診断を不信に思い医師を見切る | 呑兵衛のブログ

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私は脳脊髄液減少症の患者さんのブログで同病に辿り着くことが出来、2012年4月、8月、2013年8月の3回EBPを行い2015年3月下旬からほぼ1日動けるまでに回復を致しました。
ブログは同病の知名度の向上と患者さんの参考になればと思い書いてます。

ブログのテーマ「苦悩の日々、脳脊髄液減少症の診断まで」が3月27日の「救ってくれたのは患者さんのブログ」で止まってました。

http://ameblo.jp/donbe1/entry-11518033918.html

この先は書き続けるか躊躇をしたのですが、全てが真実で同病で苦しんでる人の参考になるかも知れないと思い書くことにしました。


2012年1月になり私は会社の譲渡後の業務の引き継ぎも殆ど終了し重責から解放され、自殺の前に今回が最後の病名捜しと思い目は視覚障害でパソコンを見るのも非常に苦痛でしたがネットで検索すると「ゆめさんのブログ、脳脊髄液減少症患者のつぶやき」と言うブログを見つけました。


ブログの内容から私の体調不良も同病が原因だと確信をして月末に東京のCクリニックを受診する予定があるので医師に同病の事を伝えることにしたのです。

ここまでが前回までの粗筋です。


2012年1月末のCクリニックの診察時に私は勇気を出して同病の事をS先生にはっきりと伝えると表情が一瞬だけ変わったようにも見えましたが「何十万人に一人程しか発症しない稀な病気だから全く気にすることはない」と全面的に否定され聞く耳を持ってくれません。


挙句の果てに今日撮った脳波の波形を見て「もう脳波も正常で治っているから尻を叩いてでも働かせても大丈夫」と付き添いの妻に言い放す始末で私が働かないのは怠けているか甘えているとも受け取れる言い方なのです。


当時の私は最悪な体調で目は眩しくて暗い部屋でもサングラスが手放せずに、動くものや人の流れ、また駅の案内板も見るのも不快で視界は酷い飛蚊症と蜃気楼を見ている様で焦点が合わずに道路の凹凸も判り難くて階段を踏み外すこともありました。

また歩くと雲の上にいるようなフワフワで地に足が確りと着かない感覚と聴覚過敏で不快に聞こえる音や強烈な耳鳴りもあり、働かないのではなく辛くて働けないのです。


このクリニックの初診時に脳過敏症候群と診断され、抗てんかん薬を3ヶ月間飲めば治ると言われ指示通りに9ヶ月間も飲み続けているのに症状の改善は全く無く寧ろ悪化して新たな症状も幾つか加わっているのです。


私は脳過敏症候群を否定するつもりはありませんが脳脊髄液減少症を疑って伝えただけなのに医師の発言はあまりにも不快に感じるもので、患者の診察や診断をするときは稀な病気も含めて行うものと思うので医師の言葉に強い不信感と医師としての器量を疑いって「二度と来るものか・・・このヤブ医者め」と心の中で叫び、今回でこのクリニックに見切りをつけました。


結局、今回も処方された抗てんかん薬も含め約1年間も飲み続けたのに症状の改善は全くみられませんでした。


診察終了後に生き地獄のような辛い身体でフラフラしながらも妻に付き添われて本当の病名を探し求めてT脳神経センターに向いました。


後に頭痛の専門医と思われる方の頭痛日記というブログで「脳過敏症候群に対する日本頭痛学会からの正式コメント」という題材で書かれてあるのを見つけましたので貼っておきます。

http://blogs.yahoo.co.jp/neuroikeda/37396972.html

この日本頭痛学会からの正式コメントを読んで脳過敏症候群と診断され1年間も抗てんかん薬を飲み続けても全く治らずに、他の医師からは脳波は正常だと言われていた私の感想はじぇじぇじぇ(‘jjj’)・・・△◎×◎◇??・・・・・です。