事件の背景分析  

 

ジャーナリスト真山巴 は1996年1月、『噂の真相[21] において、公開情報の分析から事件の背景には当時進行しつつあったオスロ協定 に基づく中東和平進展があり、また事件当時多くの日本企業がイスラエルとのビジネスに関わりを深めていたとを指摘し、財界が『マルコポーロ』の記事がそうした中東ビジネス に影を落とすことを恐れた結果、それを受けた日本政府が文春に『マルコポーロ』を廃刊するよう行政指導を加えたのではないか、と言う分析を述べている。

 

なお、2月2日の記者会見とその前後のマスコミの状況について、木村愛二 は自著の中でこう描写している[22]

 

『マルコ』廃刊事件の報道(以下「マルコ報道」)において、マスメディアは「一時的かつ表面的」な特徴を遺憾なく発揮した。廃刊の真相や背景の究明 が不足していただけではなくて、問題の記事、「ナチ『ガス室』はなかった」の中心的な論拠であり、この問題の核心的争点である「ガス室」と「チクロンB」 に関する事実関係の議論までが、まるでおこなわれていない。それなのに総ジャーナリズム的バッシング報道の嵐は、同年三月二〇日に発生した地下鉄サリン事件 以前に、早くもすぎ去ってしまった。
『マルコ』の発行部数は公称二五万部、実売一〇万部そこそこだったという。問題の二月号は廃刊決定と同時に「回収」となった。回収の実績は不明だが、いず れにしても問題の記事そのものを実際に読んだ読者の数は、何百万から何千万単位の複数の新聞やテレビ報道の受け手の数にくらべれば、ごくごく少数である。 圧倒的多数の受け手は、実物の記事に接することなく、大手マスメディアの情報のみに頼って、事態を判断することになる。
そのマスメディアは商業性であり、その商業的生命は速報性にある。だが、問題の記事の内容の判断はだれがするのか。とくにこの場合、失礼ながら、ほとんど のジャーナリストも歴史家も、急場の間に合うような予備知識を持っていなかった。相手が「タカ派の文藝春秋」だから適当な談話で良いというものではないは ずだ。それなのに速報マスメディアはせっかちに「判断」をもとめる。このような場合のマスメディアの世論誘導効果には、必然的に政治的、ないしはファッ ショ的傾向がさけがたいものとなる。
その傾向がもっとも極端に現われたのが、火元の文藝春秋 で ある。もともとかつての大日本帝国時代からの国策的出版社で、いまも社内体制は根っからの「タカ派」だから、こういう場合には露骨に正体をあらわにする。 特徴的な現象は、記事内容に責任を持ち、いちばん事情に詳しいはずの『マルコ』編集長と執筆者本人の意見を聴取することなしに、「上御一人」的な廃刊方針 が決定され、まかり通ったことだった。そのこと自体がすでに、記事内容とその根拠の調査を、いささかもしなかったことの立証になっている。
わたしは、二月二日に行われた文藝春秋とサイモン・ウィゼンタール・センター(以下SWC)の共同記者会見の席上で、「ガス室」と「チクロンB」に関する 数度の調査結果の存在(本文で紹介)など、いくつかの重点的事実を指摘し、「そういう事実を調べた上で廃刊を決めたのか」と質問した。そのさい、田中健五 社 長(当時)の顔色は急速に青ざめた。わたしが回答を催促すると、上半身をフラフラとぐらつかせながら、「そんな細かいことをいわれても、わたしにはわから ない」と、おぼつかなげに回答している。この態度と回答内容は、事実関係の調査をまったく行わなかったことの自認にほかならない。なお、わたしだけができ たと自負するこの質問と田中社長の回答状況について、わずかに報道したのはスポーツ紙だけであって、大手マスメディアの報道はまったくなかった。

 

事件を巡る批評については、『週刊SPA!』では小林よしのり が、「ゴーマニズム宣言 」で数度に渡って西岡を攻撃したが、その一方で宅八郎 が西岡にインタビューを行い、そのインタビューを掲載した。小林よしのり宅八郎 のこのインタビュー記事掲載に強く反発し、後に小林よしのり がSPA!での「ゴーマニズム宣言」を中止し『サピオ 』に移動する一因となった。西岡は事実と違うことが書かれたとして小林に抗議している[23]

 

