詩人、西城八十の「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね。ええ、夏碓氷から霧積へ行く道で落としたあの麦わら帽子ですよ。 」の台詞が有名の森村誠一の推理小説「人間の証明」の舞台となった霧積温泉にカミさんに誘われて昨日(15日)から一泊して先ほど帰宅しました。
帽子 (西城八十 作)
温泉は山にでも登った序でに泊まるのなら兎も角、今までカミさんから誘われても温泉が目的では行く気になれずに断り続けていたのですが、譲渡した会社との顧問契約が切れてからはカミさんの収入に頼って生活している身分なので車では行けない秘境の温泉を条件として今回は付き合う事にしたのですが条件に合った温泉は県内では見つからずに最も条件に近いのが一般車両は入れずに駐車場から徒歩で山道を30分ほど登らなければ一軒宿の金湯館まで辿り着けない霧積温泉でした。
とは言っても前もって宿に連絡すれば送迎車が来てくれますが今回はカミさんが一緒の事もあり山頂付近が残雪の鼻曲山でのリハビり山歩はアイゼンが必要となるので諦め、あえてホイホイ坂と呼ばれる登山道を麦わら帽子でも探しながら宿まで登って行く事にしました。
また今は一軒宿の霧積温泉は明治時代には避暑地として栄え、別荘も含めれば42軒もの建物が建っていたそうで、金湯館は伊藤博文が30人ほどで来訪し明治憲法の草案を練り、勝海舟や与謝野晶子も滞在しているので、歴史に思いを馳せ偉人達が籠や馬に乗って通ったであろう古道を歩く楽しみもありました。
ホイホイ坂の下にある鼻曲山登山と金湯館へのスタート地点(駐車場)
ホイホイ坂は篭の担ぎ手の掛け声がホイホイと聞こえた事が名前の由来になっそうです。
スタート地点には2012年に廃業した霧積館の水車が二つありました。
宿はこの沢の上流にあります。
3月なので水量が多くて日当たりが良い滝は氷が解けていましたが水量が少ない日陰の滝は凍っています。
滝下の登山道には50㎝程度の氷のブロックが数個ありました。
一軒宿の金湯館
庭には福寿草が咲いていました。
水車に水を引く水路の下に出来た大きな氷柱
電気が引かれてなかった昔に発電に使っていた水車と温泉を利用した池(左下)にはティラピアが泳いでいました。
ティラピアはヒマラヤに逝った先輩の計らいで中之条町の大塚温泉で20歳の頃の遥か昔に食べた記憶があります。