私は、自分がLGBTであるとは全く思っていない。

だからと言って、私が他の人間と同じ至極「真っ当な」存在であると信じ込んでいる訳でもない。

そもそも、私にはアイデンティティと呼べるものが殆ど無い。そう呼べるものは、せいぜい飽くなき女性への憧憬と、一抹の好奇心と、そしてこの身に深く刻み込まれた劣等感くらいのものだろう。

そんな私だから、ずっと自分の所属出来る場所を見つけられなくて苦しんできた。

「自分はこれが好きなのでは」と思い、それに関連した様々なコミュニティに入り込んでも、どうしても疎外感を感じてしまう。どうしても、自分が異物であるという感覚が抜け切れないのだ。

そして、増大する承認欲求を満たす為に、私は様々なキャラを演じて来た。

でも、私はもう、疲れてしまったのだ。



私は根っからのジェンダーレス信奉者だが、この前あるジェンダーレス批判に関する文章を読み進めていた時、「児童に男/女というジェンダーの未分化を推し進める事は、結局児童のアイデンティティの確立を遅らせる」といった趣旨の記述を目にした事がある。

熱心なジェンダーレス信奉者の私は咄嗟に反論を探したが、結局それを見つける事は叶わなかった。

あの記述は、きっと正しいのだろう。

ジェンダーレスは従来のジェンダーに囚われない「自分らしさ」の追求を謳うが、そういった自分らしさを自力で構築出来る人間は、恐らくそういないのではないかと思う。

それに、恐らく大抵の人間にとって、性別は自身のアイデンティティの根幹を成すものなのだろうし。

私には、その感覚は分からないけれど。



性別二元論に反した性自認を持つ、或いは性自認を持たない人間にとって、今の日本はとても生き辛い。

それもそうだ。なぜなら、今の社会は男か女、どちらかのジェンダーに所属している事を前提としているのだから。

当然、それを持たない人間は社会に対して疎外感を覚える事になる。

自分がどこに所属すればいいのか分からない。

そもそも、自分が何なのかすら分からない。

自分のアイデンティティを構築しようにも、どうすればよいのか見当もつかない。

勿論、そんな葛藤を乗り越えて、その人なりのアイデンティティの構築に成功した人間もいるのだろう。

だが、私はそこで失敗した。



私はもう、アイデンティティなどというものを構築する気は毛頭ない。

何者にもなれない、そんな曖昧な存在のままでいいと思っている。

でも、そんな生き方は、とても寂しく、虚しいのだ。

私は、自分の生き方が正しいなどとは断じて思っていない。

ただ、疲れてしまっただけなのだ。







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