救ってくれたのは患者さんのブログ | 呑兵衛のブログ

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私は脳脊髄液減少症の患者さんのブログで同病に辿り着くことが出来、2012年4月、8月、2013年8月の3回EBPを行い2015年3月下旬からほぼ1日動けるまでに回復を致しました。
ブログは同病の知名度の向上と患者さんの参考になればと思い書いてます。

2010年10月に体調不良に陥ってから県内はもとより東京や関西の医療機関を含め、あらゆる診療科を受診しても医師からは異常無しや心因性等と言われ続け納得が出来ずに体の何処かに必ず異常がある筈だと思い続けていました。


翌年の5月には東京のCクリニックで脳過敏症候群と診断が付いて抗てんかん薬を3カ月程飲めば治るといわれ、この時はやっと病名に辿り着くことが出来て新たな光が見え本当に嬉しかったことを今でも覚えています。


しかし年も明け2012年1月になり8ヶ月間も薬を飲み続けても症状は改善するどころか増々と悪化して誤診ではないかと思い始めましたが、この頃になると目ぼしい殆どの病院を既に受診して次に受診する病院も思い当たらなくなっていました。


2011年の秋には襲いかかる強烈な生き地獄のような症状に私は勝てずに自ら創業し長年に亘って苦労を重ねて育て上げた会社の経営責任が負えない体調になり、12月に会社を譲渡して翌年の1月には引き継ぎも殆ど終わり重責から解放され疲れ果て生きる気力もなく苦痛から逃れるために自殺を考えていました。


そして死ぬ前に今回が最後と思い視覚障害になり目が非常に眩しく強い度数の老眼鏡を掛けてるようなピントが合わない見え方で、パソコンを見るのが非常に苦痛で仕方がありませんでしたが脳過敏症候群や自分の症状等をネットで検索してみたのです。


検索の結果、T脳神経センターの頸性神経筋症候群の症状に重なる部分が多いことと、ゆめさんのブログ、脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」のなかに脳過敏症候群そっくり病の「脳脊髄液減少症」と書いてあるのを見つけ私は直感的にこの病気ではないかと思いました。


サングラスを掛け、最初からこのブログを読むと症状はまるで自分のことが書かれているとさえ思え、この病気を検索して他の同病患者さんのブログを見つけては読み漁り『これだ、この病気に間違いない、苦痛に耐えながら長い間に亘り捜し求めていた病名を見つけることができた・・・・・』とこの時に確信しました。


私は1月の末に東京のCクリニックの診察予定があるので診察時にこの病気ではないかとS先生に伝えてみることにして、またT脳神経センターにも行ってみることにしました。


ゆめさんのブログ

脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

      ↓

http://blog.goo.ne.jp/aino-yume75215/e/44de151e84c7a75692e5600811c17881

このブログを見つけた事で私は脳脊髄液減少症に辿り着けたのですが、見つけることが出来なかったら今頃は如何なっていたかは分かりません。


このブログは医師達に殆ど知られてない同病とそれを取り巻く問題を大勢の人達に知って貰う為、長い間に亘り患者の鋭い視点で書き続けているもので私は今でも拝読させて頂いています。


私を生き地獄に長い間に亘り落しいれた正体不明の見えない敵から救ってくれたのは医者ではなく患者さんのブログだったのです。

私以外にもこのブログがきっかけで同病の診断と治療に辿り着けた方も大勢いるのではと推測します。

このブログを見ている方でゆめさんとお知り合いの方が居られましたらブログで救われた同病患者がいたことを伝えて下さい。


ゆめさん有り難う、心より感謝します・・・・・