「なんでこの仕事選んだん?」

その振り返りを

グダグダ書いてみました。

↓前回はこちらね。

たまには自分を振り返る。その1 福祉の仕事を選んだキッカケ

たまには自分を振り返る。その2 最初の仕事は職業訓練?

 

さてさて、

おっちゃんの初めての仕事は

授産施設って障害者さんの施設となりましたってのが、

前回までのところ。

 

※ちなみに授産施設ってのは

おっちゃんがいた頃には

障害者の人たちが職業訓練をして工賃を貰いつつ、就職に結びつける場って

説明されてました。

つっても実際に就職に結びつけた人はほとんど、というかおっちゃんが働いていたころは一人もいなかったなぁ。

 

ちなみに、いまは若干定義づけが違いそうですね。よろしければご参照まで↓

コトバンク 授産施設

 

それにしても・・・

いやホントにハナシ進まないな。

(;^ω^)

 

さて、

誰でもそうかもしれませんけど、最初の仕事って後々までの基準になったりしませんか?

 

自分にとってはこの授産施設

での経験が本当にそれで、

初めての仕事で尊敬できる先輩に会えたことは本当に幸運だと思っています。

つか、師匠って勝手に心の中で読んでました。いや今もか。

 

お師匠が最初に教えてくれたのは、『何のために自分がここにいるのか?』

この仕事における自分の役割に、まずはちゃんと向かい合いなさい。ということ。

 

ちなみにおっちゃんが

この授産施設でついた部署は

点字印刷部門。

視覚障害を持つ方が原版、印刷を受け持ち、

職員は原版作成に必要な元文書のテープ起こしや印刷後の製本、発送のための雑務や郵便局とかへの配送。

見ることが必要な部分でのサポートが主な役割でした。

 

さてさて、

そんで授産施設における職員の立場は肩書上指導員となっておりますが、

 

上記の役割を見ていただいてお分かりのとおり、職業訓練や指導ではなく完全に分業になっちゃってる訳でございます。

 

実際点字どころか仕事を何にも経験していないガキが

すでにこうして働いている人たちに指導なんておこがましい真似できるわけないじゃん。

ってぇのが最初に実感として解るわけでございますし、

確かお師匠にも最初に釘を刺された気がします。

 

んで、じゃあ自分は何のためにここにいるんだってぇことでございますよ。

そうするともう

職員とか利用者とか関係なく

ここにいる人のお手伝い。

ってくらいにしか自分にはできなかったし、

別に職員だろうが偉くもなんともないってぇ当たり前のことが

実感として分かるわけでございますよ。

 

何よりもお師匠の姿がね。

自分の仕事に真剣に向き合ってたし、

利用者って立場上呼ばれてる

視覚障害のみなさんに対しても

仕事の同僚として

へりくだらず威張らずに当たり前に付き合っていたのを間近で見る事が出来たのは本当に幸運だったと思う。

 

残念な話だけど、

ほかの部署の一部では

利用者さんから『先生』って呼ばれて勘違いしていたり、

利用者さんを下に見ていたりバカにしている様子が透けて見えていたので、

なおの事この部署で良かったって振り返って思います。

 

つか、他の部署にいたら

勘違いしたみっともないガキのまま、年齢だけ重ねている。

なんて事になっていたんじゃないかな。

 

あわわ。大分長くなっていた。

ま、ぶっちゃけ給料はめっさ安かったんだけど

当時は仕事に対する不満は

(部署内に限り)全然なかったんです。

 

仕事をしていると点字のことや

視覚障害の人に対する歩行とかそのほかのサポートの仕方も身に着けられたし。

 

でも、ごく一部だけど

時折ちょっとした

身体介助を職員としてして

させてもらっているうちに、

 

こうして関わるなら

介助や介護の技術もちゃんと身に着けた方がいい、

というか身に着けるべきなんじゃないか?

