コイントス物語(パパが借金抱えて転落したワケ)4 | ドングリクンパパのブログ

何がやってきたかって?

 

そう、アレだよ。コレだよ。コロナさん登場だよな。なかなか凄いね、この人生(笑)。

 

飲食店や旅行業だけじゃないからね、お出かけしなけりゃみんな服なんて買わないのだ。コロナ後レナウンみたいな超大手含む沢山のアパレル企業が倒産しまくったよね?そんな中でママと二人でやっている鼻くそみたいなうちの店が影響受けないわけないよね?

 

元々細々とした売り上げがガツンと落ちてヤバい状況、そこで更になんと!!うちの唯一の仕入れ先である大手の問屋がコロナ来てすぐに倒産。えっと、、、?パパ達、その問屋からしか仕入れしてないんですけど、、、?しかもその問屋を通じて仕入れていた夏の主力商品(夏はその商品の売上が半分近くを占める)もインドから届かないことになり、、、

 

普通に考えたらジ・エンドだよね。完全に終わった、、、普通ならそう思うよね。ところが数々の修羅場を超えてきた百戦錬磨、百戦百敗(笑)負けのベテランである俺たち夫婦はその状況で笑ってたからね。ま、なるようにしかならねえから、そう言って笑って家族で公園に行って遊んだよ。

 

そしてその半年後、パパはなんのつてもない、一度も行ったことがない中国で現地生産ができる体制を作りあげた。アジア生産って日本と全然違うからな、一発騙されたら終わりだから。サンプルは良かったのに量産品千個が届いたら最悪のクオリティで売り物になりませんでした、はい、ジ・エンド。なんて話はどこにでも転がっている。

 

それを現地に行く金もなく、ネットだけで信頼できる代行業者を慎重に見極め、あらゆるリスクを想定し、細やかなコミュニケーションで様々な障壁を乗り越え、最終的に、、、無事商品が届いたのだ。結果として日本の問屋で仕入れていた頃より仕入れ値を抑え、かつクオリティを上げることに成功した。

 

同時にクラウド会計を取り入れ経理の合理化もしたよ。自分でも驚異的な粘りだと思うよ?また倒産した問屋のスタッフさんが個人的に奮闘してくれたことにより、インドの工場とも繋がった。届かなかった夏の主力商品も翌年に無事引き取ることができた。

 

インドと中国で現地生産してそれを直接ネット販売する、世界最小の製造小売業完成だよ(笑)。ま、もちろんOEMだけどな。ただし自分たちで商品をデザインしなけりゃならない上、ロット(最小オーダー数)がデカいので一発外したら終わりだ。

 

売上は落ちたままだし、この2年は金融公庫のコロナ融資と社会福祉協議会からの借金、そしてカードローンでしのいだ。つまりまたまた借金は増え、支払った利息は過去最高の45万に到達。それでも体制は整った。

 

一昨年の秋から年末にかけ、コロナが落ち着いた時期に中国で直接生産したオリジナル商品が順調に売れ、11月には過去最高の売上を達成(といっても相当低レベルな話だけどな)。1月はオミクロンの影響が出てしまったけど、インドの夏物も順調に仕上がり、オミクロンが終われば、今年はイケる、、、そう思ってた矢先、、、

 

なんと、、、今度は戦争始まったよ、、、

 

そもそも生きるのがやっとやっとで借金にあえいでいた状態にコロナ来て更に借金増えて、息も絶え絶えの状況で、戦争、円安、物価高。終わった、さすがに終わったわ。虫の息の、その息の根完璧に止められたわ。

 

個人輸入業でこんな爆発的な円安マジでキツイぜ?資源高×円安で仕入れ値20%マシくらいになってるのに物価高で売上げ落ちまくってるから売値は上げられねえ。上げられないどころかセールにしても売れねえよ。

 

完全に終わったね。打ち止めなり。365日休まず働いて得た去年の事業利益は2人合わせてわずか120万。払った利息は50万。いよいよだな。そう「いざとなったら掃除のおじさんとおばさんになればいいのさ」を夫婦で実行に移す日が来たのだ。

 

ママは一足早く去年春に週2日×3時間の掃除のバイトを始めた。パパは今年1月から週5日早朝7時から2時間の掃除のバイトを始めたよ。でも結構いいバイトでさ、出来たばかりのレンタルオフィス、冷暖房完備だし時給もなんと1500円もらえるんだよ。チャリで往復40分かかるけど大した事ねえ。9時半には自分の仕事始められるしな。元々身体動かして働くの好きだからめっちゃ気に入ってる。トイレなんてピカピカだぜ(笑)。

 