図書館関係者の雑誌『ず・ぼん 』は西岡と社会学者の橋爪大三郎 の対談「『ナチ・ガス室』はなかったの論理を検証する」を掲載し、同時に、リベラル系のジャーナリスト長岡義幸 の記事を掲載させたが、長岡はこの記事の中で事件を巡るマスコミの報道姿勢を強く批判している。

 
  • 俳優の中村敦夫 は、自身が発行する『中村敦夫新聞』でマスコミが西岡を攻撃しながら反証を挙げていない事を指摘し、事件に関するマスコミの報道を批判した。ただし、中村敦夫 側は、後に『中村敦夫新聞』のこの記事が西岡、木村に好意的であった事を自己批判するコメントを出している[24]
 
  • 保守系言論人の反応は複雑で、上述の古森義久 は、『正論』にも寄稿して、『マルコポーロ 』の記事を激しく攻撃したが、その『正論』の同じ号で、編集部は西岡が中央官庁(厚生省)から圧力を受けた点を取り上げ、中立的な姿勢を保ちつつも、歴史問題に対する中央官庁の介入には警戒する姿勢を示した。
  • 後に「新しい歴史教科書を作る会」を立ち上げる一人となる西尾幹二 は、月刊誌『宝島30 』に寄稿して、『マルコポーロ』編集部の姿勢を、ナチスの極悪さを理解していないと言う視点から批判した。その一方で、西尾は「日本人には、ガス室の有無は検証できない」とする言わば不可知論の立場を表明し、ガス室については、議論を棚上げする姿勢を取っている。
 

風刺漫画  

 

漫画家では、やくみつるいしいひさいち が対照的な視点から事件を風刺した4コマ漫画を描いている。やくみつるは記者会見での西岡を揶揄する4コマ漫画を描いている。それに対していしいひさいちは、文春とSWCが共同記者会見をしている場面から始まり、4コマ目にイスラエル占領地 のユダヤ人入植者がガス管を持ちながら「ガスが出ないぞ」と言っている光景を「入植地にガスはなかった」と言う太文字と共に描いて、やくみつるとは対照的な視点から『マルコポーロ』事件を風刺している。またマッド・アマノ も『フォーカス 』の狂告の時代でこの事件を風刺したパロディーを描いている。

 

言論の自由などに関する事件への批判  

 

一連の事件が収束した後も、この事件を巡る論争が継続した。重要な争点のうちの一つは言論の自由 の観点から提出されたものであった。そこではSWCによる広告ボイコット運動と言う手法と、それに応じて文藝春秋社が取った措置の両方が批判された。

 

月刊『創』編集長の篠田博之 も「この種の言説を紹介するだけでも雑誌廃刊のような目にあうのではと、この問題について言及するのを避けるメディアもあるようだが、これこそまた1つのマスコミ・タブーを作り出すことにほかならない」と批判している[25]

 

更に、記事の執筆者である当時厚生省の職員(医務官)であった西岡が厚生省から記者会見中止の圧力を加えたことは、中央官庁による言論介入が行われたことを意味し、重大であるが、当時の新聞・テレビは、こうした問題を深く掘り下げて報道しなかった。

 

江川紹子によるサイモン・ウィーゼンタール・センター批判  

 

この措置によって文藝春秋社が執筆者に一言の相談も無く、記事の内容を取り消し、広告ボイコットの圧力に屈したとして江川紹子 は、西岡記事は支持しない立場を明確にした上で、広告ボイコットという行為については厳しい批判を加えている[26]

 

第一に、問題の記事をどう考えるかという点だ。私は前述のように、この記事を支持しない。(中略)第二の問題点は、サイモン・ウィーゼンタール・セ ンターのとった、広告ボイコットという手法についての評価だ。(中略)ウィーゼンタール・センターの今回の手法は、民主主義のルールを踏み越えていると思 う。クーパー師は「広告拒否という強硬手段は異例なことだった。ボイコットは大変深刻な場合のみである「と述べたが、私はその答えでは納得できない。『マ ルコ』側は反論の機会を用意していた。(それが同じ号に掲載するべきだったことは前述の通りだが)。『マルコ』に西岡氏の記事の倍のスペースを求めて、同 センターが調査したホロコーストの実態を伝えることもできた。あるいは謝罪を求めるにしても、『マルコ』で出された記事については『マルコ』誌上で詫びさ せるのがスジだろう。ところが、同センターはなんの交渉もせず、広告主へのボイコット要請を行った。(今私の手元にあるマイクロ・ソフト宛のボイコット要 請文書は1月19日付である)。当初から広告による圧力を行ったのだ。仮に文春あるいは『マルコ』編集部の側に交渉の誠意がない場合は、このような強硬手 段もやむを得ないだろうが、この場合はそうではない。(中略)確かに、言論の自由は面倒くさい側面がある。分かり切ったことであっても、異論が出た時に は、きちんと言論によって反論しなければならない。いちいちそうした手間をかけるのは、時に面倒なものだ。しかしそれは、いかなる内容のものであれ、優秀 な独裁者を抱くよりも民主主義を選択している私たちにとって最も大切な原則の一つ言論の自由を守るための、いわば経費である。私たちが惜しんではならない 手間ではないだろうか。自由な議論の中で、事実に反する言論は淘汰されていくだろう。

