御書に登場する故事・人物 中国編 

 

第三十三回 前漢代 漢の太子を補佐した商山の四皓(しこう)           

 

 はじめ戚姫(せきき)が帝(漢の高祖)に寵愛され、趙王如意(じょい)を生んだ。したがって正妻の呂后(りょこう)はうとんぜられ、彼女の生んだ太子(後の孝恵帝)は慈悲深かったが弱々しい体をしていた。帝は如意の気性が自分に似ていたので、太子を廃して如意を立てようとした。群臣がそのことで帝を諫めたが、みな聞き入れられなかった。

 呂后はそこで張良のところへ人をつかわして、何か良い策はないものかと無理やり頼みこんだ。すると張良が答えた。

「これは口や舌で説きまくっても勝ち目がありません。思いますに帝が招き寄せようとして、しかも仕えようとはしなかった者が四人おります。東園公(とうえんこう)、綺里季(きりき)、夏黄公(かこうこう)、甪里先生(ろくりせんせい)で、彼らは帝が士を軽蔑していたので、山中(商洛山)に隠遁し義のうえから漢の家臣になろうとしなかった者たちです。帝はこの四人を高潔な人物であると尊敬しております。今、太子が自分で手紙を書かれ、言葉をていねいにして安車(乗りごこちのよい車)をそろえて、ぜひおいで下さいと招いたならば、彼らはおそらく来るでしょう。もし、来たならば客人としてもてなし、ときおり太子が彼らを従えて朝廷に出かけて帝の目にとまるようにすれば、ご心配のことに対する一助となるでしょう」

 呂后はさっそく人をつかわして太子の手紙をささげ、四人を招いた。一方、帝は黥布(げいふ)を征伐して帰るや、いよいよ太子をかえようと思っていた。

 その後、宮中での酒宴のとき、太子も帝のそばにいたのだったが、張良の招いたかの四人も太子のうしろに従っていた。年はみな八十歳あまりで、鬚も眉もまっしろ(皓白(こうはく))で、衣冠をつけた姿は、はなはだ立派であった。帝は不思議に思って彼らのことをたずねた。すると四人は前に進み出て、名前を述べた。帝はたいへん驚いて言った。

「私は貴公らを招こうとして数年になるが、貴公らは私から逃げて山中に隠れてしまった。それなのに、今どうして私の子に従っておられるのか」

 四人がそろって言った。

「陛下は士を軽蔑して、しばしば罵倒しておられました。私たちは義を尊び、陛下から恥ずかしめをうけてまで仕えようとは思わなかったのです。今、太子は慈悲の心も深く、孝行の心も厚く、礼儀正しく敬愛の心を持ち、よく士を愛されます。天下の人々は太子のために死のうと願わないものはないと聞いております。ゆえに私たちは太子のおそばにやって来たのです」

 帝は言うのだった。

「貴公たちのお力をわずらわすことにいたそう。どうかいつまでも、私の太子を守って下され」

 四人が退座すると、帝は戚(せき)夫人を呼んで、彼らを指さしながら言った。

「私は太子をかえようと思っていたが、あの四人の者が太子を補佐しようとしている。すでに羽や翼ができあがった鳥のようなもので、今さらどうしようもない。あきらめてくれ……」と。  

(「十八史略」巻二・西漢)

(「仏教説話と故事 中国・日本編」 創価学会教学部編 聖教新聞社刊 昭和48年10月12日発行)

 

御書本文

 この千世界の大菩薩の中に四人の大聖まします。いわゆる上行・無辺行・浄行・安立行なり。この四人は虚空・霊山の諸大菩薩等、眼もあわせ、心もおよばず。……太公等の四聖の衆中にありしににたり。商山(しょうざん)の四皓(しこう)が恵帝に仕えしにことならず。巍々(ぎぎ)堂々として尊高なり。

(「開目抄」新八四㌻、全二一一㌻)

 

通解

 この千世界の大菩薩の中に四人の大聖がましました。いわゆる上行・無辺行・浄行・安立行であらせられる。この四人は虚空会(こくうえ)および霊山会(りょうぜんえ)に来集している諸菩薩等が、眼をあわせることも心のおよぶこともなかった。(中略)太公望等の四聖が大衆の中にいるごとく、商山(しょうざん)の四人の君子が漢の恵帝に仕えたのと異ならない。じつにぎぎ堂々として尊高であった。

 

語訳

商山(しょうざん)の四皓(しこう)

 中国秦代の末、国乱を避けて陝西(せんせい)省商山に入った隠士のこと。すなわち東園公(とうえんこう)、綺里季(きりき)、夏黄公(かこうこう)、甪里先生(ろくりせんせい)の四人。みな鬚眉皓白(しゅうびこうはく)の老人だったところからこの名がある。漢代の高祖が、性格の柔弱な盈(えい)太子を廃して、戚(せき)夫人の子・隠王如意(じょい)を立てようとした。この時、盈太子の母・呂(りょ)皇后は高祖の功臣・張良と謀り、四皓を盈太子の補佐役とした。高祖はこの四人が高齢ながら威容を持つ商山の四君子であることを知り、盈太子の廃嫡の不可能なるを悟り、その決意を翻したという。この盈太子が高祖の没後に即位し、第二代恵帝となった。