さて、源信僧都が残されたお言葉の中でも最も有名だと思われる「横川法語」を紹介します。
「まず三悪道を離れて人間に生るること、大なるよろこびなり。身は賤しくとも畜生に劣らんや、家は貧しくとも餓鬼に勝るべし、心に思うことかなはずとも地獄の苦に比ぶべからず。」
源信僧都が、ここで教えておられる事は何でしょうか。
仏教では、六道(六つの世界)を教えられます。
地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界。
全て、迷い・苦しみの世界です。
・地獄…最も苦しみの激しい世界。
寿命が大変長く、苦しみも他と比較にならない。
・餓鬼…目と腹ばかりが大きく、常に飢えている。
この世界の者は、物を食べようとすると、それが炎に変わり、食べる事ができずに苦しむ。
・畜生…人間の目で見る事ができる世界。
弱肉強食の世界であり、常に脅えた生活をしなければならない世界。
・修羅…争いが絶えず、お互いに顔を見ると傷つけ合い苦しむ世界。
・人間…苦あり、楽ありの私達の世界。
・天上…最も楽しみの多い世界。
天人の五衰というものがあり、やはり苦界。
地獄・餓鬼・畜生は、非常に苦しみの激しい世界ですから、「三悪道」と言われます。
修羅・人間・天上は、その中では苦しみの少ない世界という事で、「三善道」と言われます。
源信僧都は、三悪道を離れて人間に生まれたという事は、大変な事であるから、まず喜びなさい、と教えられたのです。
身分がどれだけ賤しい、と言っても、畜生より劣る事があるだろうか。
家が貧しくとも、食べる事さえ出来ない餓鬼よりは幸せではないか。
心で思った通りにならない、と言っても、地獄の苦しみとは比較にならない。
比べてみなければ分からない私達に、比べて見せておられます。
しかし、私達が、人間に生まれて喜ぶのは、単に三悪道より苦しみが少ないからだけでは、ありません。人間に生まれなければ出来ない大事業があるからなのです。
それは、仏法を聞き、人生究極の目的を達成し、「人間に生まれて良かった。この身になる為の人生だったのか」という生命の大歓喜を獲る事なのですね。
「まず三悪道を離れて人間に生るること、大なるよろこびなり。身は賤しくとも畜生に劣らんや、家は貧しくとも餓鬼に勝るべし、心に思うことかなはずとも地獄の苦に比ぶべからず。」
源信僧都が、ここで教えておられる事は何でしょうか。
仏教では、六道(六つの世界)を教えられます。
地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界。
全て、迷い・苦しみの世界です。
・地獄…最も苦しみの激しい世界。
寿命が大変長く、苦しみも他と比較にならない。
・餓鬼…目と腹ばかりが大きく、常に飢えている。
この世界の者は、物を食べようとすると、それが炎に変わり、食べる事ができずに苦しむ。
・畜生…人間の目で見る事ができる世界。
弱肉強食の世界であり、常に脅えた生活をしなければならない世界。
・修羅…争いが絶えず、お互いに顔を見ると傷つけ合い苦しむ世界。
・人間…苦あり、楽ありの私達の世界。
・天上…最も楽しみの多い世界。
天人の五衰というものがあり、やはり苦界。
地獄・餓鬼・畜生は、非常に苦しみの激しい世界ですから、「三悪道」と言われます。
修羅・人間・天上は、その中では苦しみの少ない世界という事で、「三善道」と言われます。
源信僧都は、三悪道を離れて人間に生まれたという事は、大変な事であるから、まず喜びなさい、と教えられたのです。
身分がどれだけ賤しい、と言っても、畜生より劣る事があるだろうか。
家が貧しくとも、食べる事さえ出来ない餓鬼よりは幸せではないか。
心で思った通りにならない、と言っても、地獄の苦しみとは比較にならない。
比べてみなければ分からない私達に、比べて見せておられます。
しかし、私達が、人間に生まれて喜ぶのは、単に三悪道より苦しみが少ないからだけでは、ありません。人間に生まれなければ出来ない大事業があるからなのです。
それは、仏法を聞き、人生究極の目的を達成し、「人間に生まれて良かった。この身になる為の人生だったのか」という生命の大歓喜を獲る事なのですね。
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