のんびりした北陸の元日を一変させた能登半島地震。

うちは家も家族もライフラインも無事です。

振り返りを書きますので、無理な方はそっと前画面に戻ってください。




あの時、夫は年賀状をポストに出しに歩いて行っていて、息子はテレビゲーム、私は家事をしていました。

スマホからヴィーッヴィーッと警報が鳴り、あわてて息子を抱きしめました。

1度目でも強いと感じたけど、2度目は遥かに強い揺れが襲いました。

立つこともできない中なんとかリモコンに手を伸ばしテレビをNHKに切り替えました。

アナウンサーが逃げてくださいと言っているがそのテレビも左右に大きく揺れる。

石油ファンヒーターは揺れを感知して止まりました。

「お願い、止まって」と息子を抱き抱え何度も叫びました。

ギシギシ、ガチャンガチャンと家の中が鳴りました。

2階が落ちてきたらこの1階の部屋はどうなるだろうと思ううち、やっと揺れはおさまりました。

まだ足元が揺れているような気もするけど、とにかく夫と連絡を取らなければ思い、上着を着てスマホだけ持って息子と外に出ました。

近所の人たちがわらわらと広い道路に集まってきました。

息子は半泣きで、会う人会う人に「怖かった」と訴え、「私もこんな強い地震初めてや」とご年配のマダムに返されていました。

スマホは繋がっていたので地震速報を見るとここは震度5強だったと知り納得するとともに、震源地の震度7という数字に、あの古い能登の町並みはどうなっているのかと背筋が凍りました。

夫もまもなく無事に走って戻ってきました。

近所の同級生に会って話すと息子も少し落ち着きました。

町内の避難訓練をしたばかりなのに、町会長は不在だったのか、訓練でやったようなブロック長が安否確認に回って町会長に集約するといった動きは全くできていませんでした。

幸い町内の道路や建物に被害はないようで、海からも遠いので高台に登ることもなかったです。


印象的だったのは、近所の元大工のおじいちゃん最近は少し痴呆が入ってきてるんですが、的確に指摘し出したこと。

家が倒れないか心配する息子に、「この家は大丈夫やー」と古いながらしっかりした骨組みだと太鼓判を押してくれました。

家の中を確認するとガラスの置物がたくさん落ちて割れていました。

これを機に、目線より高い場所に壊れやすいものは置かないと決めました。

食器棚の中ではなだれが起き、扉を開けると落下してくる危険があった為、いったん斜めに棚を倒して中身を整えてから元に戻しました。

使っていなかった食器類は思い切って断捨離しました。

高い場所に置いていた洗剤や食品のストックは、ニトリの吊り戸棚ストッカーを使っていたため倒れることもありませんでした。




輪島に帰省してた友達の安否確認ができた時には涙が出ました。

実家が倒壊し故郷は大変なことになってるとのこと。

スマホが使えるようなので、LINEギフトでファミマの商品券を少しだけ送らせてもらいました。


数週間経ち、金沢はライフラインが保たれましたが、夫の職場周辺は液状化であちこち通行止めとなり通勤時は大渋滞。

空には自衛隊ヘリ、バイパス道路には自衛隊の車が行き交っています。

息子の小学校にも避難してきた子達が転入してくるそうです。


能登方面は大好きでこれまであちこちに行っていました。

あのお店はどうなった、ご主人は、あの風景は、など気掛かりで、SNSの検索で状況を確認しました。

自分の中では能登は【推し】ですから、【推し活】として出来ることをしていけたらと思っています。



数時間後に地震が起きるなんて夢にも思わなかった元日は、尾山神社へ初詣に行き、近くの駐車場の門松と写真を撮りました。

義母さんもいい写真をありがとうと言ってくれて本当にのんびりしたお正月だったんですよ。



防災グッズは被災状況によって必要な物が変わりますが、長期保存水と非常用トイレは備蓄必須と思いました。



これからも災害に備えて見直していきます。