在庫がまだ700万近くあるから、急に店閉じられないんだよな。セールにしたらすぐに捌けるってもんでもない。ある程度の売上げを維持していかないと逆に全てが売れ残りになって大変な事になる。だから副業でバイトしつつ、数年かけて事業をたたんでいく。ま、もう正直この商売に未練はひとつもない。

 

今パパが月6万、ママが2万5千バイトで稼いでるけど、それだと事業収入合わせて生活保護にも到底及ばない。今後事業の様子を見つつ、ママのアルバイトをもうひとつ増やす方向だ。それでもまだ事業の方で新規アイテムにもトライしたりしてな。もしかしたら最後のニューアイテムかもな。もうすぐ発売予定、今サイトを作ってる。

 

仮に店が無事閉じられたとして、その頃俺はもう60歳間近だ。そこから再就職だよ。やれるんか?信じられないことにこの年で貯蓄がゼロで借金が1千万以上。保険も共済も何も入ってない、おまけに社員になったことが一度もないから厚生年金払ったことがねえ。国民年金しか払ってねえから老後は月7万くらいしかもらえねえよ。

 

一般的に考えて完全に人生詰んでる状態だろ?(笑)本当は今すぐ破産して借金チャラにして一刻も早く再就職するのが一番確実だ。でも俺はやっぱりそれはできねえ。意地だよな。最後まで払い切るぜ。そして不思議な事に俺は今でも自分に自信があるのだ。俺はここままでは終わらねえ。

 

まあとりあえず事業を閉じたらお掃除バイト掛け持ちしてあちこちのトイレピカピカにしとくわ(笑)。

 

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あの時もし、、、そういう話を時々ママとする。

 

もしあの時コインが裏に出ていたら?リーマンの嵐が吹き荒れる前、まだ売れまくっていた時期に閉店セールで稼ぎまくり、リーマン以降も利益が十分出続けていた本店のみにしてママと二人で営業していれば?今頃さくっと感じの良い庭付き一軒家なんか買って家庭菜園とか楽しんでるかもね。

 

あの時早めに店閉じていたら少なくとも軽く2~3千万は手元に残ったし、その後も本店のみをママとやっていれば余裕の収入があったはず。で、転職十分可能な40代のうちに再就職でもしてたらほんと余裕の暮らしだったよな。借金なんてあるはずもない。ところがコインの表出ちゃったもんだから今は家どころか、貯金なし、保険なし、車なし、借金1千万超えだよ。つまり?

 

コ、コ、コインのバカやろ~!!(笑)

 

「か~みさま~のいうとおり」の、かみさまバカやろ~って(笑)。なんてイジワルな神様だよ、いい加減にしろよってな。でもね、一方でこうも思うんだ。どんなにもがいてももがいてもどうにもならない、それを経験することによってダメダメだった自分が人として少しまともになれた、なんだかそんな気もするんだよな。

 

イケイケだった自分がどんなに未熟だったか、今なら良く分かる。自分で努力して勝ち取ったつもりだった。実際ギリギリまで努力してたとは思う。でも上手くいってたのは単に人生の追い風に乗って調子に乗っていただけだった。努力だけではどうしようもないこともある。それを深い意味で知れた事、それが最大の収穫なのかもしれないな。簡単に言えば昔より優しくおおらかになったんじゃないかな、多少な。

 

こうして様々な日々を経験することによって人生の味わいが変わった。目の前の木々に陽がさして葉が風に揺れている。たったそれだけのことがより深く味わえるようになった。それはそこを通らなければ味わえないものなんだ。そして今俺たちは夫婦でそれを分かち合える。金で買えないものもある、そういうことさ。

 

あの時さっさと店をたたんでスタッフ切って、抜け目なく金残して。それもありだったかもしれない。でもなんだろう、、、それはなんというか、、、俺たちじゃない。やっぱりそれは俺達じゃないんだよ。俺は今の俺達の方がいい。今の家族がいい。今の俺でいい。

 

つまり、、、結局かみさまはお見通しだったってことさ。これで良かったのさ。それでも?今後も年に1度は俺たち夫婦叫ぶだろうね。

 

コ、コ、コインのばかやろ~、とね(笑)。

 

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読み返してみたらなんか、ちょっとカッコつけすぎかもね。本当に優秀な奴はそれでも乗り切っていく。パパには才能も人望も戦略も何もかも間違いなく足りなかった。そうだな、パチンコで最初やたら出たな、と思ったら負け始めた。

 

もうちょっとやったらまた出るだろ?出るだろ?出るはずだ!出ろ!出ろ!出やがれ!!出しやがれ~!そうして泥沼にハマった、それだけの話(笑)。