こんにちは。関口香です。
先日ブログを書いてから、インドに行き、帰国してすぐに京都に行き、また来週にはインドに行く予定になっています。ブログがなかなか書けません….
ご存知の方も多いかもしれませんが、私はシータヒーリングのインストラクターをする傍らインドのワンネスユニバーシティで通訳の仕事をしています。そして、京都はアクセスコンシャスネス®の通訳でした。
シータヒーリングをしながら、他の様式にも関わっていることは、私にとっては面白い発見がたくさんある冒険です。特に通訳というのは、生理的に様式を体感する部分があるので、エネルギーの違いや共通点をダイレクトに受け取ります。それは、これまで確実にわたしの血肉になっています。
また、同じように様々な様式を学びながら、どれを選んでいいのかわからない〜と悩んでいる方にもたくさん会います。そんな方に対する私の答えはいつも同じで、富士山に登山ルートがいくつもあるように、目的さえしっかりしていれば、どこから登ってもいいんじゃない?…なのです。
どれかにしなくちゃと悩む必要もない。やってみてから考えればいいと思うんです。結果、道はひらけていくはずです。
どんな様式も、一生懸命それ一筋にされている方々がいて、そんな悠長なことを言っていられないかもしれません。でも、どんな様式も、ある意味他人が作った様式だとすると、自分にとって絶対ではないということは言えます。たとえ自分自身が作った様式であっても、この世の常は変化なので、過去の自分が作ったものは、今の自分にとって真理ではないかもしれません。
よく引き合いに出されますが、お釈迦様も入滅の際に「私や誰か他の人を頼ってはいけない、自らを灯明とし、法を灯明とせよ(頼るべきは自分自身と、法《仏教の教え》である)」と言ったとか。シータヒーリングの書籍の最初にも、これが引用されています。
また、ワンネスユニバーシティの創始者シュリ・バガヴァンも、よくダルシャンで「全ての信条や様式は、ワンネスも含めてマインドのゴミである。最終的には全ては一掃される」と言っています。
というわけで、固い話に聞こえてきたかもしれませんが、自分の中で辻褄があっていればいくつもの様式を学んだり通訳したりすることは可能だし、いつだって選択肢が多くて、無限の可能性に開かれるのがいいと思うのです。
シータヒーリングで行き詰まる人もいるし、
ワンネスで行き詰まる人もいるし、
アクセスや、それ以外の様式で行き詰まる人もいます。
その人にとって、今までやってきたもの以外の様式で気づきがもたらされるなら、それはそれでいいではないですか。
わたしは様式を極めたいのではなくて、ただ叡智に向かいたいだけ。
また、わたしに縁のある誰かが本来の姿に向かうことのお手伝いをしたいだけ。
その中で、制限を持たず、自分にとっても他の誰かにとっても、その瞬間に最高のものを提供できれば良いなと思ったりしています。
ここ最近、特にその思いが強くなっています。
明日からシータの応用DNA開催です。
http://thetajapan.com/…/home/thetajapan_seminar_detail/16852