舞台写真その5
みなさま、こんにちは
2023年も1ヶ月を切り、あっという間ですね。
大掃除や年賀状の準備などあわただしい時期ですが、
お身体ご自愛ください。
私もブログ更新をがんばっていきます!
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さてさて、舞台写真をご紹介しますね。
みなさまと一緒に振り返って行きたいと思います。
よろしければお付き合いください。
それではどうぞ!
【舞台写真その5】
ーーー幕ーーー
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【振り返り】
・昭和3年7月。「正祐」はシナリオライターの道を求めて上京します。
「みすゞ」は「正祐」や投稿仲間と文通を重ねていましたが、
新しく始めた食料玩具店もなかなかうまく行かなかった夫から、
童謡を書くことと、投稿仲間との文通を禁じられます。
そのうえ、遊郭通いの夫に移された病気がもとで、体調を崩していきます…。
・このシーンは、「みすゞ」を追い詰める「川本」のあまりの振る舞いに(演技ですよ!)、
稽古中もN也さんが「思わず止めに入ろうかと思った」くらいでした。
・「みすゞ」は結婚後に『みんなを好きに』『私と小鳥と鈴と』を書いています。
「みんなを好きになりたい」「みんなちがってみんないい」と歌い、
夫に心を向けようとしている「みすゞ」にとって、
童謡を書くことで自分を見つめ反省し、自らを励ましてきた「みすゞ」にとって、
夫の一言(童謡や手紙を書くことを禁じたこと)は「みすゞ」の存在そのものを否定するようなものでした。
(『童謡詩人 金子みすゞの生涯』矢崎節夫著より)
・『木』と『繭と墓』、お芝居の流れの中で見ると哀しさ、さびしさを感じます。
でも『繭と墓』は、「正祐」が絶賛している詩の一つです。
「誰が向上していないと云わうか、まして退歩したと誰が断言しようぞ」
・娘の「ふさえ」の成長を見守ることを支えにしていた「みすゞ」。
昭和5年、離婚を決意するまでに追い詰められていきました。
「ふさえ」の親権をめぐり問題になりますが、当時は親権が父親にしか認められない時代でした。
そして「3月10日にふさえを連れに行く」という手紙が届きます。
・「ミチ」が語る3月9日の「みすゞ」の様子…。
その一挙手一投足に、覚悟と「ふさえ」に対する愛情が満ちていたように思います。
自分の部屋へ向かう「みすゞ」に対する「松蔵」の「おやすみ」も穏やかで優しくて、
「こんな一面もあるのか」と人間らしさを感じました。
そして「みすず」は大量の睡眠薬を飲み、自ら命を絶ってしまうのです…。
・ぐおおおーっ。「夫」めぇぇぇ~!
しかし、「みすゞ」を追い詰めたのは「夫」一人ではなく、何人かの「犯人」がいるのです。
「正祐」もその一人です。
己の未熟さのせいで「みすゞ」が急に結婚させられ、猛反発して結果的に「夫」を追い出してしまった。
その夢が破れていった果ての、失望と無関心…。
「自分に夫を責める資格はない」「テルを死なせた犯人は夫だけではない。親父と、そして自分だ」
「正祐」は自責の念に駆られます。一緒に過ごしていた「松蔵」「ミチ」も…。
(『みすゞと雅輔』松本侑子著より)
・お芝居の余韻を受けながら歌う『この道』。
初めは1番から全員で歌っていましたが、最終的なフォーメーションは最終稽古の日、
H恵さんとM貴ちゃんが生み出してくれました。より心を一つにして歌うことができたと思います。
『みんなでみんなで行こうよ、このみちをゆこうよ』と言ってくれた「みすゞ」。
映像の最後の言葉がさびしい…。
ピアノ伴奏をして下さった舘内先生は「みすゞがお星さまになれますように」と願いを込めて、
曲の終わりを優しく軽やかに演奏して下さいました
・『私と小鳥と鈴と』は「みんなちがって、みんないい」という「みすゞ」のメッセージを
会場のみなさまと共有できればと思い、明るい気持ちで歌いました。
・余談です。
千穐楽後の楽屋にて、「川本」役のN氏が「みすゞ」役のM子ちゃんに
「ひどいこといっぱい言ってごめんね」と声をかけているのを見て、
「やっぱりN氏だなぁ…」と思いました。
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舞台写真、今回が最終回です。
ボリュームたっぷりになりましたが、お付き合いいただきありがとうございます
今後は
アンケートのご紹介、
公演総括の様子、
仕込みの様子、
舞台装置、
小道具アレコレ、
公演前後アレコレ、
などご紹介していきたいと思います。
もうしばらくお付き合いいただけると嬉しいです
(くまはち)