8月28日から続きをと思いつつ飛んでしまっていたこの、少し重たい真面目なテーマえっと、純粋に「いいものはいい」というところまで、書いたのでした。ちょっと気難しい話題ですので、怖いなとも思うのですが
私が投げかけたいものは、「誰かの意思で作り上げられた”善さ”に惑わされていませんか?」ということなのです
この記事にお付き合いくださっている方には、そんなことに惑わされている方はいらっしゃらないと思います
この「誰か」というのは、例えばプロモーター。マスコミの影響力
それに乗ってしまって、中には本来の善さを失ってしまうアーティストの問題もある場合も時にはありますが、今ここで問いかけたいのは、聴き手がそのようなものに惑わされてはならないということです。
最初は、確かに”善いもの”を持ち合わせているアーティスト、特に若者は将来が楽しみな人が多いですよねそんな人が、何か、マスコミに注目されるきっかけがあれば、あっと言う間にご本人の意思とは別に「商品価値」を見出されてしまいます
善いものを広く紹介し、たくさんの人に聴いてもらうこと自体は、悪いことではないと思うのですそれを励みに実際に目覚ましく成長を遂げていくアーティストもいらっしゃいます
ただ、話題になったからといって、その時の演奏以外のものが、全てが「善いと思わなければ価値をわかっていない」というような風潮そのものが残念なのですまだそこへ至る成長過程の演奏や、次々にリリースされるCDやDVDが販売され、これに感動しないとおかしい「感動の押し売り」や、私はもう買ったのよという「ファッションの道具」のようになるのは、残念ですし、決まって後を追って編集されるマスコミの「感動秘話」も拍車をかけます
苦労を乗り越えたこと=演奏に滲みで出る素晴らしさ
と、思いたいのですが、イコールで単純に結ぶことの出来ない厳しい世界であるのではないでしょうか今、音楽の道を目指している方や、実際に生活をされている方にも十人十色の感動秘話があることと思います
感動秘話そのものが悪いというのではなく、それに「踊らされがちな、今の日本のクラシック界の”聴き手の”風潮」が、気になって仕方ありません
むしろ、音楽だけ聴いて、そんな滲み出る善さを充分感じることのできるものこそ本物の感動のような気がします
コンサートの後で、「本当はそんなにいいとは思わない。感動しなかった」と言えば、「実は私も・・・」ということが結構多かったりします。「これがいいと思わない私は何もわかっていないのだろうか」と、悩むこともないと思うのです。
逆に、若手のまだ未熟さが残る演奏のなかにも、将来の成長が楽しみで、ずっと温かく見守っていきたいと思えるようなみずみずしい感動も多くあります
もう少し、表面のレッテルだけ見ないで、真価を見出す聴き方が普通にできる”文化”になればいいなと思います厳しい観察眼と、温かな眼差しを持ち合わせたヨーロッパなんかに比べると、やはり日本はまだまだ”こども”なのでしょうか
もちろん、個人で好みも違いますし、だからこそ、そういうものの上にも「本来好みではないけど、それでも感動した」「新しい価値観を知った」というようなものが残る演奏を求めているような気がします
長くなりますがこんなことがありました
仕事で、ある高額チケット、発売と同時に完売というようなものや、有名な指揮者の就任記念コンサートや、色々な場面に出会いますが、心底感動するのはその中の一部です。本当に一律に感動するに値するのでしょうか
同じ割れんばかりの拍手があっても、”会場の雰囲気のあたたかさ”がまるで違いますこんな抽象的な話ではダメかもしれませんが、”職人さんの勘”に似たような部分だと思っています
実際に、そんな「私は全く善いと思えなかったけど」と密かに思っていた、クラシックファンには一度は行ってみたい憧れのコンサートかもしれない、ある公演について後日談がありました
同僚が、そのオケのメンバーと知り合いだったのですが、公演後、レストランでばったり会ったようなのです前の指揮者と180度方針が違って、自由に表現させてくれず、全く団員との信頼感が築けずにいて、楽団は冷え冷えとしている…というような話を愚痴っていたそうです。「やっぱり」という思いがしました。当然いい演奏にならないわけだと
きっと、そのような演奏会にいらっしゃる元々クラシックに長けたお客様ですと、内心はそんなに感動しきれなかった方も多かったのではないかと思いました
(敢えて、「今はよくない状態だけど、ファンだから見守る。」とか、「個人的にファンの出演者お目当てで、満足。」ということは、ちょっと話を置いておきます)
インチキな宗教団体にハマり、抜け出せない心理というのを本で読んだことがありますが、それと似ているなと思いますそれは、高額な寄付や、グッズを買わされることにより、薄々おかしいと気づきながらも、「こんなに支払ったんだから、正しいと思いたい」という心理が働くというのです。
プロだから、ある程度 無難に上手く曲を演奏するのは、できるはずですチケットの値段や、○○フィルなんだからという絶大な信頼感や、そのオケと、神様のような指揮者のセットなんだからと思い込みたい怖さを感じます
裸の王様に、王様が服を着ていないことを言えた子どもにみんながなれると もっといい音楽が日本にあふれ、日本の誇る音楽を海外にも もっと発信できるのではないでしょうか