ハンガリー国歌 | コンサートホールのお話など

コンサートホールのお話など

レセプショニストとして働いているコンサートホールでのお話や、クラシック音楽やとりとめのないことなどを綴っています。

昨日のテレビ番組でハンガリーの話題が取り上げられていました。

私は途中から見たのですが、その時ハンガリーの人たちはネガティブな人が多い…ということが紹介されていました。

そのこと自体、そう簡単に言い切ってしまっていいかどうかは別として、理由として何度も戦争に敗れた国の歴史があるからということでした。ただ、少し検索してみましたら、ハンガリーの人たちが自分たちのことを「悲観主義者」と言っているという記事にも出会いました。

歴史を物語風に歌詞にして1~8番まであるという国歌が、ネガティブな国民性を見事に象徴しているとも。確かに、見てびっくりな歌詞でしたが、とても美しい曲ですね!

ハンガリーは国歌は1つではないそうですが、公式な場で歌われるのは「称賛」で、普通は1番のみ歌うそうです。




別名
Isten, áldd meg a magyart
(神よ、マジャール人を祝福し給え)

作詞
キョルチェイ・フェレンツ(1823年)

作曲
エルケル・フェレンツ(1844年)

採用時期
1903年



賛 称 (Himnusz)


神よ、悦びと幸いをもて

マジャル人を祝福したまえ

神よ、われ敵と闘うとき

御守護の手をのべさせたまえ

すでに年久しく不幸に追われたるこの民に

喜びの日をあたえたまえ

過去と未来のために

われらマジャル人を罰したまいし神よ

神はわが遠祖たちを

カールパート山脈に導きたまい

その地にいみじき信頼もて

麗しの故郷をあたえたまいぬ

ティサとドナウの

とうとうたる流れに沿うところ

いさお高き軍隊

アールパードの族は栄えぬ

神の御手により

平野はたゆけき穀物の波うち

その祝福もてトカイには

神酒したたり

野蛮なるトルコ人よりの

戦利品の山なせること一再ならず

されど尊大の都ウィーンは

マーチャーシ王の兵をなやましぬ

さあれ、われら罪を犯したれば

神は不信と憤怒にもえたまい

また雷光を投げさせたまいぬ

みよ、雷鳴とどろく雲間より

神はきらきらととびくる

タタール人の強矢をなげさせたまえり

さらに降りてはトルコのきずなのもと

われらの悲しみ数世紀の永きを数えぬ

この国土にてトルコ人の勝ちどき

われらの骨髄にひびき入る

ああ幾度なりしか

トルコの軍馬の高くいななくこと

哀れ、祖国よ

おんみの子らは武器もて傷つき

おんみはその子らの裏切りによりて

いまや棺とはなれり

剣もて勇士は身をかくせど

そのくらき洞窟のうちに見出され

馳せ去らんとすれこ故郷にも

いまや住む家はなし

谷間にも山頂にもみちみつるは

ただ疑惑、苦悩、悶えのみ

しかも足下には血の波しぶき

頭上にはひろがる炎の海

要塞は廃墟と化し

過ぎし日の多幸よいまいずこ

みよ、それに代わるは

悲しみ、うめき

ああ、自由は

血まみれの地より生まれ得ず

ただ流るるは圧政と

しっこくのあつき涙のみ

ああ神よ、恵みたれさせたまえ

この滅亡に瀕せるマジャル人を

神よ、救いたまえ

悲嘆の海底より救いたまえ

すでに年久しく不幸に追われたるこの民に

喜びの年をあたえさせたまえ

神よ、なお過去と未来のために

われらマジャル人を罰したもうか

(今岡十一郎 訳)