今日はドイツ語教室に参加して来た。この教室はもう十数年続いているものだ。参加の発端は、市の国際協力協会が主催した教室に参加したことに始まる。講師はドイツに生まれ、大学を卒業後、日本人の夫に同行し、日本で生活するようになって、もう既に20年以上経ている。大学の講座も持っている。協会は、3回の講座で終わり、後は、その講座に参加していたメンバーで自主的に会場となる場を借りて、教室を継続して来たものだ。
なぜドイツ語なのかということだが、大学の第二外国語にドイツ語を選択し、2年目にたまたま学生2人しかいない授業を受ける羽目になった。学生が2人ということは、予習をしっかりやらないと授業にならないということで、毎回2ページくらい訳して準備する。まあ、当時としては頑張っているつもりだった。予定されていた教材は半年で終わり、新たに「ドイツ語会話」の教科書に取り組むこととなった。別途に、ドイツ語会話のテープ教材を買ったりもしたのだが、自分の選択した学科の勉強もあり、中途半端に終わってしまい、それが私の心残りになっていたのだろう。
私はいわゆる転勤族で、各地を転々と移って来たので、長い付き合いの友人が身近にいない。定年退職し、この地(中学に入った息子たちが転校しなくてすむように確保したもの)に戻ったが、知り合いはおらず、新たに交友する場を設ける必要があった。そんなこんなで、ドイツ語教室は私にとって一つの意味があった。妻の介護のため、一時休んでいたこともあって、落ちこぼれ、遅れを取り戻すことが出来ないまま、今では、教室を借りる係が主となり、まあ、裏方に甘んじているのが、現状だ。
脱線した話を戻そう。ドイツ語をやってみると、日本語の奥深さと柔軟さ、その素晴らしさに気付かされる。中国の漢字文化に触れ、中国の文化を取り入れ、それに染まることなく、独自に日本の文化として発展させて来た。西欧諸国が東洋に目を向け、各地を植民地化し始めた時に、門戸を閉じたが、完全に閉じたりはせず、長崎という窓口を残し、そこから西欧文化を少しずつ取り入れた。流入する言葉、概念等に当てはまる言葉(単語)を作り、ゆっくり国内に流通された。明治維新で開国し、西欧文化が一気に押し寄せたが、それを無防備に受け入れ、真似をするのではなく、日本語でなんと表すかを明治の偉人たちは真剣に考え、言葉を発明していった。これらの語群は中国にも伝播し、今や中国語のうち和製単語が何と七割近くを占めるという。
中国には四千年の歴史があるというが、支配者が変わることに文化は破壊され、断絶を繰り返した。日本はその時々、発展した文化を取り入れ、日本に合うものは日本に根付き、合わないものは消えて行ったようだ。まあ、完全に根付いたものは簡単には消えないのだが、、、支配者となる民族が異なる場合、その断絶は激しくなる。
日本では、鎌倉、室町、豊臣、徳川と実権が変わったが、異民族というわけではなく、そこに断絶はない。歴史、文化は続いて来たというわけだ。何と素晴らしいことか‼️