0062【スペイン旅行記・旅行3日目(5)(2009年12月30日)】『ドン・キホーテ』】
(5-5)「ドン・キホーテ」は本気で読むと大変なので荒筋です(3)。
荒筋を読んだだけでもわかると思うがドン・キホーテは現実を直視できない,
妄想の中で生きる人間だ。
そうして反対に農夫のサンチョパンサは愚鈍のようだが実は現状を正しく
理解し判断できる常識人として描かれている。
また、風車に突進するシーンは、スペインを象徴する騎士姿のドン・キホーテとオランダを象徴する風車はまるで隠喩表現をしているようなのだ。
スペイン(ドン・キホー テ)が風車(オランダ)で跳ね上げられ逆さまに成りながら降下して行くさまは、まさに、スペインの凋落を象徴しているようだ。
------------------続く-----------------------
(5-5)「ドン・キホーテ」は本気で読むと大変なので荒筋です(3)。
荒筋を読んだだけでもわかると思うがドン・キホーテは現実を直視できない,
妄想の中で生きる人間だ。
そうして反対に農夫のサンチョパンサは愚鈍のようだが実は現状を正しく
理解し判断できる常識人として描かれている。
また、風車に突進するシーンは、スペインを象徴する騎士姿のドン・キホーテとオランダを象徴する風車はまるで隠喩表現をしているようなのだ。
スペイン(ドン・キホー テ)が風車(オランダ)で跳ね上げられ逆さまに成りながら降下して行くさまは、まさに、スペインの凋落を象徴しているようだ。
------------------続く-----------------------
0061【スペイン旅行記・旅行3日目(5)(2009年12月30日)】『ドン・キホーテ』】
(5-3)「ドン・キホーテ」は本気で読むと大変(2)。
-----------あらすじ(その2)-------------------------------
暴虐、不正、不合理、弊害、などなど戦う敵は多い。
あれこれ経験をしてみると、騎士の旅には従者が必要だと痛感した。
そこで、近所に住む善良な農夫、[サンチョ・パンサ]を旅に連れ出した。
野原を連む二人の行く手に、三、四十の風車が立ち並んでいるのが見える。
「友のサンチョ・パンサよ、あそこを見るがよい。三十もの途方もなく醜悪な巨人が現れたではないか。拙者はこれから奴らと一戦を交え、奴らを皆殺しにしようと思う。
これは正義の戦いであり、かくも邪悪な輩を地上から打ち払うのは、
神に対する立派な奉仕でもあるからだ」
「しっかりしてくだせえよ、旦那様。 あそこに見えるのは風車で、腕と見えるのはその翼。
ほら、風にまわされて石臼を動かす、あの風車ですよ」
「ふうむ、お前はこうした冒険にはよほど疎いとみえるな。拙者がたった一人で死闘を繰り広げるあいだ,お祈りでも唱えておるがよい」
[ドン・キホーテ]は槍を小脇にかいこんで、愛馬ロシナンテを全速力で駆けさせ、風車に突進した。
槍を突き立てたとき風が激しい勢いで翼を回転させたものだから、馬もろとも翼にさらわれて、反対側に放り出された。
従者は主人を助け起こし、主従はまた道を進んでいくのであった。
------------------------あらすじは続く-------------
(5-3)「ドン・キホーテ」は本気で読むと大変(2)。
-----------あらすじ(その2)-------------------------------
暴虐、不正、不合理、弊害、などなど戦う敵は多い。
あれこれ経験をしてみると、騎士の旅には従者が必要だと痛感した。
そこで、近所に住む善良な農夫、[サンチョ・パンサ]を旅に連れ出した。
野原を連む二人の行く手に、三、四十の風車が立ち並んでいるのが見える。
「友のサンチョ・パンサよ、あそこを見るがよい。三十もの途方もなく醜悪な巨人が現れたではないか。拙者はこれから奴らと一戦を交え、奴らを皆殺しにしようと思う。
これは正義の戦いであり、かくも邪悪な輩を地上から打ち払うのは、
神に対する立派な奉仕でもあるからだ」
「しっかりしてくだせえよ、旦那様。 あそこに見えるのは風車で、腕と見えるのはその翼。
ほら、風にまわされて石臼を動かす、あの風車ですよ」
「ふうむ、お前はこうした冒険にはよほど疎いとみえるな。拙者がたった一人で死闘を繰り広げるあいだ,お祈りでも唱えておるがよい」
[ドン・キホーテ]は槍を小脇にかいこんで、愛馬ロシナンテを全速力で駆けさせ、風車に突進した。
槍を突き立てたとき風が激しい勢いで翼を回転させたものだから、馬もろとも翼にさらわれて、反対側に放り出された。
従者は主人を助け起こし、主従はまた道を進んでいくのであった。
------------------------あらすじは続く-------------
0060【スペイン旅行記・旅行3日目(5)(2009年12月30日)】『ドン・キホーテ』】
(5-2)「ドン・キホーテ」は本気で読むと大変!!(1)
●「ドン・キホーテ」(1605年)日本ではちょうど徳川の狸親父が幕府を開たころです。
この小説は大変長いので子供向けを読むのが筋を追うのにはちょうど良いのですが
