレルから食事処から映画館までが揃い、ディズニーストアの一号店が産声を上げたのもHonmokuだったわけです。新山下には大箱のクラブやディスコがあったと母親も回想しており、正直現況からは想像もつかないほどハイカラな街だったんだろうと思います。

マイカル本牧(オープン時) | 本牧グラフィティ"HONMOKU GRAFFITI"

(今の本牧イオンしか知らない砂利からすると嘘のような写真です...)

さて、現在はといいますと。

マイカルは経営不振によりイオン系列となります。映画館もディズニーストアも閉鎖され、旧マイカル近辺にいる若者はブックオフとその隣のゲームセンターではしゃいでいる小学生のガキンチョだけで、ハイカラな若者は横浜駅近辺にしかいないことでしょう。

 

新山下の大箱クラブは現在は「モンベルしんやました店」として老人に杖や登山靴を売りつけています。面白いのはきっと今のモンベルの客層はバブルのころに若者だったような人で、当時は腰を振っていた場所で今は登山のストックを振っているということでしょうか。

Facebook

モンベル 横浜しんやました店|モンベル

(居抜きだったんですね、今回検索するまで知りませんでした(笑))

 

最近になって私も(本牧に近い地域の)横浜市民になったわけですが、当時の本牧も体験してみたいな、と生まれていない頃のHonmokuをどこか羨ましく、懐かしく思う今日この頃です。

 

カミゴリ

大した話ではないんですが、「ヴ」っていう発音の文字がありますよね。

ローマ字にすればVUと表記されるこちらの音ですが、私にとってはどうも違和感があります。

 

「あ゛あ゛あ゛」と表記された場合、皆さんはどんな音を思い浮かべるでしょうか。

皆さんは「あ」の口をしながら、それが少ししゃがれたような、だみ声のような響きが加わる音ではありませんでしょうか。

 

「あ、い、え、お」の他のア行の平仮名においても同様かと思います。

そう、う゛を除いて。

 

「ゔ」、「ヴ」というと「グルーヴ」や「ヴァチカン」のように、突然VUという音になるんです。

 

これをもって日本人は、一つの発音を失いました。

「ア行、う段の濁点音」の発音を、です。

 

例えばなんでしょう、とある泳げない海賊の少年が、自身が疲労困憊の中で三刀流の剣士を肩に担いだとします。すると、彼は

「ウ゛ラ゛ア゛ア゛!!!」と言ったとしましょう。(オラーかもしれませんが)

 

これでは、Vの発音が気になる人、にも受け取れてしまいます。

 

やはりこういった際にVUにもUにもなってしまいます。

 

やはりこういった混乱をなくすためにも、日本人はVは半濁音で表現し、

「ア゜イ゜ウ゜エ゜オ゜」で表す時代が来たのかもしれません。

 

カミゴリ

性的に惹かれた人に恋人や配偶者がいると発覚した場合、恋心を抱いた者はどうするのが正解なのでしょうか。

 

先日椎名にドタキャンをされた話はしたかと思いますが、その後に椎名から改めて「当日は風邪(笑)で携帯を見ていなかった、年始にリスケさせてくれ」との連絡が来ました。

 

ほう、風邪(笑)ねえ。まあ返信を寄越したことは部分点くらいの価値はあるのでしょうか。まあ頭がピンク一色のワタシには判断がつくわけもなく、とりあえず性欲の赴くままに次の予定を決めました。

 

学ぶこともなく、前回同様に横浜駅で集合。するとなんともカジュアルな服装で佇む女子が。

 

英語にはTime fliesという言葉があります。時間が飛ぶ様にすぐに過ぎるという意味ですが、今回もまさしく時間が「飛んで」いきました。

 

私の脳内食べログで「油っぽさ」を極限まで落としたレストランを探し、その中で印象が良かったスープカレー屋にしました。そして視覚による補正が働いてミシュランクオリティになったスープカレーをチビチビと食みつつ、世間話をしました。

 

ここで「私は会計直前にお手洗いに行く」という港区女子の様なムーブをしてしまいご馳走になってしまいました。私が女々しい?ノンノン、彼女が男勝りなだけです。

嘘です。色眼鏡抜きでもレディーです。私が悪うございます。

 

さて、軽くご飯を食べ、ここで解散かと思いきゃ、そのあとに色々と一緒に回ってくれたのです。今よ~く考えればあの善意というのは「ドタキャンの埋合わせ」であることは一目瞭然なのですが、当時の私はそんなことは考えられずにただゝゞノーテンキでした。

