Sさんとの仏法対話 

 

連載第14回「法主絶対論」他 

 

(質問)

 ご返信ありがとうございます。

 産湯相承事の解説、とても参考になります。どのように感謝を伝えれば良いか…

〝日文字〟の伝説は他門流にもあるのですね。墨田さんの言われるとおり、御書や大聖人の直弟子に〝日文字〟の由来が明かされていないのなら、あくまで伝承や伝説かと思います。ただ、門流の優位性を誇示するための〝唯授一人〟の文言は、殊更に法主信仰を唱える日教が付加した可能性が考えられますね。

 

 今日、小林氏の『法主絶対論の形成とその批判』を少し読んでいたのですが、またいくつか疑問が生じてしまいました。産湯相承事の解説をして貰ったのに申し訳無いです。またいくつか質問させて頂いても宜しいでしょうか。

 

『法主絶対論の形成とその批判』の5ページに

〝これに日教の法主絶対論とその師・日有上人の「本寺住持」の権限を言及するものがあるがこれらは第二章で論じる。〟

とありますが、日教が法主絶対論の立場に立っていた事は有名ですが、日有師は法主絶対を論じた事があるのでしょうか。

 

 次の質問は、小林氏が本因妙抄の末文を論じる際に、日順の本因妙口決を偽書と見、また松岡佐一郎氏の意見を取り上げて、本因妙抄の末文を本因妙口決からの引用である、としていますが、本因妙口決で問題となっている箇所は〝日顕宗の「妄説:55」を破折する(その一)〟で取り上げられている末文の部分ではないでしょうか。

 本因妙抄の末文は日亨上人が

「日辰上人・日我上人等古写本に依って之を写し一校を加へ」としたものだと思うのですが…

 

 次に御本尊七箇相承についてですが、問題となっている箇所が七箇条の外にあり、問題箇所の前の文が百六箇抄の末文と類似していると指摘していますが、百六箇抄の最古の写本は日辰によるものですよね。

 対して御本尊七箇相承の写本は保田妙本寺にあると思いますが、両寺は何か関係性があるのでしょうか。

 また日教の文と類似の文があると小林氏が指摘していますが、日教がこの末文を追加したとも考えられるのでしょうか…

 もっとも、御本尊七箇相承には四部の衆が大聖人の化身であるとの文もありますから、法主のみが特別にされるのもおかしい話ですけど…

 かなり質問が長くなってしまいました。分かりづらかったら申し訳ないです。墨田さんのご教授を願います。

(21/04/20)

 

(回答)

こんにちは、Sさん。

 

〇 「日有師は法主絶対を論じた事があるのでしょうか。」(ご質問)

 

 小林正博の「法主絶対論の形成とその批判」では、以下のところを指摘しています。日有師の『化儀抄』第四条に.

「一、手続の師匠の所は三世の諸仏高祖已来代々上人のもぬけられたる故に師匠の所を能(よ)く々取り定めて信を取るべし(後略)」

 また同第十四条に、

「一、(前略)三世の諸仏高祖開山も当住持の所にもぬけられる所なるが故に(後略)」と。

 こうした個所は、法主本仏論と受け取られかねないところです。

 小林氏の指摘するとおり、日有師に法主本仏論的な傾向がないとはいえません。日教は師匠である日有師の論を膨らまし、徹底した法主絶対論、法主本仏論を進めたのです。

 例として、化儀抄で日有師は大石寺貫主を「本寺住持」と呼ぶのに対し、左京日教は「法主」と呼ぶこととしたのです。こうした言葉の影響は実に大きいものがあります。

 ネットには〝大石寺法主の「唯授一人血脈相承」は大石寺9世日有の偽作だ〟等、宗門の悪弊をすべて日有師に帰する論調が多くあります。一宗の最高責任者として、結果責任を云云されるのです。ですが『化儀抄』程度のことで、そこまで言われなければならないでしょうか。

 私は、大石寺に法主絶対主義を持ち込んだ者、御本尊書写が法主の専権事項であることを主張した者は、あくまで要法寺出身の左京日教であることを明らかにする必要があると思います。左京日教にしても、師匠である日有師が後代に悪名を浴びるのは、本意ではないはずです。

 左京日教について詳説した、松岡幹夫氏の『日蓮正宗の神話』(論創社 2006/11/1)が発刊されたことで、かなり認知されたかと思っていたのですが。日教の存在が、世間ではいまだ認知されていないのか、との感があります。

 

〇 「本因妙抄の末文を本因妙口決からの引用である、としていますが、本因妙口決で問題となっている箇所は、日顕宗の『妄説:55』を破折する(その一)で取り上げられている末文の部分ではないでしょうか」(ご質問)

 

 松岡佐一郎は、『本因妙抄』追加分である一線が引かれた箇所を、本因妙口決からの引用と断定したのですね。これを松岡幹夫氏は、

「堀日亨は、『本因妙抄』の末文を後加文と判定しているので、『本因妙口決』は『本因妙抄』の後加文よりもさらに後の時代に書かれたことになる」

(『日蓮正宗の神話』)

としています。松岡佐一郎の見解と、松岡幹夫氏とのそれとは論点が一致しないと分かりますが、私には判断がつきません。

『本因妙口決』に次の箇所があります。

 

「日文字の口伝・産湯の口伝・本尊七ヶの口伝・教化弘経七箇の伝は別紙のごとし」

(富士宗学要集第2巻 P.84)

 

 作者に擬せられる日順は、日興上人から重須談所二代学頭に補せられた人です。この時代の人が、四代日道の時代には無かったはずの「産湯の口伝」を記すというのは、符合しません。『本因妙口決』が後世の産物であることが分かります。

 

〇 「御本尊七箇相承の写本は保田妙本寺にあると思いますが、両寺は何か関係性があるのでしょうか」(ご質問)

 

 保田妙本寺は、以前お話した「道郷論争」にかかる寺院です。前に掲示しましたが、再度確認しておきます。

 

「…同年、日目は日興の遺命に従い、日蓮の法門を天皇に上奏すべく、大石寺の留守を日道に託して出立したが、上洛途上で没した。随行した日尊、日郷は師に代わってこれを果たしたという。その後、富士に帰った日郷と大石寺の留守に当たった日道との間に当寺継承について争いがおこったが、大石寺創建に力のあった南条氏を親族とする日道が36年(延元1∥建武3)当寺を継承、日蓮、日興、日目に次いで第4世となった。…」

(「世界大百科事典内の日郷の言及」【大石寺】より)

 

 日道は日目師の甥であり、両人とも大石寺の檀那である南条家の血筋です。結局、日郷が大石寺を追われる形となり、安房(千葉県)に法華堂、後の妙本寺の基礎を建立しました。

 なお日道、日郷門流を除く、すべての富士門流が釈迦本仏論であるのに対し、この二系統だけが日蓮本仏論を奉持しています。

 一九五七年(昭和三十二年)、保田妙本寺は戸田先生の説得により、日蓮正宗に帰一しました。しかし日顕が悩乱した後の一九九五年(平成七年)、日蓮正宗から独立し、単立の宗教法人となっています。

 

〇 「日教の文と類似の文があると小林氏が指摘していますが、日教がこの末文を追加したとも考えられるのでしょうか」(ご質問)

 

 これも他の質問で申しましたが、疑いは大いにありますが証拠がありません。

 

 返信する内容が多くて、送信が前後してしまいました。どうかご了承下さい。

(2021/04/23)