西岡による批判  

 

廃刊が発表された1月30日(月)、問題となった論考の執筆者である西岡は、朝日新聞 夕刊紙上(社会面)で、文春の一方的な決定に対する強い怒りを表明した。この記事を書いたのは、朝日新聞社会部記者で、文藝春秋に強い反感を持つ本田雅和 記者であったが、この朝日新聞夕刊に掲載された西岡の肉声が、文春の謝罪と食い違っている事が、事件を複雑にする。

 

西岡は、廃刊発表の2日後の2月1日(水)に総評会館 で記者会見を開く。この記者会見を計画したのは、左翼・護憲派であるが、西岡と同様ホロコースト見直し論者であるフリー・ジャーナリストの木村愛二 であった。一方、文春関係者の一人も、廃刊が発表された1月30日(月)の夜、西岡に電話をかけて、文春・SWCに対抗する記者会見を開く事をひそかに提案しており、当時の文春社内での社員の不満が伺える。

 

厚生省による圧力 

 

廃刊発表の翌日の1月31日(火)、当時厚生省 職員であった西岡の行動に対して、厚生省幹部は、西岡の勤務病院幹部を通じて、事件について今後、一切発言をしないようにと言う圧力をかけている[11] 。特に、その翌日に行われる事となった記者会見を中止するように、強い圧力を加えている。厚生省直轄の勤務病院で、西岡はなかば軟禁状態に置かれた。

 

記者会見当日の2月1日(水)、西岡は、このままでは病院から出られないのではないかと思い、記者会見に出席しないという嘘を関係者に流して厚生省 側を安心させた上で、病院の前に迎えに来た『サンデー毎日』の車に飛び乗り、都内の記者会見会場に到着している。この厚生省からの圧力について、西岡は、 記者会見の冒頭で、官庁名(厚生省)は出さないままに強く批判した。しかし、翌日の朝日毎日読売日経 は、西岡による記者会見自体は伝えながら、西岡が記者会見冒頭で抗議した厚生省による介入については、報道をしなかった。(『正論 』とスポーツ新聞 のいくつかはこの官庁による圧力を比較的大きく報じた)

 

文藝春秋社とSWC共同記者会見  

 

翌2月2日、文藝春秋社とSWCはホテル・ニューオータニで共同記者会見を開催した。厳重な出席者制限の下で行われた記者会見であったが、廃刊の決定に不満を持つ文春社員は、上層部の方針に反してホロコースト見直し論者であるフリージャーナリストの木村愛二 を会場に入れている。木村はSWCと文春を厳しく追及した。また、会場では『マルコポーロ』次号に阪神大震災のルポルタージュを執筆すべく神戸で取材中だったフリー・ジャーナリストの江川紹子 も現れ、SWCの圧力行動を激しい言葉で非難した(江川は、記事の内容は支持していない)。この記者会見を江川紹子は次の様に批判している[12]

 

田中社長の記者会見について。

 

田中社長は記者会見の中で自らの責任を問われ、きょとんとした表情で「どういう責任ですか?とってますよ。こうやって。僕がやめちゃってどうするん ですか」と問い返した。日本を代表する出版社の一つである同社がこのような不透明な決着をしたことの重みを分かっているのかと首を傾げたくなった。田中社 長の陽性な気質は攻勢にある時は、帆に順風を呼び寄せる力となったのだろうが、このように「守り」の態勢では逆風を煽る。隣の塩谷北米総局長が、田中社長 が次に何を言い出すか心配そうに見つめ続けていたのが印象的だった。この点に限らず、田中社長の会見での表情は、「身を切られるような決断」(会見での発 言)をしたとは思えない、明るいものだった。記者の中からも「今日の会見の雰囲気をみていると、ややこしい問題は早く謝って切り抜けようという感じが伝 わってくる」という感想も出たほどだ。田中社長の言動に会見場では何度か失笑が漏れたのだが、当人は「なぜ笑いが出るのか分かりません」と首を傾げてい た。(中略)最近部数が伸びてきたとはいえまだまだ赤字の『マルコ』だから、そう迷うこともなく切る決断をしたのではないか、との懸念は、今回の田中社長 の表情を見て、ますます膨らむばかりだ。それにしても、と思う。私はこの記者会見で、田中社長が苦渋に満ちた表情、断腸の思いを滲ませた口調があれば、自 分自身を納得させようと思っていた。そうでなくても、サイモン・ウィーゼンタール・センター側の説明が真に胸を打つものであれば、こうした結論も仕方がな いとあきらめがついたかもしれない。しかし、残念ながらそのどちらもなかった。

