当ブログは現在のところ、基本的に1週間に1回という頻度で投稿している。
そして、1回の分量は比較的多い(長い)。
作成に費やす時間はまちまちだ。
1~3日間かけて、空き時間を使って少しずつまとめ、こまめに保存しておいた内容を週末に投稿・・・というパターンが多い。
しかし最近諸事情で、ブログに費やす時間がなかなかとれない。
別に義務ではないのだから、休んでも誰も文句は言わないと思うのだが、ブログの投稿がなんとなく自分の生活のリズムにもなっているので、短文でも投稿しようと思う。
・・・ということで、長年、ず~~~と感じていた些事について述べてみたい。
ドラマのなかで、子どもがお父さんと、次の日曜日に一緒に遊園地に遊びにいく約束をする。
お父さんはいつも仕事で忙しいので、なかなか一緒に遊園地に行けなかったが、その願いがようやく叶うことになったのだ。
次の日曜日をものすごく心待ちにしている子どもの姿を描写することによって、子どものいたいけなさと、いかにお父さんのことが好きなのか、ということを強調する。
しかーし!
お決まりのパターンで、その待ちに待った日曜日、お父さんは急に仕事が入り、遊園地に連れていけなくなってしまう。
そこで「そうか、お仕事じゃ仕方ないよね」と、寂しさをぐっとこらえて諦める子どもはめったにいない。
泣く。
叫ぶ。
物に八つ当たりする。
「お父さんのウソつき!」と、父親が犯罪者であるかのように糾弾する。
そして、ふてくされる。
@めたせこ
ドラマのなかで、この手の泣き喚く子どもを観て、おれ自身が子どものころからうんざりしていた。
こんなアホな子どもが現実にいるのか、と思ってしまう。
こんなのは、ドラマのなかだけで起きる「トラブル」なのではないか。
さらに、わざわざこの種の「行き違い」「父と子の分断」を描く必然性があるとも思えない場合がある。
たんなるストーリーの都合による、トラブルのためのトラブルにしか思えない。
おれの家庭が参考になるかは判らないが、おれが子どものころは、
父親は土日も関係なく仕事に行っていて、家にいないのがあたりまえ
だった。
(さすがに、平日のどこかで休んでいたのだろうけど)
父親のことはそれなりに好きだったが、一緒にいないのが常態で、一緒に遊んでくれたときは「ラッキー」だった。
そもそも父親と「次の休みの日に○○に行こう」という約束をした記憶がないほどだ。
(当日になって、どこかに連れて行ってもらったことはある)
「日本のお父さんの多く」は似たようなものだったのじゃないかな。
そして、子どもも、そんなものだと思っていた。
まるで、それではいけないという爆弾を投じるかのような、
「約束」→「反故」→「糾弾」という家庭内(ア・リトル・ビット)トラブル。
怖いのは、
「一緒に遊びに行く約束を守らなかった父親のことを、こうやってとことん責めてもいいんだ」
と、子どもの視聴者が錯覚してしまうことである。
穿った見方かもしれないが、これこそが、「テレビという洗脳装置」を使った、日本の伝統的家庭の破壊工作の一貫なのではないかと考えてしまう。
勤勉で責任感のあるお父さんを非難するように仕向けたサイオプと言える。そして、それは家族の分断につながるのだ。
おれが子どものころからうんざりしていた、と言ったように、この手のパターンはけっこう昔からあった。
さすがにこんな陳腐な展開はいまどきのドラマにはないだろうと思いたいところだが、油断をしていると、不意に似たような展開に出っ喰わすから要注意だ。
こんな黴の生えた展開、もう書くのはやめてよ、脚本家さん。
話は変わって。
そういえば本日は、横浜スタジアムで惑沈の集団接種が行われる日だ。(来週6/21もそうだ)
時間は18:00から21:00まで。
怖いもの見たさで、接種のようすを見物してみたい気もするが、やめておこう。
(始めから行く気は無いのだが)
どうせスタジアム内に入ることなどできないだろうし、近くにいくだけでも、発生している邪気(瘴気というべきか)にやられてしまいそうなので、君子危うきに近寄らず。