『原爆に一矢報いた回天多門隊』 ――伊五八潜のあげた奇しき大戦果 (その二) | Be HAPPY 日々精進・・かな。

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原爆運搬艦を多門隊の伊58潜が雷撃で撃沈... →プロフィールご参照ください


『原爆に一矢報いた回天多門隊』 ――伊五八潜のあげた奇しき大戦果


 鳥巣建之助 (元海軍中佐・第六艦隊水雷参謀)



 インディアナポリスの原爆運搬行

 さて、インディアナポリスであるが、それより先き三月三十一日、沖縄沖で”神風”の攻撃を受け、左舷後部を手ひどくやられたが、四月にメーア・アイランド工廠にたどり着いたのであった。

 神風機は上甲板にぶつかって海中にころがり落ちた。ところが、飛行機が落とした爆弾は上甲板を貫き、兵員食堂と寝室と燃料タンクをぶちぬき、船体の下で爆発して九人を殺し、船体に二つの大きな穴をあけた。海水は奔流し艦は左舷に傾いたが、応急班のす早い手当で浸水を食いとめることができ、艦は沈没をまぬがれた。

 八千マイルの太平洋を自力で航海し、カリフォルニアに帰投したインディアナポリスは、さっそくメーア・アイランド工廠で大修理をはじめた。

 七月上旬に修理はほぼ終わり、試運転可能な状態になった。一九四五年七月十二日マックベイ艦長は「重巡インディアナポリスは四日以内に出港準備を完了せよ」という指令を受け取った。それはちょうど、伊五八潜の艦長が第六艦隊司令部に出頭し、「パラオと沖縄を結ぶ線、グァムとレイテを結ぶ線の交叉点附近を中心として作戦行動をせよ」との命令を受領するのとほとんど同じ時期であった。

 七月十五日、日曜日の朝、試運転を終ってメーア・アイランドに帰港すると、マックベイ艦長は最後の命令を受けるため、サンフランシスコの司令部へ向かった。司令部に着くと、ウィリアム・R・パーネル少将とウィリアム・S・パーソン大佐とは、すぐ特殊任務について説明をはじめた。

 「あなたはきょうのうちに、艦をサンフランシスコのハンタース・ポイント海軍基地に持って行って下さい。今晩そこで形は小さいが、重要な機密の品物を一つ艦へ積むことになっています。明朝出港し、高速でパール・ハーバーへ行き、そこで便乗者を降ろしたあと、すぐさま高速でテニアンへ行って下さい。品物はそこで陸揚げします。貨物の中身は言えませんが、たとえ艦が沈むようなことがあっても、この貨物は救助艇に乗せるかして、沈めないようにして下さい。貨物を一日でも早くあなたが運べば、それだけ戦争が早くすむことになるのです。
 この貨物には二人の陸軍士官がついていますが、艦のなかではいつも海兵隊の番兵をつけ、ほかの人間は決して貨物に近づけないようにして下さい。また別の小さな貨物は乗員から離れたところ、ではれば、士官私室において下さい。陸軍士官はその荷物のそばにいることになるでしょう」

 その次の朝早く、二台のトラックが舷側にやって来た。一つの車には大きな貨物が積まれていたが、もう一つの方には、小さなシリンダーが一つ載っているだけだった。

 午前八時、インディアナポリスは軍艦旗掲揚と同時に出港し、八時三十六分、ゴールデン・ゲート・ブリッジの下を通過して大洋に出た。

 そのころ伊五八潜は、呉軍港をまさに出港するところであった。


  伴・小森両艇みごと体当たり (註1

 インディアナポリスはサンフランシスコを出ると、二十九ノットの全速で突っ走りはじめた。こうして、ファラロン灯台船からダイアモンド・ヘッドまでの二千九十一マイルを七十四時間三十分で突っ走り、新記録を樹立した。

 七月二十六日、木曜日の早朝、サンフランシスコを出てから十日目、五千マイルの距離を走ってテニアンに着いた。ここには世界最大の飛行場があり、日本本土爆撃を続行しているB二九がうようよしていた。

 ここで、例の奇怪な荷物を陸揚げすると、まもなくグァムにいる太平洋艦隊司令部から電報を受け取った。

 「グァムに寄港の上、レイテに行って訓練を受けよ。訓練が終われば、第九十五機動部隊指揮官、ジェームズ・B・オルデンドルフ中将の指揮下に入れ」という簡単な命令であった。

 一方、伊五八潜は七月二十八日、いよいよ指定の配備点も間近になってきたが、さっそく、夜明け前に敵飛行機を電探でつかまえ、急速潜航した。

 午後二時ごろ、周囲に何も聞こえないことを確かめると、昼間の太平洋上に姿を現した。次いで潜望鏡を高く上げて四周を見回すと、一隻の駆逐艦を護衛につけた三本マストの大型タンカーが見えた。そこで同艦はただちに潜航に移り、橋本艦長は「回天戦用意」、「魚雷戦用意」を発令し、水中強速力で接近につとめた。だが、距離はなかなかちぢまらない。艦長はついに回天で攻撃することを決意した。「一号艇、二号艇用意」の令で、伴中尉、小森一飛曹の二人が回天に搭乗して行った。

 一号艇が発進準備に多少手間どったため、まず小森一飛曹が二時三十一分、
「ありがとうございました」という言葉を残して突進して行った。次いで二時四十三分、一号艇の伴中尉が、
「天皇陛下万歳ッ!」と叫んで発進した。

 それから間もなく海面一帯には南方特有のスコールが沛然と降り注いで、目標も何も見えなくなってしまったが、五十分経過したとき、爆発音が聞かれ、次いで十分後、第二の爆発音が響いてきた。全乗員は起立して伴、小森二勇士の冥福を祈った。

 その夜、伊五八潜は、目的の配備海面へと航進続行した。



書籍『回天』(回天刊行会発行)より



 (註1 アメリカ側の秘密文書公開によれば、この日駆逐艦ロウリーの小破が報告されている。


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