 


 

SWC、クーパー師についての批判。

 

そしてクーパー師にも私は失望した。彼は「今回の記事は、投下されたのは原爆でなく、普通の爆弾だったと書かれたようなもの」としながら、問題に なった原爆切手の発行について触れ、「切手のデザインに対して、日本から信じがたい感情的な反応があった。その結果原爆の被害を受けた人々の思いを汲んで デザインが変えられた」と述べた。(中略)同センターは「ユダヤ人の人権団体」とマスコミで紹介されているが、本当に人権問題に取り組んでいるのなら、こ のようにな発言はできるはずがない、と私は思う。ましてや原爆切手に対する反応を「信じがたい感情的な反応」と表現するに至っては、まさに絶句してしまっ た。言論の自由についての私の質問も半ばはぐらかされてしまった。重ねて回答を求めたが、質問の時間が制限され、かなわなかった。同師は一つの質問に対 し、私たちには理解できないユダヤの例え話を含め雄弁に語った。あまりに話が長すぎて、「演説を聞きに来たんじゃない。これじゃ質問ができないじゃない か」という声も上がった。

 

宅八郎の指摘  

 

週刊SPA! 』にコラムを連載していた宅八郎 もこの記者会見に出席したが、繰り返し挙手をしたにもかかわらず、最後まで指名されなかった。宅八郎は、この日の記者会見場の空気をこう描写している[13]

 

いやあ、ボク、会場入り口の受付で、文春の人に念を押されちゃった。「頼みますよ、宅さん」だって。不穏なものを感じたのかな(笑い)集まった記者 の数、数100人。外国人記者も多かった。みんなマジメ。間違っても芸能レポーターはいない。同時通訳の電波で流される受信機のイヤホンをみんなが耳に 突っ込んでるのが異様だった。ボクの存在も浮いちゃってたけどな。会見は、文春の全面謝罪白旗降伏なんだけど(当たり前か)、花田編集長が来てなくて(呼 ばれてなくて)、記者たちは不満顔。記者の追及の矢面に立ったのは、田中社長だった。それでボクも、最前列で、質問しようと2時間もずっと手を上げてた (笑い)。だけど、司会者はボクだけは完全無視してて、絶対に指してくれないんだよな。チェッ。事件について整理しておく。まず、「歴史好きの医者」が書 いた「ナチ収容所でのユダヤ人虐殺はなかった。なぜなら証拠がない」という記事にはかなりズサンな印象を持っていた。「証拠がないから歴史にない」という のは乱暴だからだ。ただしボクは、人間、あらゆる見解を持つことは自由だと考えている。だから断定でなく、それまでの定説に疑義をていする範囲であれば、 問題は少なかっただろうと思う。(表現の自由の範囲外として、ホロコースト否定を唱えた者を罰するドイツの法には疑問があるが、少なくとも「ナチス問題」 の当事者国の民意としては一定「認識」は必要だろう。)それを断定的に「公表」するには、明証責任が発生する。つまり、記事に「ガス室は歴史上なかったと いう証拠」を提出しなきゃならなくなる。ユダヤ側も発言していたが、やはり記事を断定支持したととれるリード文が、出版責任として問題となったのだろう。 しかし、会見の文春側の対応は、しどろもどろ。「何が問題なのか。何を謝罪しているのか」さえ曖昧なものだった。記事に事実誤認があったのかどうか、掲載 したことが問題なのか、ハッキリ認識していないようでもある。事実誤認があったというなら、「どこが」を指摘しなければならない。思ったのは、ワイド ショーのレポーターじゃないけど、「社長、それで、ガス室はあったんですか!なかったんですか!」という質問がとべば、文春は困ったんじゃないか(笑 い)。それがたんに「ひでえ記事でユダヤ人を侮辱してすんません」なんてコメントじゃ、記事を書いた人だって怒るだろう。今回、著者を置きっぱなしにし て、文春がとった措置(回収・謝罪・廃刊)に著者自身は怒っている。出版社の著者に対する無責任だと感じた。これじゃ「載せ逃げ」だ。著者一人に責任を取 れずに、ユダヤ人に責任を取ったつもりなのか。著者に対する責任をどう考えるのか。これは、同じく著者として生きている人間にとっての大疑問である。その 無責任さは、廃刊にもつながっているよう思う。頼まれたわけでもないのに、勝手に自発的に廃刊にしたんだぜ。議論の余地をみずから絶つ「廃刊」なんて無責 任だろう。建前だけの謝罪。「謝ってあげよう」「廃刊するんだから許して」としか思えなかった。しかし、会見ではマジメな新聞記者の質問も、建前しか返っ てこないものではあった。「事件は今後の出版方針にどう変化を与えるでしょうか?」なんて聞いてどうするんだ。(笑い)ボクも指名されたかったなあ。なぜ か、有名新聞記者ばっかり質問していたな。