 

江川紹子 は、更に、こう懸念を述べている[27]

 

今回の事件で、ユダヤ人を巡る問題は完全なタブーになるだろう。前出の木村氏は、西岡氏と同じ立場で単行本を出す予定だが、「新聞広告は出してもら えないし、流通も通常のルートからは拒否されそうな状況」(出版社)という。ホロコースト否定でなくても、ユダヤ人批判は当分マスコミから消え失せるだろ う。それがユダヤ人に対する新たな偏見や差別を生む危険は大いにある。同センターとは別に、冷静に(かつ 然と)交渉を持とうとしたイスラエル大使館が「これが原因で、強大なユダヤの力によって雑誌を廃刊させたなどといわれ、ユダヤに対する偏見を助長させない かと心配しています」(『週刊現代』に対するコメント)と危惧するのも当然だろう

 

言論の自由に関する見解・批判  

 
  • 大月隆寛安原顕 のように中立的立場をとろうとした論者は、『マルコポーロ』は西岡の記事と併せてそれに反論する記事を掲載するべきであった、と述べた。江川紹子 などもその一人である(後述)。
  • 小林よしのり は、上述の様に、事件に関して西岡を激しく批判したが、ホロコースト見直し論に対する言論規制に賛同する発言はして居ない。
  • 一水会 代表であった鈴木邦男 は、事件から1年を経た時点で、新宿のライブハウスロフトプラスワン に記事を書いた西岡を招き、対談を行っている。この場で、鈴木は「言論には言論を」と言う自分の信条を改めて述べ、廃刊に至る文春の行動を批判している。
  • 1997年、評論家の日垣隆 は、西岡が同年出版した単行本『アウシュウィッツ「ガス室」の真実 本当の悲劇は何だったのか?』 日新報道毎日新聞社 が発行するエコノミスト の書評で好意的に紹介し、間接的に、事件当時の言論の空気を批判した。
  • フォトジャーナリストの広河隆一 は、現地アウシュヴィッツ での詳細な現場検証を踏まえて西岡の記事と単行本を批判した上で、こうした議論を全て「反ユダヤ主義」と呼ぶ事の危険を指摘し、ホロコースト の検証自体は自由であるべきだとしている[28]
  • 副島隆彦 はインターネット上でホロコースト の見直しを支持する立場を表明し、さらにに元外務省 職員の佐藤優 との2008年に出版された対談書[29] で、マルコポーロ事件以後、日本の出版物において、ユダヤ人 についての言論に自主規制がかかって居ると言う趣旨の懸念を述べて居る。
  • ジャーナリストの田中宇 は、ホロコースト に関する事実関係の議論は保留し、かつ、マルコポーロ事件その物については触れない形で論争の現状を概観し、ホロコースト を「国際問題の中で唯一分析が禁じられた事項」と呼び、 この問題を巡る世界的言論規制の空気に注意を喚起した[30]
 

出版物でのタブー化の空気とは対照的に、ネット上で、マルコポーロ事件ホロコースト 見直し論を論じるブログ等は、数多い。

 

文芸批評家の絓秀実 は、ヘイドン・ホワイトカルロ・ギンズブルグ の論争に言及しながら、上記のような言論の自由という争点そのものを批判した[31] 。すがによれば、言論の自由という権利は中立的なものではなく政治的闘争の場に他ならないのであるから、その政治性が忘却されてしまった場合、政治的にホロコーストが重要な問題ではなかった日本においては、「ホロコースト否定論 」すら言論の自由の名の下に登場し得ることになるのである。


つづく