今年は私が戦力外なので、娘が助っ人に来てくれて無事収穫できました。
自宅
毎年数え切れないほどのナミアゲハの幼虫が、我が家の庭で孵りますがほとんどは2~3齢までに鳥や肉食系のハチ、カメムシ(ヨコヅナサシガメ)の餌食になります。
ここまで来たら後は蛹化を待つだけ、無事に羽化して飛び立って欲しいね。
自宅
外来種に負けんように頑張ってるなぁ!結構結構♪
産めよ増やせよ地に満てよ!と撮ってたら、睨まれてしまいました。
2021年08月13日に初めて見たタイワンタケクマバチ、増えてますなぁ!
今日は伐って置いてある竹に10匹以上が群がって、巣穴を掘ってました。
比較的おとなしいとはいえ、外来生物には余り増えて欲しゅうない。
はてどうしたもんでしょうなぁ?。
蘇州出身の友人R人瑞くんの御母堂にいただきました。
人瑞くんとの縁は、1983/3/24から約一週間、造船関連業有好訪中団で彼は大海洋運用公司から派遣された全線随行服務員、夜毎私と翌日の打ち合わせをしたのが始まりでした。
その後、江蘇省の日本留学生に選ばれ1987年に来日、慣れるまでの数日は我家で引き受けました。
その際にご母堂から大小2つの指輪を頂き、緑の石が嵌ったサイズが小さい方はカミさんの指に合いましたが、これは親指に嵌めてもブカブカで大き過ぎる。
私は「男が指輪をするのはどうもなぁ、」という世代でしてね、是と良く似たデザインのが香港の百貨公司で売られてましたが、作りが雑やったね
頂き物の値踏みをするのはあんまり感心せん、記念品として大事にしますわ。
何じゃこれ?と思われる方が多いと思います、というか知ってる人の方が居てはるやろか?。
社会人になって新米技術屋やった頃の商売道具の計算尺、これは一般技術用で、事務、土木などいろんな種類がありました。
アナログもエエとこですが、概略を掴む計算には大活躍、普段は全長30cmくらいのを使っていて、写真のはお出かけ用。
これを胸ポケットに挿してるのと、如何にも技術屋っぽいのが嬉しゅうてね、見掛け技術屋っぽいだけで何も判ってませんでしたわ。
是の難点は位取りを自分でせんならん、掛け算、割り算はエエとして、平方根、立方根で小数点の位置を間違うたら、無茶苦茶な結果になりますねん。
目にもとまらぬ速さで操作して、パッと答えを出す達人が居てたな~。
技の差が桁違いやよって、自然と先輩を尊敬する気になる、尊敬されるとよっぽどのヒネクレ者で無い限り、悪い気がせんのは人の常。
モタモタ操作してると「しゃあないなぁ、コツを教えたろか。」とよう特訓を受けたりしてね、エエ時代に技術屋の真似事をさしてもろたなぁ。
旧HPに2002/03/20アップした記事を一部訂正加筆し再録。
思えば、計算尺を使いこなせるようになって数年後、電卓が出現、見る見るうちに小型化し価格も下がり、計算尺や算盤は影が薄うなってね。
コンピューターが身近になると、いよいよ出番が無くなり、算盤はまだ細々と生き残ったけど、計算尺は見る事も無くなったなぁ。
ところで、メーカーさん(HEMMI)はどうしてるんやろ?と検索したら精密加工の技術を生かし元気にしてましたわ。
HPを見ると計算尺の記事もあって、何か嬉しかったね。
旧年中はご訪問いただき有難うございました。
本年も、何卒よろしくお付き合いくださいますよう、お願いいたします。
我が家の寅さん総動員、虎の牙も特別出演です。
こんな感じです。
今を去る70年余り昔、お向かいのお宅で、新時代の料理を学ぶサークルが開かれてまして、亡母が初めて習ったのがカスタードプリン。
味を大甘党の父親に褒められ、以来十八番のデザートとなり、最晩年には「え~っ、又かいな!」というほど再々作ってくれてました。
母親亡き後、そのレシピはカミさんに受け継がれ、最近では退院後の栄養補給の定番となっております。
もっと滑らかで見栄えの良いのが有ったんですが、先に綺麗なのから食べてしまい、写真を撮ろうと思ったら、アバタ面のしか残ってませんでした。
カミさんの名誉のために一言申し添えます。
San Mateo county Council of B.S.A.は1956年、キャンプ場をカリフォルニア州カラベラス郡エイブリーの近くで取得し、初期のスカウト指導者に敬意を表してCAMP ED BARRER と名付けました。
CAMP ED BARRER は1969年にサンタクルス山脈のカッター・スカウトリサベーションを購入するために閉鎖され、売却されました。
私がこのキャンプ場で短期のsutaffをしてたのは1964年で、このマグカップと一緒に貰ったB.S.A. Cutlery setはズ~ッと現役。
マグカップというには少し小振りかな?
関連記事: Today's maido 2021/12/17
【参考】
San Mateo county Council of B.S.A.は1990年代初めから統合を行い、今はより広域をカバーするThe Pacific Skyline Council of B.S.A.となっているようです。