 

って思うようになりました。

幸い、自分が所属していた法人はその中にデイサービスや

より重度の障害を持った人が暮らせる生活施設もあったので

4年勤めた後異動を希望し

介護の世界に飛び込むこととなったワケでございます。

 

ってところで、

またグダグダ長くなったので

次に続くことと

させていただきやす。

 

しっかし、短くまとめるのが本当に下手だねぇ自分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんでこの仕事選んだん?」

その振り返りを

グダグダ書いてみました。

↓前回はこちらね。

たまには自分を振り返る。その1 福祉の仕事を選んだキッカケ

さて、

ばあ様と少しだけ一緒に暮らしたことをキッカケにして

介護の勉強をしようと職業訓練校に通ったワケでございますよ。

 

この職業訓練校

半年コースと1年コースがありまして、どちらも同じヘルパー1級が資格としていただけるわけでございます。

半年コースの方がカリキュラムが期間が短い分ハードだったのかなぁ。たぶん。

 

けっこう若い子が通ってたなぁ。

自分もそうだったけど中学や高校卒の若い子が半分くらいいたような記憶がある。

 

もう27年も前の話で、

たしか当時ちょうど介護の話題が社会でクローズアップされ始めたあたりだったと思う。

認知症の老人のドラマとかもあって、チラッと見てショックを受けた記憶もうっすらとあるなぁ。

若い子が比較的多かったのも、その影響があったんじゃないかと今になると思うよ。

 

一クラス30人くらいだったかな。

その中に男が3~4人いたと思う。高校卒のが自分含めて3人。社会人が1人。

 

んで、学校のグループとしては

中学・高校卒でそのまま来た若い子の集まり。

比較的落ち着いた社会人の女性グループ(主婦多め)

あとグループから外れた自由な人たちがそれぞれって感じかな。

おっちゃんは当時から

コミュ障よりのダメ人間だったので、グループから外れた人たち側。そのさらに外側という感じ。

少ない男性の中のおとなし目の人とばかり話してたなぁ。

 

クラスとの仲が良くなかったわけでもないし、クラスの雰囲気も良くてみんないい人だった記憶だけど自分の気持ちとしてはなんだか距離を置いていたように感じる。

 

むしろ向こうの方が気を遣っていろいろ構ってくれてたなぁ。

いま思うとだけれども。

 

学校の勉強も面白かった。

機械浴の演習とかレクリエーションの演習、

コミュニケーションの概論とか実演とか。洗濯の理論とか。

点字や手話とかも習ったりしてね。勉強というより自分にとってはオモシロ体験だったんだろうなあ。

 

あと施設への実習もありましたね。老人ホームでの介護の実際や知らなかった障害者施設での訓練の様子など。

ビックリしたしショックも受けたけど。、こうした実際を知るのは決して嫌ではなかったです。

 

さて、話がめっさ逸れてしまいました。

こうした体験を経て最初は福祉の仕事に就くつもりなんて全然なかったおっちゃんですが、

これは自分に合ってるかもって関心を持ったところが出てきました。

 

それは障害者の授産施設。

えっと、めっさ平たく言うと

障害を持った人が工賃をもらえる職業訓練をしながら

就職に結びつけるようにするって施設ですね。

 

関心を持ったのは実習や見学を通じてで、

その時の見学を受け持った人の話がめっさストレートで面白かったことと

実習をさせていただいて、

これなら自分にもできるかも。

って思ったのが大きいんだろうなと思います。

この辺の動機は正直記憶もあいまいだけど。

学校での体験を通じて福祉の仕事をしようと思ったけど、いきなり介護をするのは不安でもあったんだろうなぁ多分。

 

でも、ここを選んだというか

ここで最初に仕事を教えてくれた人に会えたのは本当に幸運だったと思う。

 

長くなったので次にしますが、

この先は障害者施設での話ですね。

われながらグダグダ長くて申し訳ないですが、

お付き合いいただけましたら幸いでございます。