2006年9月に「シルクロード完全走破64日間」というバスツアーに参加して
中国・西安からトルコ・イスタンブルまでの連日バス移動の中
中国のウイグル自治区で、毎日のように石窟を見てた。
↑思い切り仏教に興味ありませんでした!
確か古いもので3世紀だったような...
奈良・元興寺でいただいた年表によると、仏教公伝は538年だそうなので
日本に仏教が伝えられたより200年くらい前の仏像や壁画を見てたわけ。
↑まったくなんだかわからないまま連れて歩かれてた私
仏教関連で記憶している人物といえば、聖徳太子、鑑真、空海、最澄。
↑わたくし的にです
この4人の中で、鑑真は唯一の中国人。
現代と違って、鑑真が日本へ渡ろうと決意した743年の頃は
中国から見れば日本なんて、遣唐使はやってくるけれど
何があるのかわからない海の向こうの小国だったはず。
しかも、鑑真はすでに中国で4万人以上に授戒して人望も厚く
国外に出てしまうなんてとんでもないと日本に渡る許可されなかったというのに
身分を偽って密出国、密航という手段で
しかもしかも、5回も失敗し、ときには難破して視力まで失いながら
11年の年月をかけて、日本にやってきたのだ。
一昨年11月、その後の年末年始に中国の最南端・海南島(ハイナン島)に行ったとき
鑑真が流れ着いた場所というのがあったのだった。
そういう流れからすると、やはり寺巡りは奈良からしないと![]()
それも唐招提寺から
(と思っていたはずだったがちょっと忘れてた)
思考が点々で、以前に考えてたことをいつ思い出すのかが不明な私。
唐招提寺ではスマートフォンを使った案内をはじめた
とネットニュースで見ていたので、拝観料支払後ガイド貸出に直行。
左手にスマートフォン、右手にデジカメの私に
これをどうやって持てと??←それなら借りるなと?
ガイドと一緒に手も貸してほしい。できれば2,3本。
鑑真は、最初「大和上」という位で
東大寺に迎えられ、戒壇を造り、授戒していたが
5年ほどで、唐招提寺に移った。
金堂の左手に、大きな蓮の葉が沢山見えて
その蓮の葉の向こう側にある塀の中に戒壇がある。
鑑真大和上は、11年がかりで日本にやってきて
東大寺で5年、このこの唐招提寺で5年を過ごし76歳で亡くなった。
日本で過ごした10年の間に
どれだけの人々に授戒したのだろう?
中国に帰りたいと思ったことは何回かはあっただろう。
日本への期待は満たされたのだろうか?
...なんてことを考えてしまうのだった。