おさらいの意味であらすじを追って見ましょう。
-----------あらすじ(その1)---------------------------
主人公[ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ]
は、 ラ・マンチャ地方の郷士。
当時ヨーロッパで流行していた騎士物語を読みすぎて、妄想に陥り自分を騎士と思い込んでいる。
騎士ならば冒険の旅に出るべし。甲冑を身に付け、馬小屋から駄馬を引き出して、
ロシナンテと名付けた。
残るは自分が愛を捧げるべき貴婦人を探すだけだ。
近くの村にきれいな娘がいて、自分か心を寄せていたことを思い出し、
彼女を思い姫にすることにた。
王女か貴婦人のありそうな上品な名前をあれこれ考え、
トポーソ村の生まれなので、ドゥルシネーア・デル・トポーソと呼ぶことにした。
用意は万端が整った。
------------------------あらすじは続く-------------------------
(5-2)「ドン・キホーテ」は本気で読むと大変!!(1)
●「ドン・キホーテ」(1605年)日本ではちょうど徳川の狸親父が幕府を開たころです。
この小説は大変長いので子供向けを読むのが筋を追うのにはちょうど良いのですが
おさらいの意味であらすじを追って見ましょう。
-----------あらすじ(その1)---------------------------
主人公[ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ]
は、 ラ・マンチャ地方の郷士。
当時ヨーロッパで流行していた騎士物語を読みすぎて、妄想に陥り自分を騎士と思い込んでいる。
騎士ならば冒険の旅に出るべし。甲冑を身に付け、馬小屋から駄馬を引き出して、
ロシナンテと名付けた。
残るは自分が愛を捧げるべき貴婦人を探すだけだ。
近くの村にきれいな娘がいて、自分か心を寄せていたことを思い出し、
彼女を思い姫にすることにた。
王女か貴婦人のありそうな上品な名前をあれこれ考え、
トポーソ村の生まれなので、ドゥルシネーア・デル・トポーソと呼ぶことにした。
用意は万端が整った。
------------------------あらすじは続く-------------------------
0059【スペイン旅行記・旅行3日目(5)(2009年12月30日)】『ドン・キホーテ』】
せっかく「ドン・キホーテ」縁の料理も食べた事だし此処で「ドン・キホーテ」の物語について
解説したいと思います。
(5-1)まずは「ドン・キホーテ」の作者について
作者はセルバンテス(1547年~1616年)その生涯 は波乱万丈そのものだった。
とても長いのでそのつもりでお読みください。
セルバンテスは 下級貴族の家の次男として生まれる。
少年時代から、道に落ちている紙切れでも字が書かれていれば手にとって読むほどの読書好きであったが、各地を転々とする生活であったので、教育をまともに受けられなかった。
だが1564年ごろ、マドリードに転居したセルバンテスはルネサンスの人文学者ロペス・デ・オヨスに師事する。
後にオヨスはセルバンテスを「我々の親愛なる弟子」と呼び、高く評価した。
1569年にローマに渡り、ナポリでスペイン海軍に入隊するまでの生い立ちについては、あまり解明されていない。
この時期に、セルバンテスが決闘相手に傷を負わせた罪を告発する文書が残っているが、同名の別人かどうかは定かではない。
スペイン最盛期の象徴であるレパントの海戦(1571年)において被弾し、左腕の自由を失った後も4年間従軍を続けた。
そして本国へと帰還する途中、バルバリア海賊に襲われ捕虜となる。このとき仕官のための推薦状を持っていたことが仇になり、とても払えない巨額の身代金を課され、アルジェで 5年間の虜囚生活を送る。
この間、捕虜を扇動して4回も脱出を企てるがことごとく失敗。このとき処刑されなかった理由は、推薦状により大物と見られていた ためと思われるが、定かではない。三位一体会(キリスト教の慈善団体)によって身請けされ本国に戻ったが、仕官を願うも叶わず、1585年に彼の最初の牧人小説『ラ・ガラテーア』を出版するが、あまり評価されなかった。
1585年に父親ロドリーゴが亡くなると、セルバンテスの家庭は本人・姉・妹・姪・妻・娘(私生児)の六人家族となり、稼ぎ手の少ない家計は逼迫した。セルバンテスは無敵艦隊の食料調達係の職を得てスペイン各地を歩き回って食料を徴発するが、教会から強引に徴発したかどで投獄され、さらに翌年アルマダの海戦で無敵艦隊が撃破されたため職を失う。
その後なんとか徴税吏の仕事に就くが、税金を預けておいた銀行が破産、30倍の追徴金を負債として負うこととなり、これが払えず1597年に投獄される。そのセビーリャの監獄の中には、ピカレスク小説『グスマン・デ・アルファラーチェ』(1559年)の作者マテオ・アレマンもいたという。
セルバンテスは『ドン・キホーテ』(1605年)の序文で、牢獄において構想したことをほのめかしている。
