2025年7月19日~21日に岡山へ行き、岡山を観光して岡山パリ祭を観てきました。そこで素敵な出会いがありました

 

[紹介する内容]

 ●岡山パリ祭

 ●史跡など

 ●美味いもの

 ●おまけ

 

それでは、順番に紹介します(やや長文です)。

 

●岡山パリ祭

 7月20日(日)、岡山ルネスホールでシャンソンの祭典「岡山パリ祭2025」という大きな公演が昼と夜の2回開催されました。観客席は約300人で、昼・夜ともに満席でした。

 

 

八丈太鼓仲間でありシャンソン歌手の「あみさん」が実行委員長を務め、ステージに立ちました。太鼓の練習では真剣に太鼓に向き合い、イベントではお酒を飲みながら太鼓を楽しむあみさんですが、パリ祭のあみさんはオーラが違いました

 

パリ祭では出演者それぞれの個性が光り、歌に感情を乗せて、そのまま観客を引き込んでいく。ライブならではの醍醐味を味わいました。八丈太鼓に似ていると思いました。

 

東京と岡山を何度も行き来しての関係者との打合せと練習、最後まで妥協せずに拘ったステージ。地元岡山の人、岡山パリ祭の関係者、シャンソン愛好家など沢山の方に支えられて実現したものと思います。本当にスゴイと思いました。

 

あみさんの熱烈なファンの方に出会えて嬉しかったです。

私は昼の部のチケットしか申し込んでいなかったのですが、熱烈なファンの方は、昼の部と夜の部、翌日の「せとだパリ祭」のチケットを全て申し込んでいました。ライブ公演は、出演者が同じでも、トーク内容や歌のニュアンスなどが毎回異なるので、何度観ても面白いようです。演劇や八丈太鼓と同じだと思いました。

 

ゲストとして、元・アクション女優の志穂美悦子さんが鬼無里まり(きなさまり)さんという歌手名でステージに立ちました。「どんな歌を歌うんだろう」と興味津々でした。1曲目は「愛してくれるなら」をコミカルな感じで歌い、2曲目はストレートな歌声でエディット・ピアフの「愛の賛歌」を披露。歌いたいという気持ちが溢れていて、感動のあまり思わず涙が出てきました。歌い終わった後に見せた背中の筋肉は現役のアクション女優のようで懐かしかったです。

 

その後に歌ったスペシャルゲストの安奈淳さんは、女房いわく「宝塚時代と変わらない歌声で感動した」とのこと。宝塚時代を観たことのない私も、脱力しつつもキリっとした立ち姿・迫力のある歌声に感動し、隣ですすり泣く女房の姿にも感動して、またまた涙が出てきました

 

最後に出演者全員で歌った「歌おう愛の歓びを」「パリ祭」の時は、「シャンソンが好きで歌うことに歓びを感じる」という出演者の想いを感じ、それを受け止める観客の姿も見えて、気持ちが高ぶり、涙が止まりませんでした。シャンソンを聴いて泣くとは思いませんでした。

 

あみさんの歌が素晴らしかったことは言うまでもありません。

 

岡山パリ祭 中庭マルシェ(その1)

 

岡山パリ祭 中庭マルシェ(その2)

 

暑いのでかき氷を食べました。粒あんを無料で中に入れてくれました

 

粒あんが中に入っているかき氷

 

●史跡など

パリ祭の合間に観光をしました。以前、岡山の倉敷と児島(ジーンズの街)は観光したことがありますが、岡山空港周辺と岡山市内は初めて訪れました。

 

パリ祭前日に観光した鬼ノ城(きのじょう)へ続く道は緑に囲まれ、ウォーキングしている人もいました。周辺にはトレッキングコースが複数あり、多種の高山植物と昆虫を観ることができます。また、近くの展望デッキから、小豆島から瀬戸内海まで180度に広がるパノラマが展望できます。その景色の中には造山古墳、作山古墳など、古代吉備王国の貴重な遺跡があります。

 

展望デッキから見た鬼ノ城

 

展望デッキから見下ろすパノラマ風景

 

吉備津神社の長い回廊も見事でした。吉備津彦神社と吉備津神社で、翌日の岡山パリ祭が無事に終わりますように祈願しました。(後で分かったのですが、パリ祭関係者は岡山神社で祈願するようです)

 

吉備津神社の長い回廊(その1)

 

吉備津神社の長い回廊(その2)

 

