こんにちは。
新留です。
「人が考えているかどうかを決めるのは、その人が書いているかどうかである。」
これは、『あの人はなぜ、東大卒に勝てるのか』の中で津田久資さんが書いていた言葉ですが、書くことがいかに大事かを述べた名言だなと思います。
授業中、子どもたちに「手を動かそう」とよく言うのも、書くことで考えることができ、書くことでその子が考えたかがわかるからです。
いい学びにはフィードバックが大切ですが、考えたことが見えないと、こちらも適切なフィードバックができません。
国語の文章や算数の文章題、中学入試などで見られる理科や社会などの長い文章を読む際は線を引きながら読む。
問題を解く際は、ポイントとなるところや、求められていることに線を引いておく。
読解時には大事な接続語に印をつけたり、メモしたり、 算数の文章題を読みながら書いてあることを図にしたり、図形に線を引いてみる。
こういった「手を動かす」という作業が、「考える」ということを促したり、補助したりしてくれます。
ノートを書き写すときにも、子どもたちに「写すのが授業じゃないよ〜」といって、自分でテキストを見ながら書くことを促していますが、
ノートを書き写すだけでは勉強としての効果はあまりなく、「自分の言葉で書く」、「自分で調べたことを書き足す」ことが大事です。
マインドマップが有効なのは、自分で書く、書き足す、絵などで表すなどの要素が入っているというのも あります。
線を引くときも「目的を持って引く」ということが大切で、線を引くことが目的になっていないか チェックしていく必要があります。
「書く」って、ちょっとしたことですが、大きな差が出るところなのですね。
ただし、「書く」と似ているけれど、「塗る」はちょっと違ったりします。
マーカーで資料集などをたくさんカラフルに塗っている子がいますが、これには注意が必要です。
「アンダーラインを引く」ことには効果があるという研究結果や論文などもあるのですが、
それらはあとで読み返しやすいようにということだったり、自分で考えてという条件だったりで、
先生が言ったことをマーカーで塗るだけでは、自分で考えていないので「ほとんど意味はない」でしょう。
塗っただけで脳が安心してしまうし、塗っただけで勉強した気になってしまうのですね。
結局、勉強というのは言われてこなすだけではほとんど意味はなく、自分でどれだけ考えたかが大事なのです。
かつて東京大学の英語の1992年の要約問題にも「蛍光ペンが教育に与える弊害」として出題されたことがありますが、
そこで述べられていたのも、蛍光ペンを使用すると、ペンや鉛筆とちがい、本来、能動的、批判的、分析的な読書をしなくてはいけない若者が、受身な読書になってしまうという、若者の勉強のやり方への警鐘を鳴らす内容でした。
「書く」と「塗る」は似ているようで、ちがうのですね。
そして、「書く」ということには、ワーキングメモリの負担を減らすという効果もあります。
ワーキングメモリの小さい子というのは、すぐに忘れてしまいます。
それは、指示の内容を忘れるというだけでなく、ときにはすべきことが何だったかということ自体も忘れてしまうのですが、
書くことで脳の負担を減らすだけでなく、忘れることを防ぐこともできるのですね。
とくに、10歳以下のワーキングメモリの小さい子などは、関連性のない3つ以上の項目を覚えておくことが難しいと言われているので、小さいときから習慣として書くクセをつけておくといいですね。
他に、漢字を覚える際には、「音読しながら書く」ことで、聴覚と視覚を同時に使って学ぶことになるので、より少ない時間で、より少ない書き取り回数で覚えられることがわかっていたり、
算数や理科などは、テキストなどに載っている図やイラストなどを描き写すだけで理解や記憶が 深まることがわかっています。
ワーキングメモリの弱い子は、読むことや算数で学習の遅れを生じやすいといわれていますし、
とくに算数や数学はワーキングメモリへの負担の大きい教科ですので、「書く」ことが効果を発揮しやすいです。
子どもが勉強しているとき、「読む」だけになっていないか。
線を引いたり、図を描いたり「かく」ということをしているか。
ぜひ、チェックしてみてくださいね^^