私が彼に会ったのは、京都から帰宅した正にその時だった。
「あ、お帰り艶花」
思いがけない人物の出迎えに、旅の疲れも一気にどこかへ吹き飛ぶ。
「…………翔太くん?」
「お帰りなさい。……京都はどうだった?」
「ただいま、お母さん。……どうしたの? 翔太くん。もう帰省してきたの?」
「うん、そうなんだけどさ……あ、先に荷物置いてきなよ」
お母さんからも「そうしなさい」と言われて、私は自室へ向かった。
記憶が全て戻ったことは、秋斉さんと過ごした日の夜に電話で両親に伝えていた。二人とも安心し、すごく喜んでいたけれど、やはり土方さんがいないことがその喜びに影を落としているのは電話でも感じられた。
「──お待たせしました……」
着替えてリビングに戻ると、これから準夜勤らしいお母さんが出勤の準備をして出掛けようとするところだった。
「あ、仕事? 行ってらっしゃい」
「おばさん、気をつけて」
「はい、ありがとうね。艶花ちゃん、帰って来たばかりで悪いけどお留守番お願いね。戸締まりちゃんとして。──翔太くん、久しぶりだしゆっくりしてってね」
そこで私は、あっと思い出して声をかける。
「お母さん! お土産の宇治抹茶プリン、冷蔵庫に入れとくねー!」
はいはーい、という明るい返事を残して、お母さんは出て行った。
そうして二人きりになると、本当に久しぶりの再会に何とも言えない沈黙に包まれる。
「──あのさ」
「えっ?」
我知らず声が裏返り気味になったけれど、翔太くんは気にも留めずに言葉を続けた。
「えっと、おばさんから聞いたよ。その……秋頃に交通事故に遭ったって」
うん、と頷いてから、翔太くんは私が記憶喪失になったことや土方さんが出て行ってしまったことまで知っているのだろうか、と考える。知られて困ることはない筈だけれど、知っているとすれば何となく気まずくなりそうな気がした。
「大きな怪我はなかったらしいけど、もう体は大丈夫なのか?」
「うん、大丈夫……ありがとう」
そう言いながら、翔太くんの向かいのソファに腰を下ろす。
「そっか。災難だったけど、もう元気になってるんなら良かった」
そのまま目を伏せて、彼はさりげなくこう続けた。
「記憶喪失になってたって……?」
「うん……」
「それから、土方さん、が……いなくなっちゃったって聞いたんだけど」
ああ、そこまで知っているのかと、私は小さく息をつく。
「そうなの」
翔太くんは気遣わしげな視線を寄越してから、きっぱりした口調で言った。
「あの人のことだからさ、きっと何か理由があるんだよ。それも、あの人にとっては深刻な理由なんだと思う。お前と一緒にいられないと思うような」
秋斉さんとの話を思い出し、私もこくりと頷く。
「だけどさ、相変わらずだよな。一人で考えて、一人で行動しちゃう。理由はあるんだろうけどさ、それをちゃんと説明してくれたらいいのにな」
「そうだね……」
土方さんが姿を消した理由が秋斉さんの言ったことに近いとしたら、そのことに関する記憶がない私に説明しても余計に重荷になると考えたのかもしれない。
「探してるんだよな? 土方さんのこと」
「一応、捜索願は出してるの。いなくなってすぐに。でも、大人だってことと、事件性もないからって、警察がわざわざ人員を割いて探してくれるってことはないんだって。行き先の見当もつかないし、手掛かりもないし……素人にはこれ以上どうしようもなくて……」
「そっか……そうだよな」
沈痛な面もちで、翔太くんも大きく嘆息した。
「そういえばさ、翔太くんはどうしてうちに来てくれたの? 何か用だった?」
雰囲気を変えようと、私は努めて明るく声をかけた。
「ああ……えっとさ、お前まだ免許持ってないよな?」
「免許? 車の? うん、取ってないよ」
話題が変わればと思ったけれど、全く違う話題になって私は首を傾げる。
