〈時評 いまを読む〉第8回 民主主義を支えるのは国民自身 

 

日本は「非核平和主義」の外交で世界をリードせよ(その二)

 

聖教新聞 2026年7月24日

 

日本総合研究所 寺島実郎会長(多摩大学学長)

 ●ポイント②

 100年前と同じく

 現代もまた

 宗教の時代に

 

 昨年の創価学会専門部主催の文化セミナーで私が行った講演(本紙25年11月2日付に詳報)では、国家間の対立が深まる現在の世界情勢が、約100年前の1920年代と似てきていることを指摘しました。

 

(創価学会専門部主催の文化セミナーで講演する寺島会長。「アメリカファースト」「貯蓄から投資へ」といったキーワードやアメリカによる関税引き上げなどの100年を超えた共通性に触れつつ、その後の株価の大暴落と国家同士の経済的な対立が第2次世界大戦の遠因になったと指摘した(2025年10月、東京都内で))

 

 創価学会などの新しい宗教運動が日本で生まれたのも、100年ほど前の時代です。(※)当時、日本はスペイン風邪のパンデミック(世界的大流行)や関東大震災、深刻な不況などに見舞われました。

 そうした状況での国民心理の不安感の高まりが、宗教が重きをなした背景にあったのかもしれません。

 現代もまた、国際的な対立が深まる不安感を背景に、宗教の時代に回帰していると私は思います。オカルト的な思想や宗教がはびこる恐れもあるからこそ、まっとうな宗教であるかどうかの真価が問われます。

 それは信仰や教団の内にこもるのではなく、社会に開かれた、社会に貢献する宗教です。さまざまな知識人や専門家などの知恵を集め、柔らかな連携をしながら自分たちの考えを実現していく。そういうパラダイム(枠組み)を作り上げたところが社会のリーダーになると、私は注目しています。

 100年前の時代、日本は内向きになって国際社会から孤立する流れが徐々に進んでいき、後に1941年の米ハワイの真珠湾攻撃へと至っていきます。

 現在も「内向きの日本」と言える状況になってきています。例えば、現在のパスポート保有率は17・8%で、約20年間で10ポイント減、人数で言うと、1000万人以上減りました。

 

(日本人出国者数の推移。海外を訪れる人の数はコロナ禍前より減っている(共同))

 

 また昨年、日本を訪れた外国人の数が4268万人だったのに対し、海外に出国した日本人の数は1473万人。これは延べ人数で、仕事などで何度も出国する人がいるため、実際の出国者数は3分の1以下となります。

 訪問先の多くは韓国や台湾などの近場の国々です。アメリカに行く人も、ハワイやグアム、本土の海岸沿いがほとんどで、日本であまり報じられないアメリカの内陸部まで行く人は限られています。

 自分の目で海外の実情を見る日本人が少なくなった今の状況を「第2の鎖国」と呼ぶ人もいます。この内向きの傾向性は、「他人の生活に干渉したくなく、自分の生活に干渉されたくもない」という「私生活主義」のまん延にもつながっています。

 ここで言う私生活主義は、個人主義とは違います。夏目漱石が「私の個人主義」という講演で「他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈」(『日本の名著42』中央公論社)と述べたように、自分だけでなく他人も尊重するのが個人主義です。また、たとえ国家権力に強制されても、自分の思想信条を曲げない生き方でもあります。

 ところが私生活主義は「イマ・ココ・ワタシ」さえ良ければいいのです。宗教の世界でも、〝今日の自分の占いの結果が良ければ幸せ〟というような、自分だけの幸せを祈る感覚、仏教で言うならば〝おみくじ仏教〟とも呼ぶべき狭い世界観に吸い寄せられています。

(続く)

 

(参考)

 

(※)――創価学会などの新しい宗教運動が日本で生まれたのも、100年ほど前の時代です。――

 

 百年前の日本が現在の状況に似ているという。

 当時の「新しい宗教運動」で目されるのが、1914年(大正3年)創始の国柱会である。創立者は田中智学。時代に与えた影響力の巨大さゆえ、希代の怪物と言い得よう。その著書は、高山樗牛(たかやまちょぎゅう)、宮沢賢治など多くの人々を感化した。

 軍国主義の高まりとともに、国柱会は国家主義・国粋主義と結びついていく。有名な例を挙げよう。

 神武天皇の詔勅(『日本書紀』)に

「兼六合以開都、掩八紘而為宇」

 (六合(くにのうち)を兼ねてもって都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)となす)

 とある。

 元々は〝日本を一つの家のようにする〟との意であるが、智学はこれを「八紘一宇(はっこういちう)」と造語し、〝全世界を一つの家にする〟との意に転用した。

 これは当時の軍部に〝アジア進出を正当化する〟と受け入れられ、戦時中のスローガンとして用いられた。

 また満洲事変を起こした首謀者の一人、石原莞爾(いしはらかんじ)は田中智学の思想的影響を受け、1940年(昭和15年)に『世界最終戦論』(後に『最終戦争論』と改題)を出版した。それによると、

「道義的世界統一」を目指す「東洋の王道」を代表する日本と、「侵略的世界統一」を目指す「西洋の覇道」を代表するアメリカとの世界最終戦争を戦った後に、世界に平和が訪れるという(Wikipedia「世界最終戦論」)。

