生命の樹 | MERKABA~マカバ~

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「アイン:絶対無」から流出した意志「アイン・ソフ・オール:無限光」は、存在界の背後に潜む「アイン・ソフ」の影響を受けることになる。


存在界の一方的な拡大を抑制するための「法則」に従うことになるのだ。


最初に現れた「王冠の中の王冠」は存在界の円周にあり均衡を保っている。「アイン・ソフ・オール」は意志なので、存在界では、まず行動や活動など拡大のエネルギーの原理となる。しかし、次に抑制・制御を受け、収縮のエネルギー原理ともなる。そして均衡のバランスをとるようにチェックされると共に意志の働きに助けられ、再び拡大エネルギーとなり、このプロセスを繰り返しながら、進んでいく。


存在界の中心に進むまでに10のセフィロト(セフィラー)が姿を現した(顕現した=はっきりと姿を現すこと。はっきりとした形で現れること)。セフィラーとは、一般的に「球」を意味するヘブライ語で、複数形がセフィロト。


その第一は、存在界の円周上に顕現した、均衡を保つ、ケテル:王冠である。

ケテルから拡大のエネルギーを帯びて、コクマー:知恵が顕現する。知恵の働きを抑制制御するために、ビナー:理解が顕現し、均衡と拡大と収縮の源となる最初の3つ組が成立する。


ビナー:から再び均衡を通過する点で、ダアート:知識という隠されたセフィラーを通過する。このセフィラーは10のセフィロトの数には入っていない。


隠された知識:ダアートを考えるとき、エデンの園で禁じられた2本の木を思い浮かべることができる。1本は生命の木、もう1本は、善悪知る木であった。神がアダムとイヴにその2本の木の実を食べることを禁じたということは、知識を得るためには、それなりの準備が必要で、何も下地のない者あるいは悪用するかもしれない者には与えるべきではない。生命の木の実で永遠の生命を得るには、それこそ受け取る者の能力や資質が問われる。


拡大と縮小という基本的法則にのっとるだけでは、得られないものものがあっても不思議ではない。




セフィロト


再び拡大のエネルギーを得てケセド:慈悲が顕現する。慈悲という言葉は、一見、拡大すなわち能動的な印象が薄いが、その意味することが、楽を与えること=「慈」、苦を抜くこと=「悲」であることを改めて考えると能動的行動と思える。


そして、そのケセド:慈悲を制御するものはゲブラー:峻厳(しゅんげん)である。

楽を与えられ、苦を抜かれても、厳しさに接することがあれば、余分なものは消え、均衡を通過するときに、ティファレト:美が顕現する。

ティファレト:美とは、一般的に「善」であるが、悪用されることもあることを考えれば、均衡のバランスの上に顕現するのが納得できる。


次に拡大エネルギーは、ネツァク:勝利または永遠を顕現させる。勝利を得て、輝くのはホド:栄光であり、永遠に続くものは栄光に包まれる。


これによって、イェソド:基礎が出来、それはマルクト:王国となるのである。


これでセフィロトが10となり、アインやアイン・ソフを示す数になる。マルクト:王国まで達したエネルギーは、今度はさかのぼり、ケテル:王冠へと戻っていくのである。


それは、地に根を張り、幹を伸ばし、枝葉を張り、実を結ぶ、樹木と同様に自然の法則に則っている。この10のセフィロトが形作ったものは「セフィロトの樹」あるいは「生命の樹」と呼ばれ、あらゆる存在の根本的原理を表すとされている。


エネルギーの通り道は22あり、これは、ヘブライ語のアルファベットの文字数と同じ。またタロットの大アルカナの数でもある。