桶狭間の戦いの前に、織田信長は「人生五十年」との言葉を唄として編んだと言われています。それから数百年が経過し、人生百年時代となりました。

 

どうもこんばんは、カミゴリです。今日は少し抽象的な話をします。

 

皆さんは、なぜ生きているのでしょうか。

 

(ネットでちらっと見ただけですが)卒寿あたりの高齢者にとっては「生きている」というより「まだ死んでいない」だけだ、とおっしゃったインタビューを見たときに、面白さと同時に若者や中年にとって「生きている」とはどういった定義で、何の為に生きているのでしょうか。

 

昨期の哲学の授業で学んだことの一つに、人の生きる目的は幸福である、という説があります。確かに痛みとは苦であり、人は生まれながらにして苦しみを減らす、すなわち幸せな方へと自らを導こうとする、という論理です。それも一理ありますね。

 

私は、「人生とは死ぬまでの暇つぶし」というパスカルが言ったとされる言葉が好きです。ただ暇をなくすために学び、遊び、休むわけです。

先日終了した六週間のインターンの際にも、同じようなことを思いました。ただ家でぼーっと何もせずに親のスネを齧っているよりは、少し外界に頭を出し、働くとはどういうことかを学ばせてもらう。まさに「暇つぶし」ですね。

 

インターンは都内の中途の人材コンサルで行いました。父親の知り合いということもあり若干の渋々で始まりはしたものの、エクセルを弄り、パワポを作り、AIでライティングをし、たくさんのメールを書き、時には通訳業務をも行いました。どのタスクも学校にいては中途半端にしか行うことがないため、こういった機会に集中して行えたのは誠に光栄でした。「暇つぶし」が(想像よりは)面白く、それでいて自らの血肉となったことは非常にありがたいですね。

 

まあ私が唐突にブログを書いたのは上記の「くだらん前座」の為ではなく、マッジで久しぶりに淑女と飯を食らう機会を賜りまして、それで心此処に非ずな状態をどうにかアウトプットして平常化しようとした結果としての執筆です。

 

まあ以前から何度か話題には挙げさせてもらったアレですが、まあ可愛いんですわ。この世に肖像権がなければ皆様にご賛同いただける証拠をご紹介するのですが。誠に遺憾です。正直向こうを凝視しているとこっちの心を盗られそうで、最早これがハニトラでもひっかかってもいいや、と思えるほどでした。

 

それでもって夜ご飯をかっ込んだあとはサワーを片手に近所を徘徊、彼女の影の部分の話を真面目に聞いたり、それぞれが両親を愚痴ったりと、言ってみれば「下らない」ことを時計も気にせず語らい合いました。

 

幸せな時間というのは一瞬に感じるものですね。結果的にはトータルで4時間ほど喋っていたわけですが(今指を折りながら数えていて魂消ました)、学校の授業の2コマよりも長かったとはとても思えません。

 

暇つぶしとしては少し都合が良すぎましたね。この「夢」からはとてもですが冷めたくないですな…

 

皆さんも是非楽しい「暇つぶし」を探してみてね!!

 

カミゴリ

皆さんはいかがお過ごしでしょうか。お久しぶりです。カミゴリでござい。

 

私は5月に帰国し、それ以降は6月終わりまでは自堕落な日々を送り、紆余曲折の後に父の知り合いのところで無給インターンを拝命、労働に勤しんでおります。お財布が最近の天気くらいホカホカになることはこの夏はないでしょう。あれ、目から汗が止まりません。。。

 

さて、今日は色々話すことがありますね。都知事選、トランプ狙撃、男子60kg級の永山選手の誤審、高校野球の千葉県大会の決勝での疑惑の判定など、話せと言われたら無限に話せます。ですが久しぶりのタイピングで吐き気がするので今日は全く関係のない『鉄道』について軽く触らせてもらいます。

 

さて、最近よく思うことの一つに、都市と鉄道の関係があります。正確に言えば、都市と『公共交通手段』の関連でしょうか。

 

かつては江戸の主要交通手段には水運がありました。ですから川沿いや海沿いの都市は発展していったわけです。

しかし現代において、関東の都市の中心は鉄道です。まあ一部地域は高速道路も主要な手段ですが総じては鉄道かと思います。

 

都市が生き物であるならば鉄道とは『血管』です。そこを我々『赤血球』が往復をし、労働に勤しむわけです。日本の血管は少し良くできすぎていますから、不整脈が起きれば体は困惑します。

 

私がインターンで毎日乗車している湘南新宿ラインも、宇都宮線での数分の遅れが災いして横浜発の上り線も絶えず遅延しています。

 

私のような怠惰な者は、遅刻ギリギリの時間に家を発ちます。会社に到着するのは、始業の実に2分前とかです。まあ出社前の一服を減らせと言われたらぐうの音も出ませんが、とにかくギリギリのスケジュールで出社を予定します。

 

ですが私よりも怠惰な湘南新宿ラインは、なかなか回復運転を行いません。結局朝の一服は叶わず出社の羽目に合うのでした。残念。

 

 

長文の書き方を忘れました。あとは今朝の芝刈りで指の筋肉を持っていかれたせいでこの煩わしさを早くどうにかしたので、今日はここらへんで。ほなまた

 

カミゴリ

もういくつか寝ると日本です。睡眠のスケジュールも崩壊しているため、具体的にあと何回寝るかは神のみぞご存知です。

 

少し前ですが、祖母が逝去しました。傘寿を迎えてひと月ほどでしょうか、最後は緩和ケアの施設で引き取ったそうです。

 

私が最後に面と向かって喋ったのは私が日本を発った1月中旬でしたから、あれが最後だったのか、と今思うと随分と呆気ない別れだったと回帰しているところです。

 

私は2019年に逝った曾祖母がおりましたが、彼女が私にとっては初めての『親族の別れ』でした。ですが卒寿で数年間老人ホームで過ごしていた彼女がこの世を去ることは皆が理解していましたし、覚悟ができていたというのもあり、もどかしさは覚えませんでした。

しかし此度は1月の下旬にステージ4の癌が発覚し、トントン拍子で体調が悪くなっていきましたし、覚悟はあまりできておらず、そして気がついたら母からの報せが入っていました。

 

とはいえ発覚後もビデオ通話や通話を何度もできたわけで、肉声を聞けただけでも御の字です。これが半世紀以上も前であれば『ソホキトク スクカヘレ』という電報を受け取るだけに過ぎなかったわけです。そして慌てて荷物をまとめて客船を乗り継いでも着く頃にはすでに49日も終わっていたりするかもしれません。そういった意味では非常に恵まれていることには変わりません。

 

私は実は頻繁に学校が開くミサ(カトリック)に赴いています。土曜日以外の週に6日は毎日二回開かれている礼拝ですが、極力水日以外は足を運んでいます。そこで一日のうちの少しの時間でも神様に相対し、彼女が無事に天国に迎え入れられるように願っています。勿論私がそれを祈ることで審判の結果が変わることはないかもしれません。ましてや死後の審判も存在するかもわかりませんし、魂だってあるかはわかりません。

 

ですが、それは最後に挨拶を交わした時に軽く『また夏ね』と言ってしまった自分の懺悔と、せめてもの罪滅ぼしなのかもしれません。

 

お祖母様が無事に天国に招き入れられ、曾祖母や私のご先祖と再会を果たし、生きている我々を空高く見守って下さいますように。末永く平和にお眠り下さい。

 

カミゴリ