占いって、信じますか?
私は、割と信じる方…の、様です。
あたる、と言うより、あの微妙に漠然とした、どうとでも取りようのある言葉を考えるでもなく、
あ、あのことかしら、
と思う時点で、自分が今、何を気にしているのか、気になっているのか、
気付いてしまうから。
逆に、これはどうなるのかしら、こうなるのかしら…
そんな風に思い悩んでいると、妄想や願望が入り混じりになって、
絶望が恐い故の防波堤であったり、
自分自身への虚栄心であったりでな~にも腑に落ちない。
直感を掘り下げるのはいい。
場面、場合を想定するのもいい。
感情に縋りつくと泥沼になる。
段々、ドウブツ的になってきました。昔は泥沼で足を取られて毎日疲れ果てていたような気がする。
昔は太もも、腰、胸まで泥に埋まって、しまいには立ってられなくなってしまいには鼻も口も泥で塞がれてしまうような泥沼だったのが、
最近はくるぶしまでで済んでいるような気がする。
自分のシグナルが判るようになったのかもしれない。
なにか、小さな、忘れものをする。
注意力が散漫になっているから、大事なことは伸ばすか、時間をたっぷりとって慎重にする。
人にものを頼むのも、失敗するよりはと躊躇わない。
その為には、人と率直な言葉で付き合えるように、普段から心がける。
そんな当たり前のことが、意地や慢心で出来ないのが若い頃。
…傍目八目といいますけど、人のことを占うようになってから、そんなことに気が付き出した。
占いブームの中、自分たちでも占えたらいいね、なんていいながらはじめた占い。
手札を捲り、象徴的な言葉が目の前の友人の何に結びつくものなのか、一生懸命考えるうちに、相手のことをよくみるようになった。
占いはその人の中の何かに気付く手伝いなのだと、(霊的な能力のある占い師派また違うのだろうけれど、)そう思うようになった。
占いで病気を直すことは出来ない。
でも病気に向かい合う心構えをする手伝いはできる。
自分の中の不安を暴いて、
それを克服する為の準備をする。
今の私の中の不安は何?
気付くのが恐いから気付かない。
そのままでは、いつかはそれに捕まって身動きが取れなくなる。
自分をみる勇気が足りない時、手伝ってくれるもの。
手札を見て、ふと、ありがとうね、としみじみ思った。
だからちょっと、書いて見たくなった。