ロシアはよく、「米軍は日本のどこにでも基地を置くことができるから、北方領土を返還したら、米軍がミサイル基地を置くんじゃないか」と言っていました

私はシンガポール会談の時、プーチンに「確かにシミュレーションとして、それはあり得るでしょう。しかし、米ソ冷戦時代を含め、米軍は日本のどこにいましたか?北海道から一番遠く、暖かい沖縄ですよ。北海道は、我が自衛隊が守っている。北海道にもいないのに、さらに寒い北方領土に、米軍が基地を置くはずがないでしょう」と言いました



「私とトランプの極めて良好な関係を考えれば、仮に私とウラジーミルの間で「米軍基地を北方領土には置かない」と約束しても、トランプが怒ることはないでしょう。そもそもトランプは、在日米軍基地の負担が重い、と文句を言っているくらいですから」と言って説得したのです

この時はプーチンも「分かりやすい。問題ない」と納得してくれていました

ロシア国内で領土返還に対する反対運動が起きたことが、プーチン氏を弱腰にさせた原因でしょうか

プーチンも、交渉に障害が入らないようにと工夫していたようなのですが、ダメだったということですかね
私も一生懸命説得したけれど、ロシアの米国不信は拭えなかったのかもしれません



プーチンはこの時、「平和条約締結は歴史的な課題だ。領土問題の解決は、日露双方の国民のためになるだろう」と言いました

その後、森喜朗元総理の話に移り、私が「シンガポールに来る前に、森元総理に会った。だんだんと元気になってきましたよ」と報告したら、プーチンはものすごく喜んで、「ヨシロウは友人であり先輩であり、同志のような関係だ。昨年会った時は、がんが進行しており、今生の別れだと思って非常に落ち込んだ。本当に良かった」と応じていました

私はプーチンと計27回会談しましたが、森さんとプーチンほどの信頼関係までは、築けなかったかもしれません



北方4島に住んでいるロシア人に「ここは日本の領土だから、今すぐ出て行け」とは言えない
4島の人たちにまず、日本と付き合うことを理解してもらう手法を取ったわけです
それが、4島での共同経済活動だったのです 日本人とロシア人が4島で一緒に仕事をする構想です
日本は過去にも、4島での共同経済活動を模索したことがありましたが、ロシアの「主権」に従って進めるという主張を覆せず、実現しなかった
そこで新たに、両国の法的立場を害さない「特別な制度」をつくって、共同経済活動を目指そうと考えたのです



そして、4島の共同経済活動について、どこまでプーチンが乗ってくるかを見定めようと思いました
プーチンには、元島民の女性の手紙を読んでもらったり、かつて日ソ両国民が一緒に住んでいた時代の写真を見せたりしました
これが4島の未来ではないか、と思ってもらうために
この手紙と写真はプーチンに効いたと思いますよ
元島民の負担を軽減するための航空機による墓参に、プーチンは非常に協力してくれました



米国務長官のジョン・フォスター・ダレスに2島返還を受諾してはならないとして「待った」をかけられた
いわゆる「ダレスの恫喝」です
米ソ冷戦時代ですから、日ソが関係を大幅に改善するなんて、米国は全く望んでなかった



米国は、日露の接近が面白くなかったのではないですか

オバマ米大統領には、私がソチに行くことに反対されました
この年の3月、核セキュリティ・サミットのために訪米した時の首脳会談で、ソチでプーチンに会うことを伝えると、オバマは「私があなたの立場だったら行かない」と言う

でも、私は「日本はロシアと平和条約を結んでいない。この状況を変えなければいけないから、行くことを決めさせてもらう」と言ったのです
それで雰囲気が悪くなってしまいました


その後、オバマは怒ったらしく、米国の外交当局からも反対されました
ソチ訪問は、米国の意向を振り切る形で行きました

『安部晋三回顧録』より