何故私が痛みがあっても前向きなのか④完 | どんな時も~身体表現性障害/線維筋痛症から立ち直ったブログ~

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2012年に身体表現性障害(疼痛性障害)、線維筋痛症を発症
現在の痛みは1割程度
共存しながら、幸せな日々を送っています。
過去のこともたまに振り返りつつ、ありのままの現在の私を綴っていきます。







どんなに周りが支えてくれて、環境が良かったとしても、自分自身の心が前を向いていないと前に進んでは行けません。



最初の主治医に「治らない」ときっぱり言われ、その瞬間診察室で顔を歪め、子供のように泣いて、死にたくなったのを覚えています。



でも、今なら分かるんです。
この病気の治療のスタートとは「痛みと共存することを受け入れること」
だから、そう言ったんだと



そして、それが寛解への一歩でもあること



でも、私もそんな簡単に受け入れられませんでした。



受け入れられるようになったのは、痛みがあっても支障なく日常生活を送れるようになってからです。



その段階になるまでは『絶対完治させて、痛みのない生活に戻る』と心に誓っていましたから



でも、その想いも本当は心を前へと向かせてくれていました。



「痛い辛い苦しい」で終わらず、「痛い辛い苦しい…だけど、絶対治ってみせる」と思っていたからこそ、前向きに考えることができました。



それに、痛くても、辛くても、苦しくても、面倒くさくても『完治させる』為の取り組みを続けることができました。



この病気は人に任せるだけの治療(薬物療法、ブロック注射、鍼治療、整体など)だけでは軽度の人を除いて絶対に良くはならないと思います。



自分自身でも運動療法、食事療法、精神療法…できる限りのことをやったからこそ私はここまで回復しました。



この中で一番大切なのは精神療法だと思いますし、痛みがあってもできることだと思います。



心の安定が痛み改善へと繋がります。



私は自分が不幸な人間だと思っていましたが、毎日寝る前にノートにその日あった嬉しかったこと、楽しかったこと…小さな幸せを探し、時には捻り出し、そして、感謝の気持ちを書いていました。 



「痛い」と言ってしまったら、「痛くない」
「辛い」と言ってしまったら、「辛くない」
「大丈夫」と唱えてみる。



心はもちろんマイナスな感情でいっぱいで、まったく思ってなくても無理やりにでも少しずつプラスの言葉で上書きさせていました。



あとは説明不要だと思いますが、感謝すること



こんな簡単なことをやっていました。



悪循環のループにはまってしまった時自分自身でどこかで断ち切ってあげなくきゃならない…



もちろん、断ち切れるようになったのはカウンセリングに通っていたお陰もありますが、それに足して自分自身でも努力したからだと思っています。
あまり『努力』という言葉は好きではないのですが、なんと表したらいいのか言葉が見つからない。






長々と何故私が痛みがあっても前向きなのか書いてきました。



結論から『今よりも少しでも良くなりたいという想い』『自分自身の力でも自分を治していこうという想い』を持って、『それに伴って行動すること』で身体的にも精神的にも余裕が出てくるからだと思います。



そうなってくると、苦しい時には周りの支えの有り難さに気付けていなくても、見えてくるものがきっとあると思います。



どうか、今現在痛みと戦っている方々が少しでも前向きになって一歩ずつゆっくりでも、例え一進一退だったとしても、前へと進んで行って欲しい─



ここまで読んで下さってありがとうございました。