みなさま、こんにちは♪お元気でしたか?
長年、大きく思い違いしていたこと。
やっと気づけたので、シェアしていきます!
昨日のブログにも書いたのですが、私は母のことを、全力で「助けよう」と生きてきました。
しかし、この助ける、という波動は、実は微妙なんです。
その人からサポートの依頼があって、自分もそれをしたい、と思ったときは大丈夫。
その人からサポート要請もないのに、勝手に心配して助けること、気に掛け過ぎること。
頼まれたけど、やりたくないこと。
これやると、微妙もろとも死亡するやつ。
「もっと良くなってほしい」
大好きな人、家族、恋人。
深い間柄であればあるほど、人って甘えが出ます。
他人事ならば、そっと見守っていられるのに、家族となると、とたんに思考が泡立つ。
家族が、苦しんでいる!!とても辛そうだ!!
自分の中のレスキュー隊員、出動!!のアラームが鳴り響く。
こうしたら、よくなる!
私はそれを、知っている!
急いで現場に駆けつけ、一気に消火したり、緊急手術をしたり。
…してしまう。
自分の、「こうなって!!」を、全力で相手に押し付けてしまいます。
だけど、相手の人にもタイミングがある。
「それをすれば、よくなるかもしれない。
でも、根っこにある、この気持ちが昇華していなければ、また再発するだろう。」
「私はまだ、この状態でいることが、私にとって正しい状態だ。
この状態でいることは、私の自由意志だ。」
「今の私は、現状に心地よくフィットしている。」
自分の中にある、神の視点の声です。
それをご本人も、無意識にわかっているから、人の言うことを聞きません。
これは、自分の両親や子供、夫に、特にあるある、だと感じる。
人間関係の悩みって、これが大半じゃないか。
私は自分の体験から、そう思います。
例えばその人が、今病気で薬が手放せず苦しそう、とか。
私が辛いのは、あなたのせいだ。死にたい、とアピールされたり。(←これ、実際に私、体験した。家族からじゃないけど。背筋が凍りました)
どう考えても、それやっちゃダメっしょ!!というルートをたどり始めているのに、本人のみ気づいていない、とか。
そういう事象に会いまくってきた私。
(こういう数々の体験こそが、私の星、根の軸に冥王星ババン!、ってことだと思うんだけどさ。)
そりゃ~、助けたくなりますよ。うん。人生劇場
そこを、あえて。
「足を、踏ん張る!!!」
(ん~!!ドスコイ!!!)
これ、大事。
これはね、自分に置き換えて考えてみたら、すぐわかるんだ。
元気で、楽しい時=マル。
病気で死にかかっている時=バツ。
結婚した=マル。
離婚した=バツ。
女神のように、人に優しくできた=マル。
オニババの如く、怒り狂った=バツ。
こんな風に判断されると、辛くないですか。
病気の時も、元気の時も、私は私。
結婚してても、シングルでも、私は私。
女神もオニババも、私の中に同時にいる。
どちらの時でも、好きなようにさせてよ、って思いません??
泣きたいのに我慢しなさい、って言われたり。
寂しいのに笑ったり。
元気ないのに頑張ったり。
オニババ炸裂させたいのに飲み込んだり。
これはね~、苦しいよ。
万年、マイエネルギーの便秘状態確定
便秘薬処方したいよ。
きんぴらごぼう差し入れしたいよ。
でもさ。
それを、飽きるまでやり続けなきゃさ。
人ってやめよう、って思えない。
志半ばでは、死んでも死にきれないのだ。
だから、徹底してやる。これがイチバン。
しっかり味わって。
その苦しみ。その怒り。その悲しみ。
そして、味わい過ぎて、飽きて。
噛んでいたそのガムの、味がなくなって。
もうやめたい、捨てよう!!って思えたら。
レスキュー隊員に、サポート要請すればいい。
それまでは、十分味わい感じる権利が、自分にも人にもある。
だから、愛するっていうのは。
どんな状態であっても、そのままでいさせてあげること。
「助けないことだ。」
そこだけ切り取って、かわいそうとか、辛そうとか判断しない。
自分も、人も。
今、学んでいる。
今、目の前の出来事から、学んでいる。
転んでから、100倍返しで輝こうとしている。
それを、邪魔しちゃ、いけまへん。
とことんやりなはれ
全力で駆け抜けていく、ゴールに向かうあなた。
全力で、応援📣
横断幕作って、見守り隊。
そんなあなたのことが、大好きです。
一生見守っています。
気持ちに寄り添います。
あなたの体験したいことを叶える。これが、私の喜びです。
コレコレ~こういう男と結ばれたいじゃん。
自分を愛するって、自分と結婚の誓いを立てるってことなんだね
病める時も、健やかなるときも。
共に愛し合い、支えあうことを誓いますか??ってさ。
自分にこれができたなら、人にもできるようになっていく。
まずは、自分
自分からで、いいんだよ~
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