微々たる「和み」のために | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

森本卓郎著『書いてはいけない――日本経済墜落の真相』(2024/3/7発売)

 



Amazonで予約注文した。
3月11日には届く予定なので、読了したら、レビューを投稿するつもりである。


以前にも言ったかもしれないが、おれは、SNSをふくめたメディアを日々チェックし、そこから得た有益な最新情報を即時的にブログで紹介する・・・、ということには向いていないと思っている。


そういった「ジャーナリスト」的能力は、おれには羨ましい限りだが、しかし、そうなるには性格的に「のんびり」しすぎているし、情報チェックやブログ作成のために自由になる時間も、そうそうない。


だが、主にDeep・Sが推進しているグローバリズム・釈明史観・超管理監視搾取社会・似非科学・ポリティカルコレクトネス等々と闘う気概は常に保っているつもりだ。


それのためのおれの「闘い方」は、

 

「最新情報の即時発信」ではなく、

 

「真相を語っていると思う書籍」をここで紹介すること


である。

 


読むのが遅いのでさほど多くの著作を扱えないかもしれないし、もともと闘うために開設したブログではなかったのだが、せっかくなので、極力、レビューというかたちで闘い、勇敢なるジャーナリスト・発信者たちに加勢したいと思っている。


一方、おれは通勤途上などで遭遇した「不快(な輩)」のことを俎上にあげている(これも一種の「闘い」ととらえている)。

一見すると、取るに足らない瑣末事項に拘泥しているように思えるかもしれないが、しかし、その「不快」は、個体発生的なものばかりではなく、その多くには「背景」があると考えている。

少々大袈裟に言えば、「ある種の不快感」を与えるものたちの多く(すべてではないが)は、上に挙げたグローバリズム・超管理監視搾取社会・似非科学等々に「やられて」しまったものたちなのだ。



たとえば、おれの「スマホ・ジャンキー」批判は、「グローバリスト」批判にも通じている・・・といえば、飛躍しすぎだろうか? いや、そうではない。


わかりやすいのが「デジタル化」。


これは言うまでもなく、グローバリストたちが望む「超管理監視搾取社会」の柱のひとつだが、この「化」は、たんに技術的な範疇に留まらず、

 

「デジタルは(無条件に)便利」

「デジタルは(無条件に)すばらしいこと」

「デジタル機器を操っているひとは(無条件に)優秀」

 

とシープルたちに思わせる、刷りこみ・洗脳も意味している。

 


スマホ・ジャンキーは、このサイオプによる「デジタル化洗脳」と、3S政策による「骨抜き化」、幼少期からの「エゴイズム化教育」にまんまと「やられちゃってる」ひとであり、正常な感覚を「失わされ」てしまっている中毒者たちなのだ。



だが、かれらは純粋な被害者でも、同情すべき憐れな存在というわけでもない。一転して加害者となり得るし、現に「害」を振り撒いている。

「コロナ禍」において、騙されているはずの「マスク&惑沈信者」が、おそろしく攻撃的な言動をしていたのと同様だ。


さて、先日、駅構内で久々に、その手の「害」に立腹した場面があった。

ホームに下りるための階段にむかっていると、電車が着いたばかりなのか、多くの乗客がいっせいにホームからエスカレータを上がってきた。

これからホームに下りようとしているおれからすると、その乗客たちは全員「対抗者」であるのだが、そのどいつもこいつもが、「歩きスマホ」をしながら、おれの前方に散らばった。

おれからすると、このような光景だ。

 




わきに通れるスペースはなかった。


ご存知のとおり、スマホ・ジャンキーは、どう行動するか、予測がつきにくい。
周囲の状況を鑑みず、たんに「動きたいとき」に「行きたい方向」へ、ブラインデッドのまま動くからだ。

しかし、そいつらとぶつかるわけにもいかないので、おれはおのれの「俯瞰・予測・危険回避機能」を発動させて、そいつらの「狭間」を縫おうとした。


結局のところ、ぶつかることはおろか、触れることすらなく、すれちがうことができたのだが、あろうことか、そのなかのひとり(中年の男)が、すれちがう瞬間だけスマホから眼をあげてジロリとおれを睨みつけ、おまけに「チッ」と舌打ちまで鳴らしてきた。

なぜ、睨んで、舌打ちまでしたのだろうか? 

一見「謎反応」だが、ふだんから伊達にジャンキーを観察しているわけではないおれには、すぐに察しがついた。

それは、おれが「瞬間的に」そいつに近づきすぎたからであろう。

たしかに、かなり接近した瞬間もあったが、そいつは、おれが「複数のスマホ・ジャンキーの狭間を縫って、苦労して」すれ違っていることなど、知る由もない。かれの認識が届くのは、自分の半径20cmだけである。

そいつの主観では、おそらくおれは、「不意に」半径20cm内に入ってきた男である。と同時に、「歩きスマホをしている人にわざとぶつかってくる不届き者」と思えたにちがいない。


かれの矮小な認識能力においては、おれは、「自分にわざとぶつかってこようとした男」なのだ。

そして、かれは「ぶつかりそうになる」のを、素早く察して回避したつもりなのだ。


だが事実は、かれがおれを咄嗟に避けたのではなく、始めからおれが避けるラインを選んでいたのだ。たとえ、かれがスマホを見詰めつづけていたとしても、互いにぶつかりはしなかっただろう。(実際、そいつの身体は避ける動きなどせず、睨んで「圧」を送ってきただけだ)

これはおれの想像だが、そいつはおそらく、

 

「スマホ歩きをしてると、わざとぶつかってくる奴っているんだよね~。最低のSHITだよ」

 

という認識「だけ」を後生大事に習慣化し、それを以って、自己の行動を正当化しているのではあるまいか。


そうじゃなきゃ、舌打ちまでしないんじゃないかな。


あ、片手にスマホ、もう片方の手で「星・背後ス」のカップを得意げに提げていた程度のやつだからな。

乗っていた電車のなかで飲んでいたのか?


とにもかくにも、久々に「バチでも当たれ」と思ってしまった。


・・・というエピソードで終わらせては、やや殺伐としてしまうので、おれが今年に入るくらいから、心がけていることを紹介する。

おれの些細な心がけ。

それは、自分が歩行者の立場として「信号機のない横断歩道」を渡ろうとしてるとき、車両が停まってくれたら、渡り始める際に、

 

はっきりと会釈する

 

ことである。

 

 



横断歩道を渡ろうとしていたら、交通ルール上、車は停まるのが当然だ。だから、お礼などする必要はない、という理屈も一理あるが、自分も車を運転するので、ドライバー心理も理解しているつもりである。


自宅から会社までの通勤経路で、「信号機のない横断歩道」は(ルートにもよるが)、4箇所ある。

それらを渡ろうとしているときに、車に停まってもらったら、きっちり頭を下げて挨拶するのだ。

(通勤時以外の日常生活上でも、同様に心がけている)


もっとも以前から、停まってくれたドライバーには軽く会釈していたつもりだが、しかし「頭を下げているかどうか微妙」という程度では済ませずに、はっきりと会釈することにしたのである。


この程度のことで、どれだけ相手を和ませられてるかは判らない。だが、自分がドライバーになった際、横断者に会釈してもらえるか否かで、こちらの気分は雲泥の差だ、ということを常日頃から感じていた。


本当は会釈だけではなく、「ドライバーに満面の笑みをむけながら会釈」しようと思ったのだが・・・、

 

 

 

@ODEN

 

 

家族から「怖いからやめて」と言われてしまい、泣く泣く(?)会釈のみに留めた次第だ。


微細なことながら、今後も実行しようと思っている。