1. たどりついたらいつも雨ふり
作詞:吉田拓郎 作曲:吉田拓郎
2. 大江戸冒険譚
作詞:つのだひろ 作曲:加藤和彦
3. いつか
作詞:猪野佳久 作曲:岩沢幸矢
4. マイ・ホーム
作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一
5. 母さんまっ青
作詞:鈴木ミキハル 作曲:星勝
6. くるまとんぼ・アンドロメダ
作詞:及川恒平 作曲:小室等
7. あるがままに
作詞:左真樹 作曲:杉田二郎
8. ねえ、ちょいとそこゆくお嬢さん
作詞:遠藤賢司 作曲:遠藤賢司
9. 当世少女気質
作詞:泉谷しげる 作曲:泉谷しげる
10. 窓をあけろ
作詞:井上陽水 作曲:井上陽水
11. もう、いやだよ
作詞:鈴木ミキハル 作曲:星勝
12. 輪廻
作詞:伊藤アキラ 作曲:かまやつひろし

Originally Released July 5, 1972

僕より上の世代は、The Beatlesの話を嫌がる。
いつまでもThe Beatlesの話なんかしていないで、
他のものに目を向けろという。
ご丁寧に、「The Beatlesの音楽は素晴らしいよ」という
枕詞をつけてだ。
いつまでもThe Beatlesの話をしている人は、
素晴らしいなんて言わない。
真っ赤なリンゴをわざわざ赤いねとは言わない。
皮を剥いて齧るだけだ。

僕は1972年の8月生まれで、つまりモップスの
このレコードが出た1ヶ月後に生を受けてしまった。
お袋が胎教に、「たどりついたらいつも雨ふり」を
聴いていたとは思えないが、そういう時代を
身に纏って生まれてきたのは間違いない。

そういう時代とは、グループ・サウンズのブームが去り、
はっぴいえんどが開けた扉の向う側に待っていた世界のこと。
少し抽象的な言い回しだが、中津川で行われていたこと、
はっぴいえんどや吉田拓郎、井上陽水、ユーミン、
それにRCサクセション‥そういう人たちが横にいる
空気を吸って、今の僕があるわけです。
その橋渡しにモップスがいたわけだけど、
実はモップス自体が扉だったのだなぁ。

 

 

72年7月にリリースされた『モップスと16人の仲間』は、
吉田拓郎、井上陽水、小室等、遠藤賢司、忌野清志郎、
泉谷しげる、加藤和彦、かまやつひろしら錚々たる
顔ぶれが、偉大なるモップスのために曲を提供し、
モップス自身も「母さんまっ青」と「もう、いやだよ」を
携えて、この大傑作アルバムを作り上げました。

はっぴいえんどに「いらいら」という歌がありますが、
鈴木ヒロミツのひしゃげた声は、
いらいらしたこの時代そのものです。
ジャズでも、例えばバリケードの張られた
大学の教室で山下洋輔さんが演奏したとか、
しかもその目の前で学生たちがケンカしたり、
瓶を投げてきたり‥そんな時代ですよ。

しかし1972年辺りになると、少し様相が変わってくる。
丁度、浅間山荘事件のあった年ですけども。
「あぁ このけだるさはなんだぁ」というフレーズは、
燃え盛ったものが次第に冷めていく様子を表しているし、
ユーミンのシニカルで苦味の利いた歌は、
『タクシー・ドライバー』よろしく、ニヒルな時代が
やってきたことを冷静に物語ってもいた。

加藤和彦さんと角田ひろが書いた
「大江戸冒険譚」はサディスティック・ミカ・バンドの
「サイクリング・ブギ」と同時期の曲。
「当世少女気質」は泉谷。
驚くべきはやはり忌野清志郎「マイ・ホーム」で、
これは作曲者のクレジットに肝沢幅一という
ペンネームが使われてますが、
実際は詞も曲も清志郎自身によるもの。

『ジャックスの世界』もそうなんだけど、
早川義夫さんもモップスも、石を投げると、
その飛距離が物凄く遠くて、
しかもその着弾時の衝撃が半端じゃない。
「鈴木ヒロミツが歌わなくなったのは犯罪」とは、
渋谷陽一の名文句。