日ごろ
お年寄りをお預かりする病院に勤めている身として、
患者さんがお亡くなりになること。
すなわち死は特別なものではなく、
日常的に起こることだと
理屈ではなく体感として日々学んでいます。



そのなかでいつも思うのが
対象となるこの方にとって
幸せな看取りってなんだろう?
ということです。

福留の勤める病院では
食べれなくなった患者さんに
点滴や経管栄養などを薦めることが多々あります。
それを行った末に亡くなることが幸せなのか?
それとも行わない方が幸せなのか?
思うところは色々ありますが

何よりもその関わる中で疑問に感じる
いや、問題だと思うことは
その決定に本人が関わることができない。
そうしたことが数多くあることです。

その事実が看取りに関わる一職業人として
とても疑問だし、
辛く苦しい思いを亡くなるご本人にさせている原因ではないか?
その様に自分は考えています。

胃ろうや経鼻チューブを使った経管栄養や
点滴による水分補給。
それらが悪いものだとは思いません。
しかし、他者からムリヤリそれをさせられれば
苦痛でしかないと思います。

問題は自分の死に対する選択を本人が選ぶことができず、家族や医療者の一方的な善意で方向づけされてしまう。
その点ではないかと医業に携わるなか思わずにはいられないのです。

もちろん。選べるような状況にないケースも多々あるかと思います。

いきなり親御さんの様子が急変し、
半ば気持ちが混乱したパニック状態のまま
延命治療を受け容れるケースもあるでしょう。
自分の親の状態が悪くなることを受け容れられない。
死について考えるなんて嫌だ。
そう思うのも自然な当たり前のことだと思います。

でも、医者にも看護師にも出来ることは限られています。
死から無理やりに引き延ばそうとすればするほど
治療は苦痛を伴ってしまう。
それは高齢者医療に携わった中での
自分の確信的な実感です。

それでも生きていたい。
そのようにご本人が思うのであればいいですし、
それがご本人にとっての幸せであれば
口をはさむつもりは毛頭ありません。

でも、医療を行う中傍でその姿を見ている限り、
自分にはとてもそうは思えないのです。

こうして言葉にしてしまうのは残酷な事かも知れませんが、
ごく僅かな時間にしか訪れない家族のために、
死ぬほど苦しい事を延々とされ続ける。
それがご本人にとって幸せな事なのか?。
ご家族の方にも是非考えていただきたい。
そう願っています。

死は誰も逃れなれない。
だからこそ、自分にとって納得のいく亡くなり方。
家族にとって辛くない看取りとはどんなものか
事前にしっかりと向き合い考えていく必要があると
その様に自分は考えています。

あなたにとってはどうですか?