南北二つの新屋敷-今は昔の遊里 | maidoのアメブロ営業所

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「かしく」 がいた新屋敷は、それ以前から南に有った「新屋敷」と区別するために「北新屋敷」と呼ばれていました。
遊里があったのは新御堂筋の1本東の筋で、北旧寺町(露天神社の北側の通り)南は老松通(国道1号線の1本南)の間です。
本家の「新屋敷」は三津寺町の1本南、心斎橋筋と佐野屋橋筋の間(中間の御堂筋でクランク状に曲がっています)の通りにあった遊里です。
「北新屋敷」に対して「南新屋敷」とも呼ばれていた事も有るそうです。共に明治初期に消滅しました。
夫々の新屋敷は、現在の地図上ではこの位置になります。
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北新屋敷が在った筋の現在の姿。大阪市北区曽根崎1~西天満4
地図上①から矢印方向へ撮った眺め。
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地図上②から矢印方向へ撮った眺め。
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こちらは此処がお園六三郎の助右門橋心中で有名(?)な南新屋敷の通り。
大阪市中央区西心斎橋2~心斎橋筋2
地図上③から矢印方向へ撮った眺め。撮影地点から画面背後(西)へ40m足らずにオムライス-北極星があります。
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地図上④から矢印方向へ撮った眺め。道は心斎橋筋商店街で突き当たります。
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