阿波々神社 | 阿波 発 京都 行 @どなり古事記研究会

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この国の起源と歴史を阿波から見つめなおして。

徳島~大阪~京都を往還しながら、全国各地へ出張取材。
折々にタイムカプセルをのぞく “行き当たりバッチリ” 訪問記です。

事任神社に別れを告げて、粟ヶ岳 めざして北へ。

すぐに、ぐいぐい標高が上がっていきます。

 

なかなかスリルのある茶畑のあいだの山道を登って、ふと後ろ、東のほうを見ると・・・

 

 

すでに冠雪している、富士山が望めます。

 

広い駐車場に着くと、こんな感じ・・・

 

 

放送塔が林立していて、ちょっとヤな感じ。

でも、昭和29年に開局した東京大阪間の電波の中継所だと知れば、文句は言えません。
その 「粟ヶ岳無線中継所」 建設のためにここまでの車道も整備され、車で参拝できるようになったのですから。
*参照:東山茶業組合のサイト

http://www.higashiyama-tea.com/

 

高速道路から見えた “茶” の字の山がまさに粟ヶ岳だったとわかりました。

 

 

Wikipedia の記事をみましょう。

 

阿波々神社(あわわじんじゃ、Awawa Jinja)
静岡県掛川市初馬にある神社。粟ヶ岳の山頂付近に鎮座する。
 
祭神として 阿波比売命 を祀り、736年に創建された。
阿波々神社の境内には、素戔嗚命と櫛稲田姫を祀った八重垣神社も併設されている。
周辺は照葉樹林に覆われており、この林は 「阿波々神社の社叢」 として掛川市が文化財に指定し、天然記念物として保護している。
また、この森の中では大きな岩が散見されるが、それらは磐座として祀られていた。
 
736年の創建以来、延喜式内社に列せられ崇敬を集め、掛川城城主の保護を受けてきた。しかし、戦国時代に社殿が焼失してからは、明治年間にいたるまで神社の整備は停滞した。
明治に入ると郷社に列せられ、1884年に本殿や拝殿が改築するなど復興が進んだ。太平洋戦争による停滞を挟み、1987年に本殿を山頂に遷座するなど、整備が進められている。
 
伝承
遠州七不思議のひとつにも挙げられる 「粟ヶ岳の無間の鐘」 の伝承では、鐘を井戸に投げ込んだと伝えられているが、その井戸が境内に残されている。
 
→Wikipedia 阿波々神社
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%B3%A2%E3%80%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 

 

神社の森は 「林野庁より航行目標の為の保安林」 だといいます。

それはずっと、ず~っとそうだったのでしょうね。

 

境内は駐車場から少し坂を登ればすぐです。

この山中にしては立派な社殿。

 

 

手書きの、分かりやすい見取り図です。

 

 

お参りしていると、宮司さんか管理人さんらしき方が来られて、社務所を開けてくださいました。

が、由緒書を頂戴しただけで、失礼しました。

 

さすが天日鷲の一族(?)、鳥にまつわる、こんなかわいい絵馬もありましたが。

 

 

社殿の横に、さりげなく 「無間井」。

鐘は入らなさそうですが・・・

 

 

山頂近くで水が湧いたのでしょうか。

例の破砕帯という、地下水が押し上げられる構造になっているのかもしれません。

『スピ散歩』 によれば 「潮の干満により高く湧き出て龍が立ち上がる」ように見えたという伝承もあるそうです。

 

この山裾全体にお茶畑が広がっているのも、そんな水脈の恩恵を受けているのでしょうか。

 

さらに小さなお社が3社。

 

 
神社のサイトによれば、八重垣神社(素戔鳴命と櫛稲田姫)、白羽神社(しろわじんじゃ;白羽大神)、そして 八王子神社 だそうです。
 
白羽神社?
静岡の御前崎にある 白羽神社 のご祭神をチェックすると、次の三柱です :

天津日高日子穂々手見命

豊玉毘賣命

玉依毘賣命

 

なるほど~

さらに、社伝では 「式内 服織田神社これなり」 だそうです。

で、式内服織田神肚を調べてみると・・・

『神社と古事記』 という、とても充実したサイトに、おお!という記述がありました。 
 
服織田神社(はとりだじんじゃ)
静岡県牧之原市静波にある神社。
 『延喜式神名帳』 にある 「服織田神社(遠江国・蓁原郡)」 に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
社伝によれば、第12代景行天皇7年に勧請して、奉斎された。御祭神は、麻立比古命・天八千千比売命(天棚機姫神・棚機姫命)。
「服織田」 の社号の由来は、鎮座地が往古、服織田村と称した地名に由来、四国の服織から移住してきた人々が奉祭した神、御祭神が服織の神など諸説ある。
四国の服織については、阿波国勝浦郡に、阿佐多知比古神社(朝立彦神社) がある。当社御祭神との関連が指摘される場合がある。
往古は服織田村と呼ばれたが、江戸時代中期の宝暦8(1757)年の検地帳に、柏原町と改められたと記載されている。 
 
→服織田神社 静岡県牧之原市静波 
http://www.buccyake-kojiki.com/archives/1065417620.html

 

御前崎から牧之原市は、粟ヶ岳から見下ろす海岸線です。

阿波から海路東へ向かった人々は、粟ヶ岳を目印にこのあたりに上陸したのでしょう。

 
阿波から遠州、伊豆から安房へとつながっていくダイナミックな歴史。
ぐーたら先輩の書かれた大作の最後の一篇だけでも読まれれば 「へえ~っ」 とそのスケールを感じられるでしょう。

→ 「まとめ:大宜都比売命の裔(15)END」
http://goutara.blogspot.com/2017/01/15end.html
 
個人としてのヒメの比定は先輩にお任せして、記事中の次のひと言だけでもいいと思います。
 
「このようにして 『阿波咩命』 こと 『大宜都比売命』 は名を変えても、あるいは名を忘れられても、事代主命の本后 として全国で祀られているのです。」
 
まさに、国生み神話の領域を超えて、全国に。
それが可能なのも、次の事実で納得いただけるでしょう。
 
「ただし、何度も書いたように 『事代主命』 は一人ではありませんので『ある時期』 の事代主命の本后としてだということに注意願います。」
 
いろいろな話が混入してしまった 八王子神社 はちょっと手ごわいので、またの機会に。

スサノオの御子神という説が主流、とだけ。

 

 

さて気になる磐座群・・・

 

 

巨石がそそり立っています。

 

人為的に配置されたものなのでしょうか。

木の根が張ったりして、崩れているそうですが。

 

 

鳥居が設置されている磐座も。

古代の祭祀場とされています。

 

 

ピラミッド型になっています。

 

 

周囲の木や、石の表面のコケなどが生えていなければ、日光を反射して海上からも目印になった石かもしれません。

 

『スピ散歩』 ではダイナミックな表現がされるエネルギーがほとばしる、とされる聖地。

 

ここに導かれたことに感謝したことです。

 

お天気に恵まれた日に事任神社へ行かれたなら、ぜひ姉妹神を祀るとされる阿波々神社へも足を延ばされることをお勧めします。

ふもとから1時間ほどの参道があるようですし。