 

イスラエル大使館の見解  

 

こうした騒動の中で、イスラエル大使館 の行動は慎重で、SWCとは距離を置いていた。

 

1995年2月8日産経新聞夕刊において、ガノール駐日イスラエル大使(当時)は「過剰に反応するのは日本とイスラエル双方にとって危険この上な い」と発言した。西岡はのちに「ガノール大使(当時)のこの発言はイスラエルが暗にSWCの過激な反応を批判した物ではなかったか?」と論じている[14]

 

またイスラエル大使館は『週刊現代』の取材に対して、「これが原因で、強大なユダヤの力によって雑誌を廃刊させたなどといわれ、ユダヤに対する偏見を助長させないかと心配しています」と述べている[15]

 

ポーランド大使館の態度 

 

また、記事の中で西岡に「ガス室を捏造した」と名指しされたポーランド大使館は沈黙を守っている。新聞、テレビは、ポーランド大使館の沈黙に注目しなかったが、『噂の真相 』は、ポーランド大使館に沈黙の理由を問い合せている。この『噂の真相』からの問い合わせに対し、ポーランド大使館は「既に抗議活動が起きていたので、それに加わる必要はないと考えた」という意味の回答を寄せている。

 

討論集会  

 

木村愛二は、『マルコポーロ』廃刊事件後、2月15日及び2月18日に総評会館で討論集会を開いている[16] 。席には、月刊『 』編集長の篠田博之 が中立的な立場から司会者として加わった他、アメリカのユダヤ人で、左翼リベラルの立場からホロコーストの再検証を行っていたビデオ作家のデイヴィッド・コール (David Cole)や、731部隊 の研究で高名な常石敬一 (神奈川大学教授・科学史)なども中立的な立場から参加した。

 

2月18日の討論会の場で、常石敬一 は、ナチスドイツは、アウシュヴィッツ 等のガス室で、議論の多いツィクロンB を使ったのではなく、サリン 等の神経ガス を使用したのではないか?と言う新説を述べた。又、同じ2月18日の討論会の場で、アメリカ留学経験のある朝日新聞の本田雅和 が、堪能な英語で、「ヒトラーが演説の中でユダヤ人絶滅を予言していたのでは?」と質問し、コールが反論する場面などがあった。

 

アジア記者クラブ主催講演  

 

また、アジア記者クラブ は、 西岡と木村を招いて、会合で二人にマルコポーロ廃刊事件とホロコースト見直し論に関する講演を行わせている。集会は盛況で、全体としては、西岡と木村に対 して好意的であったが、左翼系である同記者クラブが、ホロコースト見直し論者である西岡と木村を招いて講演を行わせた事に反発して、欠席したメディア関係 者もあり、同クラブの反応は分かれた。

 

オウム真理教への強制捜査などの報道の中で、この事件の報道は下火となるが、文藝春秋社で開かれたSWCによるセミナーのやりとりが密かに録音され、『噂の真相』で記事として暴露された。

 

渡辺武達による批判 

 

一方、同志社大学教授の渡辺武達 は、雑誌『第三文明 』1998年9月号[17] にて、文藝春秋を次のように批判している。

 

文藝春秋はもともと、(1)販売政策としてもうかる(2)結果として記事が市民層を揶揄し、権力層の好む方向での世論形成になる、という条件のいず れかをクリアーしさえすればなんでもしてきた会社だから、この廃刊についても外向けにはユダヤ資本のからむ広告主が圧力をかけたから……などと、俗耳に入 りやすい説明が流れるままにまかせ、「自分たちは弱者、被害者だ」というカマトトぶりを演じた。広告主……については、私もまたそれが廃刊の理由の一つだ と思う。が、この文藝春秋は、とりわけその雑誌記事を分析すれば分かるように、新潮社とおなじく公安権力との関係が深く、オーディエンス(読者・視聴者) を誤導する情報提供をしばしばしてきたところであることを私たちは忘れてはならないだろう。

 