「オレもまだ取ってなくてさ。でもそろそろ取っとこうかなって思って」
これまでは両親か、土方さんが免許を取ってからは彼の車に乗せてもらうばかりで、運動神経に自信がないこともあって自分が車を運転したいとはあまり思わなかった。そもそも私の行動範囲はほとんど電車などの公共交通機関で事足りるのだ。
「持っとけば便利かなって思って。いつも誰かに乗っけてもらえるとは限らないし」
「うん、私もそのうち取ろうとは思ってはいたけど……」
「で、さ」
翔太くんは楽しげに、持ってきていたデイパックのファスナーを開ける。はしゃいでいるようにも見えるけれど、それは彼もさっきまでの雰囲気を変えようとしてくれているのだろう。だから私も「何? なに?」と体を乗り出す。
「これ!」
何冊かのカラフルなパンフレットをローテーブルに広げた。
「『合宿免許』?」
「そう。お前、一人だと車校にも行くのも尻込みしちゃうだろ? だから、一緒にどうかなって思ってさ。大学(がっこう)の生協からパンフ貰ってきたんだ」
図星を指された気まずさに、私はパンフレットを手に取って見比べる。
「合宿かぁ」
「オートマ車だと二週間くらいで免許取れるんだって。普通に車校通うより安くあがるし、空いた時間に観光もできるし友達もできそうで楽しそうだと思わないか?」
「ふぅん……」
開催している自動車学校はそれこそ全国にあり、入校の時期によっては様々な割引もあるらしい。
「おばさんも気分転換になりそうだからって、お前が行きたいんなら行かせたいって言ってたよ。それに、友美も誘ったらあいつも行くって」
「友美も!? そうかぁ」
小さい頃から家族ぐるみで付き合いがあり、気心も知れている翔太くんと、家にも度々来ていて為人(ひととなり)を熟知している友美への両親の信頼は厚い。私の気持ちも一気に傾いた。
「うん……これくらいなら自分の貯金で行けそうかな」
「でもそれ最短の場合だぞ? お前、補習いっぱい受けなきゃいけなくなって卒業が遅れそう」
「あああ……そうなりそうな気がするよ……」
わざと頭を抱えて悲愴な顔をしてみせると、翔太くんもあははと笑う。
「はぁ……補習は避けたいな……ん?」
重なったパンフレットをどけて、目に入った文字を確かめようと一冊を持ち上げた。
「どした? へえ……会津若松市か」
秋斉さんとの会話でその地名が出てきたせいなのか、私の目は吸い寄せられるように『会津』の文字に引き付けられていた。
「オレ、行ったことないんだよね。福島なら東京からの交通費もそんなにかからないし、観光するとこもいっぱいあるな。そうだ、喜多方ラーメンも食べてみたいなぁ」
「……いいの?」
にこにこ笑う翔太くんに、私はおずおずと尋ねる。会津若松は私にとって深い思い出のある土地だし、現代ではどんな風になっているのかを見てみたいという気持ちもある。
「もっと、あったかいとこの方がいいとか……」
「いや? オレは東京以外の場所で、どこか旅行気分が味わえたらなーって思ってただけだから。会津若松、いいじゃん」
「友美は……」
「友美も特にどことは……直接訊いてみなよ、多分嫌だとは言わないと思うよ」
翔太くんが帰ってから友美に電話すると、彼の言った通り友美も反対することはなく、私たちは年明けに運転免許合宿に参加することになった。
土方さんのことは頭から離れなかったけれど、彼との思い出の地に行くことが決まり、それに縋るような気持ちで私は新しい年を迎えた。
【つづく】
12月になりましたね! 今年もこの話、終わりそうにないですね☆(イイ笑顔で)
今回でやっと艶花さんが会津に行くことになりました!
いやー、幕末だと大筋は分かりきっているので構想もまだ楽ですが、現代もの、しかもオリジナル展開だと難しいです……
しかし、秋斉さんの次は翔太くんかよ!
(だって幼馴染みって使いやすry)