昨日は東京にて行われました
『ペイシェントサロン根津』に
参加させていただきました。

FBのフレンドさんが
このイベントに参加する記事を見て、
興味をひかれてイキナリ参加させて貰いました。

イベント主催者さんたち身に覚えのない名前があってビックリしたご様子で、事前にちゃんとメッセージなり入れるべきだったなぁと反省でございます。

このイベントの大事な点はお茶をしながら医療について気楽に患者視点で交流できる。というところ。
こうしたイベントは医療者から見ても大事な機会であると思います。なにしろ医療者は医療者の視点に沿って物事を見る事が多くって患者さんの視点に立てって言われるけど日々の業務の中視点が狭くなりがちですから。

なんてもっともらしく言ってますが、
このイベントに飛び込んだ理由は今回のテーマが「鍼灸を知ろう!」という鍼灸師さんからお話を聞ける貴重な機会だったから好奇心で顔を突っ込んだというのが正直なところでございます。(^_^;)。

日本の鍼や中国の鍼の実物を見て触ったり、
お灸についての説明を聞いたり
生で見て先生のお話を聞くと、やはり印象は大きく変わるものだなぁ。
目からの情報で言うと、中国鍼。以前聞いた情報で中国の鍼の方が太く、痛みや出血を伴う事もあると聞いていたので、もっとゴッツイ鍼を想像していたのですが、思ったよりも細いんだなというのが正直な感想です。
(といっても持ってきた鍼は中国鍼のなかでも細いものであるとのことなので、もっとゴツイのもきっとあるのかなと)

そして、鍼治療そのものに関する印象も大きく変わりました。
鍼というとどうしても血流やツボに関する事なので、
コリをほぐし痛みを和らげるということに特化しているのかなと勝手に思い込んでいたのですが、
今回の講師の藤田先生は女性ホルモンのバランスを整える事が得意とのことで、生理痛や更年期障害・PMS(月経前症候群)などへのアプローチを行う治療院を開業されるとのことです。

http://www.taiseidou89.com/jyoseihorumon.html

あとめまいに対する治療も得意とのこと。
こうした疾患に鍼が対応できるというのは本当に驚きでした。

先生によると、鍼灸師によってそれぞれ得意分野は違うとのことで、そうした情報が事前に分かると治療を受ける側もいろいろ探せていいのではと感じました。


そして、先生のお話しでは鍼灸院はまだ一般的には敷居の高い存在であるようで、普通に立ち寄ってもらうためにはまだまだ課題があるとのことでした。

後半の話はそうしたことにどう対応したらいいのかという事を知ろうと目線での話し合いで語り合っていましたが、
医療について身近に感じてもらうにはどうしたらいいか。
それは医療者にとっても大事なテーマであると思うので、結構話し合いの内容を頭にとどめておかないといけないなぁと思いつつ自分もいろいろ課題を自覚して動かないとなぁと感じた8/3の夜でございました。


こちらのイベントまた次も是非とも参加したいなぁ。

PS.先生の治療院のHPにて
治療を受けた方へのインタビュー動画がありましたので貼らせていただきました。




鍼灸治療に興味を持つ方への参考になるかと思いますので、沢山の方に見ていただきたいですね。

↓こちらのブログを拝見していろいろ考えさせられました。
http://ameblo.jp/angsanaorchard/entry-12055149761.html

加害者。
こちらは精神科医療の話ですが、
高齢者医療に携わるものとして、自分も加害者であるという事実を直視しなくては。そう感じる事が多々あります。

本人の望まない延命治療や経管栄養、痰の吸引など家族が望んでいる。命を落とすわけには立場上いかない。

そういった事情はあるにせよ、本人に苦痛を強いている事は紛れもない事実です。

そういった場で、せめて少しでも過剰な延命治療を行わないようブレーキとなる発言を医師や同僚にするよう心がけていますが、それもまた欺瞞ではないか。そのように感じる事が多々あります。

どれが正解だと簡単に言える話ではないですが、痛みや疑問に対して気持ちがマヒしてしまうことのないよう自戒しつつ取り組んでいきたい。

そしてブログでの文中にもありますが
自分も被害を受ける方に対しては完全に当事者ではなく、ある意味部外者に過ぎないのではないか。
その様に感じます。

どれだけ心身の痛みに対して想像を働かせたとしても、実体験としてそれを経てきたわけではない自分には当事者と全く同じ気持ちを持つ事は不可能で、

それが出来ると言ったらそれは単なる思いあがりや勘違いではないかと思っています。

自分を救う事ができるのはあくまで自分自身だけ、
その傍にいる医療者や家族にできるのはごく僅かな助けに過ぎないという事も直視しなくては。その様に考えています。

ブログ内でも紹介されていましたが、
被害を受けた方が出したメッセージの動画
自分自身を見つめ乗り越えてきた方だけが持つ重みのようなものを強く感じました。

上記のブログと併せ、 沢山の方にご覧になっていただきたいですね。
日ごろ
お年寄りをお預かりする病院に勤めている身として、
患者さんがお亡くなりになること。
すなわち死は特別なものではなく、
日常的に起こることだと
理屈ではなく体感として日々学んでいます。



そのなかでいつも思うのが
対象となるこの方にとって
幸せな看取りってなんだろう?
ということです。

福留の勤める病院では
食べれなくなった患者さんに
点滴や経管栄養などを薦めることが多々あります。
それを行った末に亡くなることが幸せなのか?
それとも行わない方が幸せなのか?
思うところは色々ありますが

何よりもその関わる中で疑問に感じる
いや、問題だと思うことは
その決定に本人が関わることができない。
そうしたことが数多くあることです。

その事実が看取りに関わる一職業人として
とても疑問だし、
辛く苦しい思いを亡くなるご本人にさせている原因ではないか?
その様に自分は考えています。

胃ろうや経鼻チューブを使った経管栄養や
点滴による水分補給。
それらが悪いものだとは思いません。
しかし、他者からムリヤリそれをさせられれば
苦痛でしかないと思います。

問題は自分の死に対する選択を本人が選ぶことができず、家族や医療者の一方的な善意で方向づけされてしまう。
その点ではないかと医業に携わるなか思わずにはいられないのです。

もちろん。選べるような状況にないケースも多々あるかと思います。

いきなり親御さんの様子が急変し、
半ば気持ちが混乱したパニック状態のまま
延命治療を受け容れるケースもあるでしょう。
自分の親の状態が悪くなることを受け容れられない。
死について考えるなんて嫌だ。
そう思うのも自然な当たり前のことだと思います。

でも、医者にも看護師にも出来ることは限られています。
死から無理やりに引き延ばそうとすればするほど
治療は苦痛を伴ってしまう。
それは高齢者医療に携わった中での
自分の確信的な実感です。

それでも生きていたい。
そのようにご本人が思うのであればいいですし、
それがご本人にとっての幸せであれば
口をはさむつもりは毛頭ありません。

でも、医療を行う中傍でその姿を見ている限り、
自分にはとてもそうは思えないのです。

こうして言葉にしてしまうのは残酷な事かも知れませんが、
ごく僅かな時間にしか訪れない家族のために、
死ぬほど苦しい事を延々とされ続ける。
それがご本人にとって幸せな事なのか?。
ご家族の方にも是非考えていただきたい。
そう願っています。

死は誰も逃れなれない。
だからこそ、自分にとって納得のいく亡くなり方。
家族にとって辛くない看取りとはどんなものか
事前にしっかりと向き合い考えていく必要があると
その様に自分は考えています。

あなたにとってはどうですか?