さらに、文藝春秋取締役であった岡崎満義 が、1996年 6月10日情報化メディア懇談会 での講演において、西岡記事は正しかったこと、ユダヤ人団体(SWC)は「テロ組織」と示唆した[18] うえで、「『マルコポーロ』誌の廃刊の理由は記事内容が間違っていたとか、広告量が減ったことなどによるものではなく、ある筋からいまのままでは日本の海外駐在員がテロにあう危険性があるという情報が入ったためである」と発言している[17]

 

この岡崎発言について渡辺は、「思わせぶりに語られる「ある筋」とはどこなのか。これは文藝春秋という出版社が外向き用と内向き用では正反対の 「舌」を平気で使い、同時にたえず自己弁護をはかっている、げに恐ろしいところであることをよく表している」と文藝春秋を批判した。

 

マルコポーロのこの号には、松本サリン事件 の 現場をアメリカの化学兵器専門家が検証し、事件は、温かくなった頃に又起きる可能性がある、と、地下鉄サリン事件を予言したかの様な記事が掲載されていた 他、著名人が入って居る宗教団体を暴露した記事も載っており、廃刊の真の理由が、西岡の記事以外に有った可能性も残るが、真実は不明である。


 

花田編集長の動向 

 

『マルコポーロ』編集長の職を解かれた花田は事件後沈黙するが、文藝春秋社を退社し、『朝日新聞』が立ち上げた女性向け月刊誌『UNO! 』編集長に就任し、マスコミを驚かせた。

 

花田の朝日新聞移籍に際しては、朝日新聞の本田雅和 が自社批判を展開している。

 

なお、この『マルコポーロ』最終号の表紙を飾って居たのは、後にテレビドラマ『医龍』等で人気を集める女優稲森いずみ であった。

 

海外での報道  

 

『マルコポーロ』の廃刊をめぐっては日本国内外で大きく報道がされた。日本国外では、ドイツ、オーストリアで、この事件が大きく報道されたほか、アメリカ合衆国の新聞各紙も、この廃刊事件を比較的大きく伝えている。

 
  • AP通信は、総評会館での記者会見の後、西岡に英語でインタビューを行い録画している。
  • 後にフリージャーナリストとなる徳本栄一郎 は、当時ロイター通信 の記者で、西岡に長時間のインタビューを行い、厳しい質問を浴びせたが、比較的中立的な記事(英文)を書いている。
 

日本国内での報道  

 

新聞  

 

当時の日本の新聞、雑誌報道の大部分は、記事の内容に関する議論を避けている。また『マルコポーロ』の廃刊が決定される直前、SWCが西岡がアウ シュヴィッツを訪れていないとする事実に反するファックスをマスコミに送付したため、マスコミの関心は、西岡はアウシュヴィッツを訪れたのか、花田にはい つ会ったのかなど、末梢的な事柄ばかりに費やされた。その中で、記事の内容に比較的踏み込んだのは『朝日新聞』で、前述の本田雅和 が社会面で「西岡論文とは何だったのか?」と題された大きな記事を執筆したが、他の新聞は総じてこうした記事の内容に関する検討を避けた。

 
  • 読売新聞 』と『毎日新聞 』が特に記事に対して批判的で、『毎日新聞』は事件前に西岡が多くの個人、マスコミに送付したパンフレットと記事の原稿を混同して、それを売り込みと誤認する記事を掲載している。同様の事実誤認は『週刊SPA! 』誌上で「ゴーマニズム宣言!」を連載していた小林よしのり もしている[19]
  • 読売新聞 』が発行していた月刊誌『This is 読売 』でも西岡を批判。
  • 産経新聞 』は、西岡の問題提起自体については大きく取り上げながら、SWC側の見解を古森義久 のインタビューによって伝え、またイスラエル大使館の発言を伝えるなどバランスを取っていた。
  • 日本共産党 機関紙『赤旗 』はこの事件を大きく取り上げ、収容所の写真などを掲載して、『マルコポーロ』が掲載した西岡の記事と文春を強く批判している。
  • スポーツ新聞では西岡に同情的な記事が複数見られた。夕刊フジ はこの問題を連日大きく報じたのに対し、日刊ゲンダイ は、扱いが小さかった。
 