 

さて、このブログの序文。

 

そうですね、もうお察しだと思いますが、埋め合わせ回のあとに私が弛まぬ努力でもう一回会う時間を設けてもらうことに成功しました。

 

さて、ここで私としましては、今夜がヤマだという気持ちで心を決めて臨みました。

 

家で夕食を済ませたあと、京浜東北線で西方へ向かいました。夜に駅で待ち合わせると、同じように佇むレデ(略

 

アルバイトの最寄りから直接来た際に何も食べなかったらしく、お腹が空いているとのことで(コンビニ飯食べるくらいの時間はあったような気がするがなぜ?奢ってほしかった?)、居酒屋で軽く突付くこととしました。

 

そして話は彼女の姉についてになり、姉が彼氏とそろそろ結婚するのではという事について訊いていると、いつのまにか

「いやでも今度また転勤で遠距離になっちゃうから」

と、成人済みで日本で就労している姉の話とはとても思えない状況に。

 

うげ、訊く前に「聞いて」しまったぁ!!!

 

その後はどんな会話をしたかは正直記憶が定かではありません。「意図せずに」スローペースになった心臓を隠すのに精一杯で、ただ脊髄反射で口が喋っていた気がします。

 

恋人がいる人に交際を迫る事は罪なのでしょうか。十戒によれば「姦淫してはならない」という項目がある通り、交際相手の事情を故意ではないにせよ知っている以上、それは姦淫を幇助するに近しい行為にはなってしまうかもしれません。

 

しかし私は一度きりの人生を生きているわけで、別に違法でも脱法でもない告白というのは倫理的には問題がないというのも事実で、非常に悩ましいです。

 

Chat gptに訊くとこう返ってきました。

 

この状況での行動は、他者への配慮、相手の選択の自由を尊重すること、そして自分の動機を省察することが鍵になります。「姦淫してはならない」という教えは、相手との信頼と誠実さを守ることを中心にしています。もしあなたの行動がこれらの原則を尊重し、誠意をもって行われるのであれば、必ずしも十戒に反するとは限りません。ただし、その道のりは慎重かつ思慮深くあるべきでしょう。

 

なるほど、私は思慮深いとは思えませんし、無理か。

 

いやあ、言い方は下品ですが

「こんな上玉をエラーしてしまうか」

という気持ちでいっぱいです。

 

切り替えるしかありませんね…

 

さて皆さんはどんな年始をお過ごしになりましたでしょうか。

 

私は年度初め頃に祖母が膵臓癌で逝ってしまいましたもので、この年始は少し家も静かでした。

 

また今年は3回ほどスキーにも出向く事ができました。富士見パノラマ、湯の丸、高峰と中央と上信越沿線には大変世話になりました。

 

またそれ以外でもそれなりの数の友人や親戚と会うことができました。そういった意味では実りのある「日本式の暮れに正月」だったといって差し支えないでしょう。

 

さてそんな幸せな私の正月でしたが、「少し大きすぎる幸せ」が「不幸せ」を背負ってやってきました。今日はこの事の顛末について忘れないように文字に起こしておきたいと思います。

 

さて、この物語の始まりは私がヨーロッパから帰国してすぐの頃にありました。以前話題に上げた女子「椎名」との会合の予定を決めようというものでした。

 

ここで少しばかり椎名についての情報をまとめます。

- 一つ上

- 高校の頃に椎名家に短期のホームステイをさせてもらいお世話になった

- モデル級に可愛い(色眼鏡抜きで)

- お父さんがいかつめのアメリカ人

- お母さんは日本人

 

こんな感じで、私からするとだいぶ高値の花感のある娘ではありまして。

 

そんな人と久しぶりに連絡をしまして、12/28に昼を一緒に食べようと言うことになりました。

その連絡を受けたときは小躍りするような勢いで、とにかくこの日が楽しみで楽しみで仕方ありませんでした。

 

実は当日のわたしが家を出る前にも、ネガテイブな前兆はありました。当日朝にこちらが家を出る際に連絡をしても全くうんともすんとも反応がありません。あれ、嫌な予感が、と思いつつもひとまず集合場所に向かいました。

 

それから5分が経ち、30分が経ち、1時間が経ち、2時間が経ち、結局いくら待っても、彼女は現れることはありませんでした。電話も何回かかけてみたものの結局当日に返信が来ることはありませんでした。

 

どんでん返しがあるとも思っていない私は、非常に憤りを覚えていました。

 

続く