『ドン・キホーテ』の成功にもかかわらず、版権を安く売り渡していたため、生活は良くならなかった。しかし、その後も創作活動は続き、有名なものに『模範小説集』(1613年)、『ドン・キホーテ 後編』(1615年)、遺作『ペルシーレスとシヒスムンダの苦難』(1617年)などを世に送り出した。
1616年、69歳でその波瀾に満ちた人生を終えた。
--------------続く--------------------
せっかく「ドン・キホーテ」縁の料理も食べた事だし此処で「ドン・キホーテ」の物語について
解説したいと思います。
(5-1)まずは「ドン・キホーテ」の作者について
作者はセルバンテス(1547年~1616年)その生涯 は波乱万丈そのものだった。
とても長いのでそのつもりでお読みください。
セルバンテスは 下級貴族の家の次男として生まれる。
少年時代から、道に落ちている紙切れでも字が書かれていれば手にとって読むほどの読書好きであったが、各地を転々とする生活であったので、教育をまともに受けられなかった。
だが1564年ごろ、マドリードに転居したセルバンテスはルネサンスの人文学者ロペス・デ・オヨスに師事する。
後にオヨスはセルバンテスを「我々の親愛なる弟子」と呼び、高く評価した。
1569年にローマに渡り、ナポリでスペイン海軍に入隊するまでの生い立ちについては、あまり解明されていない。
この時期に、セルバンテスが決闘相手に傷を負わせた罪を告発する文書が残っているが、同名の別人かどうかは定かではない。
スペイン最盛期の象徴であるレパントの海戦(1571年)において被弾し、左腕の自由を失った後も4年間従軍を続けた。
そして本国へと帰還する途中、バルバリア海賊に襲われ捕虜となる。このとき仕官のための推薦状を持っていたことが仇になり、とても払えない巨額の身代金を課され、アルジェで 5年間の虜囚生活を送る。
この間、捕虜を扇動して4回も脱出を企てるがことごとく失敗。このとき処刑されなかった理由は、推薦状により大物と見られていた ためと思われるが、定かではない。三位一体会(キリスト教の慈善団体)によって身請けされ本国に戻ったが、仕官を願うも叶わず、1585年に彼の最初の牧人小説『ラ・ガラテーア』を出版するが、あまり評価されなかった。
1585年に父親ロドリーゴが亡くなると、セルバンテスの家庭は本人・姉・妹・姪・妻・娘(私生児)の六人家族となり、稼ぎ手の少ない家計は逼迫した。セルバンテスは無敵艦隊の食料調達係の職を得てスペイン各地を歩き回って食料を徴発するが、教会から強引に徴発したかどで投獄され、さらに翌年アルマダの海戦で無敵艦隊が撃破されたため職を失う。
その後なんとか徴税吏の仕事に就くが、税金を預けておいた銀行が破産、30倍の追徴金を負債として負うこととなり、これが払えず1597年に投獄される。そのセビーリャの監獄の中には、ピカレスク小説『グスマン・デ・アルファラーチェ』(1559年)の作者マテオ・アレマンもいたという。
セルバンテスは『ドン・キホーテ』(1605年)の序文で、牢獄において構想したことをほのめかしている。
『ドン・キホーテ』の成功にもかかわらず、版権を安く売り渡していたため、生活は良くならなかった。しかし、その後も創作活動は続き、有名なものに『模範小説集』(1613年)、『ドン・キホーテ 後編』(1615年)、遺作『ペルシーレスとシヒスムンダの苦難』(1617年)などを世に送り出した。
1616年、69歳でその波瀾に満ちた人生を終えた。
--------------続く--------------------
057【スペイン旅行記・旅行3日目(4)
(2009年12月30日)】『ドン・キホーテゆかりの料理』】
(4-2)昼食は「ドン・キーホーテ」物語ゆかりの料理です。
(ボーダ・デ・カマチョ)
ドン・キホーテ料理の「ボーダ・デ・カマチョ」はドンキホーテの物語の中の「カマチョの婚宴」というエピソードの中に
登場する料理だそうです。
前菜は「地元野菜のトマト煮」
メインは「チキンとつくねのポトフ」
デザートは「花びらをイメージしたパイとアイスクリーム」でした。
鶏肉 を煮込んだ料理です。
婚礼の時に出された料理ですから普段はめったに食する事は出来なかったに相違ありません。
------------------------続く----------------------------
(2009年12月30日)】『ドン・キホーテゆかりの料理』】
(4-2)昼食は「ドン・キーホーテ」物語ゆかりの料理です。
(ボーダ・デ・カマチョ)
ドン・キホーテ料理の「ボーダ・デ・カマチョ」はドンキホーテの物語の中の「カマチョの婚宴」というエピソードの中に
登場する料理だそうです。
前菜は「地元野菜のトマト煮」
メインは「チキンとつくねのポトフ」
デザートは「花びらをイメージしたパイとアイスクリーム」でした。
鶏肉 を煮込んだ料理です。
婚礼の時に出された料理ですから普段はめったに食する事は出来なかったに相違ありません。
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