パリ祭当日は、岡山城を見て、後楽園を少し散策するも猛暑に勝てず、休憩処で珈琲フロートを飲み、岡山市立オリエント美術館で涼を取りながら「古代エジプト・ふしぎ発見!」展を観ました。洋画家の児島虎次郎が実業家 大原孫三郎の支援のもと欧州やエジプトで買い付け、1920年(大正9年)に日本に持ち帰った古美術品も多数展示されていました。大原孫三郎は倉敷の大原美術館や大原社会問題研究所(大原社研)を設立した倉敷の実業家です。大正時代に娯楽を研究した権田保之助も大原社研に在籍し、1920年(大正9年)に大原孫三郎から倉敷紡績(現・クラボウ)の工場娯楽を調査研究するよう依頼されて調査をしました。調査書の結論では「工場娯楽の三原則」として、

1. 工場娯楽は工員自身の娯楽であらねばならぬ。

2. 労働する場所と娯楽の場所とを区別せねばならぬ。

3. 娯楽の種類によってその環境を別にせねばならぬ。

を提言し、各々の具体案を提示しています。今日から見れば何でもない当たり前のことかも知れませんが、「娯楽」は「不真面目なもの」「不要なもの」と解されていた当時としては、画期的な提言だったと思います。

 

岡山城

 

オリエント美術館の近くにあるRSK山陽放送本社ビルの壁面岡本太郎の「躍進」というタイル画がありました。岡本太郎は1970年の万博で太陽の塔を制作しました。今年の4月に大阪の万博記念公園で太陽の塔を観てきましたが、現役で生きているような存在感があり、55年間ずっと待っていてくれたように感じました。太陽の塔は合理的なものではなく民族的な精神が宿っているように感じます。そして、そういったものに人は「心地良さ」や「安心」を感じるのかも知れません。人は感情を持つ生き物であり、合理的なものではないからです。

 

RSK山陽放送本社ビルの壁面にある岡本太郎の「躍進」

 

万博記念公園の太陽の塔

 

パリ祭翌日は、足守町並み雪舟誕生の地を訪れました。旧足守藩侍屋敷(きゅうあしもりはんさむらいやしき)は家老屋敷のたたずまいをほぼ完全に近い形で伝えています。素朴ですが、とても貴重な史跡です。駐車場近くの休憩所で食べたかき氷が美味しかったです。

雪舟誕生の地は偶然に見つけました。雪舟は1420年(室町時代)に備中赤浜(現岡山県総社市赤浜)で生まれ、室町水墨画を大成しています。1467年に遣明船で中国へ渡り、3年間、中国各地で中国の絵画を学んで帰国しました。当時の船旅は命がけだったことでしょう。

 

旧足守藩侍屋敷

 

旧足守藩侍屋敷 配置図

 

旧足守藩侍屋敷 敷地内の柿の木

 

雪舟誕生地公園(総社市)にある雪舟之像

 

●美味いもの

岡山に到着した日の夕飯は、「天婦羅たかはし」で天婦羅のフルコースを食べました。

店主が揚げた旬の食材の天婦羅は、素材の風味が最大限引き出されていてカリッとして絶品です。見た目も美しく芸術品のようです。トマト、えだまめなど珍しい天ぷらも食べられます。素材の拘りもスゴイです。年に一度、あみさんのライブ「あみ天ライブ」が天婦羅たかはしで開催されるようです。

 

天婦羅のフルコースを食べた「天婦羅たかはし」

 

パリ祭当日の夕飯は、「和食MARU」で和食のコース料理を食べました。全ての料理が店主の手作りで、食材の風味が活かされていて、薄味でとても美味しいです。健康的な料理です。

 

和食のコース料理を食べた「MARU」

 

岡山と言ったら、やっぱり「桃」です。パリ祭の翌日の朝に岡山駅の1階にあるスーパーで「岡山県産の桃」を購入してホテルへ戻り、ホテルの部屋で皮を剥いて食べました。甘みと酸味のバランスが良く、みずみずしくて、肉厚で、とっても美味しかったです。

 

岡山駅のスーパーで購入してホテルで食べた「岡山県産の桃」

 

その日のお昼は、ぼっこう蕎麦水仙亭(国分寺店)で岡山名物「ぼっこう蕎麦」を食べました。岡山では「とても」「すごい」という強調表現を「ぼっけえ」と言うそうで、「ぼっけえ」が「ぼっこう」になったようです。こしの強い蕎麦はとても香ばしく、天婦羅などもボリュームがあり、美味しかったです。

 

ぼっこう蕎麦水仙亭(国分寺店)で食べた「ぼっこう蕎麦」

 

●おまけ

岡山市内のマンホールの蓋は「桃太郎」でした。

 

 

 

 

上の4つの写真は、岡山市内のマンホール蓋です。

 

岡山では「クマゼミ」の鳴き声のボリュームが凄かったです(関東ではまだニイニイゼミが鳴いてます)。

 

来年の岡山パリ祭も楽しみにしています!