小さな丘全体が御神域のような神社。
そこここに境内摂社があります。
大国主命とは別に、大物主神を祀るお社。
小さいながら手入れされています。
五輪塔ではなく、クジラ山のみたま石?
カワサキ機工という製茶機械のメーカーが作っておられるサイトに由来が紹介されていました。
事任八幡宮の山づたいにある標高150-200mほどの2つの小山が雄鯨山、雌鯨山と呼ばれていて、それらにまつわる伝承が大正時代にまとめられた郷土誌 『日坂郷土誌稿』 にあるとのこと。
短いもの(でもおもしろいの)で、原文を転載させていただきます (改行・赤字編者)。
雄鯨山由来記写
そもそも、くじら山は、日坂駅のほとり南にありて宮村といふ。人皇三十七代 孝徳帝 の御宇とかや。嫁石権現となんいへる宮有り、御姫宮 おはしましき。
そもそも、くじら山は、日坂駅のほとり南にありて宮村といふ。人皇三十七代 孝徳帝 の御宇とかや。嫁石権現となんいへる宮有り、御姫宮 おはしましき。
或時、権現、八幡宮 を囲碁に誘ひ給ふとき、竜宮 より雄くじら雌くじらをして、彼の姫宮を押て貰はんことをいいおくられけり。その時権現、姫をいとおしみ給ふて、北の方なる大沢といへる処に姫を置かせられぬ。されば七日がほど暗夜のごとくなりしとなん。
八幡宮 碁石をもって、彼の鯨をうち殺し給ふ。そこをくらみ村といふ。是こそ鯨五百間にあまりしと、一念こりて死て巌石となり、今、連理の山これなり。うち付け給う石、頂に残りて今もまま見あたりぬ。(以下略)
そして使者のくじらが殺された竜神は怒って村人たちをのみ込んで帰さなくなったといいます。そこで八幡宮の神がつくったのが塩水が湧き出る井戸「シホ井」で、現在、近くの(クジラたちが遡ってきたという)逆川の下流沿いに塩井神社があります。
民話としても紹介されています:
子どもに伝えたい遠州の民話(4)
雄鯨山・雌鯨山(おくじらやま・めくじらやま) -掛川市日坂-
→静岡新聞 http://www.vivere.jp/education/2017/01/--.html
雄鯨山・雌鯨山(おくじらやま・めくじらやま) -掛川市日坂-
→静岡新聞 http://www.vivere.jp/education/2017/01/--.html
民話では囲碁をしたのは八幡宮と竜王で、娘は八幡宮の娘とされていますが、『由来記写』 では権現と八幡宮が囲碁をしていて、竜王が権現の娘を求めてきたのを八幡宮がクジラたちを殺して権現の姫を守った話。
八幡信仰以前に由来があったとすれば、土地の豪族と渡ってきた海の民との争いがあった痕跡かもしれませんね。
気になるのは孝徳帝の御代という点。軽皇子という意味深な名で呼ばれていた方です。
姉の 皇極帝 のとき、甥の中大兄皇子と 中臣鎌足 による蘇我入鹿打倒(乙巳の変/大化の改新;645年) の翌日、6月14日に史上初の譲位によってご即位。
ところが8年後、姉は中大兄皇子らと孝徳天皇とは別に倭飛鳥河辺行宮に遷り、その翌年に難波長柄豊碕宮でひとり寂しく崩御されています。すると姉が再登板して史上初の重祚(斉明帝)、実権は皇太子の中大兄皇子&鎌足が執るという、実に怪しい展開。
諡号に“徳”の字が贈られていることからも、不本意なご最期を送られたのでしょう。
嫁石の姫の伝承は、中臣一族による家系詐称の話に関係するのかもしれません。
手がかりの 「嫁石(よめいし)」 という名は高知市の北の山中にある地名ですが、詳細は不明です。
本殿の裏山は禁足地にされています。
その手前のご神木がた。
すてきな鎮守の森です。
根がすごい。
社務所で宮司さんとお母様にお話をうかがいましたが、やはり昨年の台風で大きな被害を受けられたとか。
ご苦労だったことでしょう。遷される前の元宮へは、歩道橋で国道を越えていきます。
近年、“縁結び”で知られるようになったためか、女子の参拝客が多く見受けられました。
社務所でいただいた立派なパンフレット。
表紙をめくると、はっきり主祭神・己等乃麻知比売命が 忌部の女神 だと書かれています。
ちゃんと 麻 の字が使われていますね。
中心部を追われて阿波や安房で祀られるようになった、という表現には若干異議がありますが、まあ。
中臣連の祖・天児屋命 の母が 忌部の神 というのは、どういうことになるのでしょう。
この血脈については私の手には余りそうです。
諸先輩にお願いしましょう。
改めて、地図を確認。
本宮はすぐ近いようです。
