私は「私」を尊重する | 【千葉・オンライン】 はじめのいっぽのブログ

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皆さん、こんにちは。
助産師ドゥーラのいし井です。



個人的な話です。

ここのところ、すごーーーーーく大きな気づきがありました。

私が「感じられるもの(感情含め)」とはとても尊いものだと思えました。

自分の「感じられるもの」に自信がなかったし、
こんなことは大したことがない、という想いがずっと付き添っていました。

けれど、そうじゃないんだなぁって思えたのです。

例えばほかの誰かと
同じ光景を見て、同じ経験をしていても感じられるものは違ったりする。
別に優劣があるとか正しい、悪いとかではなくて、
その時に感じられるもの・気づけるものは、その人だけが味わえるものであり、
それはとても尊いものなんだ!!

と思えたんです。ふと。

とっても楽になりました。

自分は繊細すぎる、考えすぎだ、とも多々言われることがあり、
それに関してネガティブな想いになることも往々にしてあったのですが、

そんな風に考えられる(感じられる)自分はいいじゃないか?

って、ふっと腹の底から思えた感覚があったのです。

「私」だから、そう考えられた(感じられた)のでしょう?と。

そう感じられる自分にマルが出せた、というか味方でいられるようになったというか、
とにかくすごく解放された感じです。

あなたは素晴らしい存在なんですよ、あなたはできますよ。
と、ありがたくも他の方に言っていただけ、
そうかなぁ、そうだったらいいなぁ。
と思ってはいたけれど、自分が自分に自信がなく、疑っているのか
(言ってくださった方に、というより自分に対して疑っている感じ)。
いつまでも、

何だかなぁ自分。

みたいな、ところがあったのです。
本当は自分が「私」自身に一番の味方でいる必要があるのにかかわらず、

何か一つ「できた!」ということがあっても

いやー…でも、あなた(私)はまだまだでしょう、

とか、

そんな風に思うあなた(私)は情けない。

という扱いをしていた気がします。

自分をみとめられなかった。

まだまだ発展途上な自分なのではありますが、
それでもこう感じられたことは自分にとってはすごーーーく大きなことで。

それもこれも、本当に…
そう「感じられるために」出会い、関わってくださった方々、
アドバイスや学びをくださった皆さま…のおかげさまです。
本当にーーーー心から感謝します。

目の前に起こること、「現実」は
「必然」として起きている、ということが腹から分かりました。

ありがとうございました!