大阪・関西万博は「えらい」! | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

前回のブログで、主にアメリカのネオコンが、地球完全グローバル化の「夢」半ばで瓦解にむかっている旨を述べた。

ほぼ同じ「白昼夢」を見ているいう意味で、ネオコン ≒ Deep・S ≒ グローバリスト といってもよいのだが、その手先となって日本を差し出そうとしている「売国奴」「潰国奴」「壊国奴」の事業が挫折していく姿を見るのは楽しいものだ。

2月の半ばには、コオロギ食を推進していた会社が破産した。この経営者が会社を立ち上げた動機が「悪意」からなのか「善意」からなのかは判らないが、どちらにしても愚かであることは間違いない。

 

 

 

 

以前から批判している「マイナンバーカード(およびマイナポータル)」は、今年の米大統領選挙でトランプが当選する前にむりやり捻じこもうとした観があるが、今年の秋までにシステムが整うことはおろか、国民の支持率・利用率を大幅に上げることなど、すでに望むべくもない。

政府・官僚は早いところ、「マイナの一元化はやめます! 混乱させて申し訳ございませんでした! 保険証もこれまでどおり継続します!」と、潔く撤退(敗北)宣言をすべきだろう。



それより楽しみなのは、「大阪・関西万博」の成り行きである。


正式名称「2025年日本国際博覧会」


建前上であったとしても、あのパペット知事が音頭をとっていること自体が、そもそもからして「お笑い」だし、パビリオンがろくすっぽできるまえに、それを取り囲む全長約2kmの「リング」の建設のほうが進んでいて、「すべてのリングがつながった際には、内側への重機や資材の搬入に制約が生じると聞いている」(日本建設業連合会会長・宮本洋一氏)という報道に接したときは、「やっぱりすべてがチグハグだ」と思ってしまった。


おまけに、リングの上は万博会場をぐるっと見下ろせる通路になっているようなのだが(通路の上を歩行することを「リングスカイウォーク」というらしい)、その手すりが脆弱すぎて安全性が懸念されているということなのだ。

 

 

予想イメージ図

リングは海上にもかかっている。怖いぞ・・・。

 

 

 

 

その他、キャラクターの「ミャクミャク」とか、「2億円トイレ」とか、「空飛ぶクルマ」とか、「血しぶきナンバープレート」とか、ギャグが満載。むしろ、わざとやっているとしか思えない。



「特別仕様ナンバープレート」

 

根本的な問題としては、



基本理念がSDGsというインチキ・アジェンダに基づいたものであり、

「夢州(ゆめしま)」という名の埋立地の地盤が脆弱で大きな建物の建設には耐えられず、
(下水道工事もおぼつかないので、トイレが水洗ではなく「汲み取り式」になるのではないかという見立てもあるらしい)

そのためもあってか、海外諸国もパビリオンの建設に二の足を踏んでいる、

 

 

ことなどが挙げられる。


はたまた、ここに来て、万博の建設に当てる費用・材料・人手を能登地震の被災地の復興にむけるべきという批判まで出てきている始末である。



「基本計画」の言葉の端々に、すでに哀愁が漂っている。

 

 

世界中から「いのち輝く未来社会」への取り組みを持ち寄り、SDGsの達成とその先の未来を描き出します。

 

 

開催を心底楽しみにしているひとがいたら申し訳ないが、この先、当初の計画どおりに(あるいは計画に近いかたちで)各建築物が完工し、大阪・関西万博が輝かしく開催されるということはあり得ないと断言してよい。


貧相なパビリオンを以って世界への恥さらしレベルでむりやり開催するか、あるいは、開催中止かのどちらかだと思う。


もし同じ企画であっても、大阪・関西万博の開催が20年前なら、政財界のゴリ押し・マスメディアの印象操作等々により、あるいは実現していたかもしれない。


だが、それが通じなくなってきているのは、

 

「ネオコンの没落」と歩調が合っている

 

とも言えるのだ。


いまは「膿を出している」過程である。
「コオロギ食」も「マイナンバーカード」も「膿仲間」だ。


このような「膿」=「あからさまな愚策」を満天下にさらすことで、ネオコン・Deep・S・グローバリストと、その下僕たちの「くるいっぷり」を大衆にも実感させようとしているのだ。
(ここで「さらす」と他動詞を使っているのには意味がある)


関西弁で「えらい」というと、「偉い」という意味よりは、「しんどい」とか、「大変」という意味で使われるが、まさに大阪・関西万博は「えらい」ことになっている。


しかし、多くの人たちに、既存エリートの愚かさを見せつけてくれているという意味で、「偉い」と評してもいいのである。


それでもなお、その愚かしさを実感せず、非難もせず、「否」も突きつけないにんげんが一定の割合以上ならば、日本は本当に終わりかもしれない。


でも、おれは終わりになるとは思っていない。
現に、あれほど危機感をもたらした「コオロギ食」も「マイナンバーカード」も瓦解にむかっている。


だからこそ、万博の体たらくを笑って見ていられるのだ。


万博に費やされた(される)経費はたしかに無駄といえるだろうが、「万博が謳っているような未来」ではなく、「本当の未来」のためには、あるいは「必要経費」なのかもしれない。