〝知の巨人〟と称される佐藤優氏は、石原について次下の通り評している。

[第三文明社 編集部〕

(『法華経の智慧』の)「方便品」の章に、池田会長の運命の捉え方を象徴するエピソードが紹介されています。若き日の池田会長が『撰時抄講義』を執筆していた時の話です。

 日蓮の「撰時抄」は「世界広宣流布の未来記」と言われる重書(重要な御書)であり、「予言の書」と見なされることが多い御書です。そのなかに、「前代未聞の大闘諍(とうじょう)、一閻浮提に起こるべし」(新一六五㌻)との一節があります。「末法の世において、正法に目覚めない人々が法華経の行者を迫害し、なおも謗法を続けるならば、前代未聞の大戦争が世界に起こるだろうという意味です。

 この一節について、そこにいた教学部の幹部が「第三次世界大戦が起こるという意味ではないでしょうか?」と言ったのに対して、池田会長は厳然と次のように言ったというのです。

 

「われわれは、第二次世界大戦をもって、『前代未聞の大闘諍』と決定しよう。どんなことがあっても、第三次世界大戦は起こさせない。そのことを御本尊に強く願い、死身弘法を誓おうではないか」

 

〔佐藤優氏〕 

 私もその箇所に感動しました。意思の力によって宿命を打開しようとする、池田会長の姿勢を象徴するエピソードですね。

 田中智学の「国柱会」に入っていた日蓮主義者の石原莞爾(いしはらかんじ)(関東軍参謀などを務めた陸軍軍人)は、まさに「前代未聞の大闘諍(とうじょう)、一閻浮提に起こるべし」の一節を最終戦争の予言として受け止め、『世界最終戦論』を著し、満州事変を引き起こしました。そのことと比べるとき、同じ日蓮を奉じ、同じ御書を読みながら、こうも受け止め方が違うのかと驚かされます。「ヒトとチンパンジーのDNAは一~二%しか違わない」という話を思い出しました。ごく小さな遺伝子上の差異がとてつもない違いを生み出すように、御書の解釈のわずかな間違いが、本来の日蓮仏法とはかけ離れた悲劇を引き起こしたわけですね。

「『撰時抄』は予言の書と見なされることが多い」とのことですが、池田会長の受け止め方は、むしろキリスト教などで言う「預言」に近いのではないでしょうか。

「預言」とは読んで字のごとく、「神の言葉を預かる」という意味です。予言が不特定多数に対してなされるのに対し、預言は常に個人に向けてなされます。したがって、預かった側は、神の言葉を受け入れて行動するか、受け入れるのを拒んで「神の道」から外れるかという、究極的な二者択一を迫られます。つまり、預言に際して第三者的になることはあり得ないわけです。

 もちろん、創価学会はキリスト教的な神を立てません。しかし、御書の言葉の受け止め方において、池田会長には預言者のようなイメージがあります。つまり、日蓮大聖人から自分が使命を託されたかのように受け止めている、と私には感じられるのです。

(「希望の源泉・池田思想――『法華経の智慧』を読む 1」九三~九五㌻ 著者 佐藤優 発行所 ㈱第三文明社)

 

 引用が長くなったが、御書を拝するにも、国柱会と創価学会とでは、天地の相違がある。

 牧口先生と同時代であった国柱会は、国家主義の機運に乗じ繁盛した。一方、牧口先生の創価教育学会は「創価教育学」が根底にあり、「教育とは、児童の幸福のためにある」との信念ゆえに、「国の矢となれ 盾となれ」との国家主義とは真逆である。

 創価教育学会は当初、新渡戸稲造、柳田國男、犬養毅ら文化人や政治家の賛同を得たが、時局は大きく変わり、座談会は特高(特別高等警察)による監視が続けられた。

 

 現今、国柱会そのものは少数の会員を擁しているが、智学の感化は今なお連綿と続いているようで、その一つが〝宗派を越えて平和を思考する教団〟と謳う「法華コモンズ」である。正式名は「法華コモンズ仏教学林」。

 社会学者の西山茂氏を理事長に担ぐが、組織の中心は学林長・布施義高氏である。布施氏は立正大学仏教学部非常勤講師(平成25年度)。現在、法華宗(陣門流)教学部長とある。元は日蓮宗身延派、今は法華宗。すなわち教義内容は既成宗教の付け焼刃にすぎず、新装開店といったところである。

 理事長・西山茂氏の「法華コモンズについて」との案内文では、田中智学を手本とするかの抱負を述べている。

 戦前期に生きた田中智学は、日蓮仏教を近代日本に「再歴史化」(蘇生)するために、「祖道復古」と「国体開顕」および「宗門革命」(宗門の維新)の旗を掲げて日蓮主義の運動を主導し、複数の教学講習会を開いて、以後の日蓮仏教諸派の僧俗に多くの影響を与えました。

 今回、私たちが11年間も続いた本化ネットワーク研究会を閉じて法華コモンズ仏教学林(門流や会派を超えた法華仏教の学び舎)を起ち上げたのも、法華仏教(日蓮仏教)を現代日本に「再歴史化」するためにほかなりません。(後略)

 

 法華コモンズの目指すところは、創価学会とは真逆と言えよう。

 智学の亡霊は、今もなお現世に棲み続けている。