雑誌、週刊誌  

 
  • アエラ 』では当時『アエラ 』の記者であったジャーナリストの烏賀陽弘道 が記事を執筆している。
  • 週刊プレイボーイ 』は、この事件をスミソニアン博物館 における原爆展示内容の変更事件と並べて取り上げ、西岡側にやや同情的な記事を掲載した。ま
  • 朝日新聞が発行する月刊誌『科学朝日 』が「リビジョニストの科学」を掲載。
  • フライデー 』は中立的な記事を伝えている。
  • 月刊『 』は創価学会 寄りの雑誌であるが、この事件を取り上げた浅野健一 の記事は、浅野が木村愛二 と個人的に友人であったためか、西岡の記事の内容に関する検証を避けている。
  • 『週刊現代』(1995年2月18日号)は「言論には言論でという自由社会の「言論の自由」が、強力なプレッシャーを保持するSWC(ウィーゼンタール・センター)には通用しないとも受け取れる」とSWCの手法に疑問を投げ掛けている[20]
  • ニューズウィーク 日本版』は「『ユダヤ人は自然死だった』で揺れる歴史学会」(1989年6月15日号)で、プリンストン大学 のユダヤ系歴史学者アーノ・メイヤー が、 アウシュヴィッツで死亡したユダヤ人の多くは病気や飢餓であったとする問題提起をしたことを取り上げた雑誌であり、西岡が『マルコポーロ』にこの記事を書 く最初の切っ掛けを生んだ雑誌であった。しかし、『マルコポーロ』事件に際して、この雑誌が事件を取り上げた報道は非常に小さく、ほとんど取り上げないに 等しい扱いであった。
  • 週刊金曜日 』は、『マルコポーロ』廃刊の数か月前まで本多勝一 がホロコースト見直し論に強い関心を抱き、木村愛二 に連載を依頼したり、本多自らが、西岡が野坂昭如と共に主宰していたホロコースト見直し論の研究会(情報操作研究会)に出席して好意的な姿勢を示していたにもかかわらず、『マルコポーロ』が廃刊になると、記事と文春を攻撃した。これが、後に木村愛二 の同誌に対する提訴の一因となるが、木村は『マルコポーロ』編集部が西岡の原稿の掲載を先送りにしていた際、本多がその西岡の原稿自体を『週刊金曜日』に掲載出来ないか?と打診して来たと述べている。
  • 月刊『創』は、編集長篠田博之による記事「文藝春秋・田中健五前社長の憂鬱」のほか、江川紹子による長文の記事(「『マルコポーロ』廃刊事件で何 が問われたか」)、福田みずほによる西岡の記事と文春への批判(『ホロコースト』の嘘-ドイツでの反応」)、そして、西岡自身の談話を元に構成した記事 (「『ガス室はなかった』記事執筆の真意/「もともとの関心はメディアの情報操作にあった」」)を並べて掲載し、この問題を大きく特集した。
 

テレビ  

 
  • NHK による『マルコポーロ』事件の扱いが、他局のニュースと比較して格段に小さかったがその理由は不明である。
  • 日本テレビ は、廃刊が発表された当日この問題を大きく取り上げ、その際西岡の記事の中の「まず、日本の新聞やテレビが言っていることは全部忘れてほしい」と言う箇所をクローズアップで映し出した。
  • TBS は、筑紫哲也 NEWS23筑紫哲也 が記事と文春を批判した他、サンデーモーニング関口宏 が 西岡の記事の結論である「アウシュヴィッツのガス室は、ポーランドの共産主義政権かソ連が捏造したもの」と言う文を口にした後、当時同局の論説委員であっ た青木にコメントを譲ったが、青木は「私たちには放送法があるので」と言う理由で記事の内容についての判断を避けている。また、TBSのディレクターが西 岡に個別取材を申し入れたが、西岡が生放送での出演を求めたところ、拒絶されている。
  • 田原総一朗 が司会を務めるサンデー・プロジェクトテレビ朝日 )は、この事件を全く取り上げなかった。
  • フジテレビ は、事件後、ワイドショーのTVクルーズ となりのパパイヤ がこの問題を大きく取り上げ、コメンテーターとして出演した猪瀬直樹 が アーノ・メイヤーの見解を取り上げた『ニューズウィーク日本版』の記事をカメラの前に示し、「今回の記事と似たような事をプリンストンの教授が言ってい て、それを『ニューズウィーク』が取り上げたことがあったが、その時は反論も取り上げたので問題が起きていない」という意味の指摘を行った。
 

インターネット  

 

こうした事件後の報道がなされた当時、インターネットは、まだ普及していなかった。しかし、PC-VANでは、この問題を巡る討論がなされ、この討 論には、西岡自身も参加している。このパソコン通信上の議論については、月刊「創」がこれを伝えた他、ホロコースト見直し論(否認論)を厳しく批判する歴 史学者たちも関心を寄せ、自分たちの座談会を収録した単行本『ショアーの衝撃』において、簡単にではあるが、言及している。


つづく