駐車場にあったカフェでコーヒー一杯飲んでから向かうことにします。
表にはパワーストーンの出店、そして“占い館”ののぼりと、私を誘惑します。
店内に占い専用コーナーがあります。
女性が受けておられたので、次を予約しようかな…。
セミナーもされているようで、店内にはいろいろなパワーグッズが展示されています。
窓際の席で、頼んだコーヒーを待つ間、並んでいた本のなかに、派手な表紙の漫画を見つけてパラパラ・・・
『スピ☆散歩 ぶらりパワスポ霊感旅』
全国の寺社や聖地などを、“視えちゃう漫画家” が編集者と一緒に巡るという企画もの。
伊藤三巳華さんという、2000年に講談社からデビュー、2004年からホラー漫画家として知られるようになったという方。
おもしろい、と美味しいコーヒーを飲みながらつい読み始めました。
そのシリーズ 第⑥巻 に、載っています、事任神社。
蛇神さま、登場~
面白い。
本宮の奥には磐座があるようですが、そこへたどり着くのは難しいことなども分かりました。
で、ここから北へ行った山の頂上にある 「阿波々神社」 へ、彼女たちも向かい・・・
そこで境内の磐座で猛烈なパワーと出会った、と・・・。
スマホで Wikipedia を引くと、「祭神として 阿波比売命 を祀り、736年に創建」で、さっきの粟ヶ岳にあるのだと。
む、む・・・。
この日のうちに帰る予定なので、先を急ぐべきなのですが、ここでこの本に出合ったのもお導きか。
当ブログは基本的に “スピ系” の話題には触れないようにしていますが、ここは例外としていただきましょう。
行かねば。
占いも、またの機会に。
奥宮の位置にある阿波々神社へ行けば、一宮の事任神社*1のことも、もっとはっきり分かるかもしれません。
ということで事任神社の本宮は失礼して、車に乗り込んだのでした。
(「阿波々神社」へ続く)
***
*1 遠江国一宮
事任八幡宮とは別にもう一つ、一之宮を名乗る神社がある。
写真で見る限り、規模はこちらが大きいようだ。
小國神社 (おくにじんじゃ/おぐにじんじゃ、小国神社)
静岡県周智郡森町一宮にある神社。式内社、遠江国一宮。
旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は 「右三つ巴」。
本宮山の南側の山麓に鎮座する。
社名の 「小国」 は、出雲の「大国」に対する遠江の美称 とする。
創建時期は不明だが、社伝によれば、欽明天皇16(555)年?2月18日、現在地より6kmほど離れた本宮山に神霊が示現したので、勅命によりそこに社殿が造営されたのに始まる。
なお、このときに正一位の神階が授けられたと社伝にはあるが、国史での当社の初見である 『続日本後紀』 承和7(840)年条では 「遠江国周智郡の無位の小国天神(中略)に従五位下を授け奉る」 と記されている。
六国史終了時の神階は従四位上である。
『延喜式神名帳』では小社に列している。
西北西に20km ほど。
少し離れたところに本宮山があり、境内に塩井神社、願い事がかなう事待(ことまち)池があるなど、ずいぶん事任神社を意識したような (あるいはその逆の) 伝承がある。
こちらのご祭神は 大己貴(おおなむち)命。
やはり、大国主が登場。
小国が美称とは奇妙で、本来は 「大國神社」 だったのを小さくさせられたのではないだろうか。
このあたりは出雲市の領国だったのだから。
遠淡海国造(とおつおうみのくにみやつこ・とおつおうみこくぞう)
遠江国西部を支配した国造。遠江国造とも。
遠江国西部を支配した国造。遠江国造とも。
『古事記』によると 建比良鳥命。別名は武夷鳥命・天夷鳥命・天日照命など。
天穂日命の子。
出雲国造・无邪志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造などと同系。ただし『国造本紀』には物部氏の祖である 伊香色雄命 の子の印岐美命が成務朝に遠淡海国造に任じられたとある。
天穂日命の子。
出雲国造・无邪志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造などと同系。ただし『国造本紀』には物部氏の祖である 伊香色雄命 の子の印岐美命が成務朝に遠淡海国造に任じられたとある。
出雲氏または物部氏
阿波につながっていく系譜。
これからも調べなくてはならないようだ。
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