8月12日のウォールストリートジャーナルに、表題の経済コラムが載っていた。


長くなるが、私なりに解釈しながら読み進めて行く。(以下WSJはウォールストリートジャーナルの事である)


(WSJ引用開始)
人口が国の運命を決めるわけではない。1300年代、中国は欧州よりも人口が多く、世界最先端の技術を有していた。だがその隆盛は続かなかった。1850 年ごろの中国は、人口で欧州を65%上回っていたが、産業革命のおかげで欧州は比較にならないほどの豊かさを享受していた。


(私の解釈)
上記の出だしは、人口の多さ、技術力が国の豊かさと比例しなかった例を、過去の時代の二点を取り上げて、中国と欧州の比較をしている。

思うに、ここで言っているのは、資本家が技術を使い、市民を労働者として金融的に隷属させているかの度合いが中国よりも進んでいたと言っているのであろう。私は、「産業革命」と「ルネッサンス」については、色々考えるところがあると思っている。文化や、産業が、都合よく集中して開花する時代なんてあるのであろうかと・・・・・・・・・・・・。そんな変な事を考えるのは私だけであると思うが、そういう風に学校で教えてこられたように、産業革命によって今の世界はあるのだ、技術力によって生産力はアップしたと考えていていいのであろうか?

もしかしたら、そういう技術力は発明されたのではなく、もともとあって、誰かの都合よくタイミングをはかって、世界へと登場させられたのではないかと考えるのは、私だけなのであろうか?超古代には、「空飛ぶ円盤」「原子爆弾」と考えなければ筋が通らない記述が沢山見出せる。(竹内文書、マハーバラタ、ラーマーヤナ等)そういうさまざまな技術が過去にあったのに、人間は、それを忘れてしまっているのか?それは、伝承されていなかったのかという疑問がわいては来ないのだろうか?

実は、しっかり伝承されていて、時代の時々に小出しにされ、産業革命の時に(歴史が事実であろうならば)何かの意図を持って、集中して出されたのではあるまいか?

我々の認識の過程を刷りかえる為に、歴史は、支配者の為に都合よく書き換えられる。宗教の中身についても書き換えられる。(キリスト教 ニケーア公会議 三位一体説等)645年大化の改新で蘇我氏が滅ぼされたが、藤原不比等ら大陸からの渡航者の子孫よって古事記、日本書紀は編纂され、それ以前の記紀を隠してしまうことによって過去を神話の世界へと隠してしまった。神話にしてしまえば、そういうことが本当に起きたのかどうかが疑わしくなる。

しかしながら、ハインリッヒ・シュリーマンは、ホメロスの叙事詩「イリアス」を小さい時から好きで暗誦するほどになり、古代への情熱が抑えきれなくなり、行動した結果トロイの遺跡を発掘した。我々の知らないところで、教科書に書かれていない本当の文明はまだまだ眠っていると確信しているし、そういう事実が公のものとなるのを恐れ、眠らせておかなければ都合が悪い輩が存在する。これが、今の社会の姿なのである。一段落一段落ごと読みながら、私の頭に浮かんだことを紐解きながら記して行こうと思う。

このWSJのコラムを読んでいると頭の中に色々と思い浮かんでくる事がたくさん出てきてしまう。今回は、ブログというよりは、忘備録になってしまうかもしれない(苦笑)あの時に、このコラムを読んでこんな風に考えたんだなという記録が残っていればと思い書き記すのである   (続く)