激動の幕開けにひそかにワクワク でも傘の日はムズムズするという話 | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

昨日のリブログ投稿でも言及したが、現地日付の3月6日、トランプと共和党候補指名を争っていたニッキー・ヘイリーが自らの敗北を宣言した。

 



当然の結果だ。



ドナルド・トランプと比べれば、ニッキー・ヘイリーなど、「泡沫候補」に等しい小物である。
ブルーステート(民主党支持)であるバーモント州で勝利したことは、むしろ皮肉でしかない。


日本の主要メディアはある時期まで、このあまりにも大きな「支持率の格差」を無視し、あたかも両者が接戦を演じる可能性があるかのように報道していた。そのうち、接戦であると報じるのはさすがに無理筋と悟ったのか、ヘイリーのことを、「たとえ勝利できないまでも、本来当選してはいけないならず者のトランプ候補に果敢にも一矢報いようとしている正義のヒロイン」であるかのようにイメージ操作をし始めた。

 

 




だが実際のニッキー・ヘイリーは、軍産複合体のまさに一翼をになうボーイング社とつながりのあるネオコン女であり、共和党にとっては獅子身中の虫であるライノ:名ばかり共和党員(RINO:Republican in name only)である。おまけにDeep・S組織である国際連合の元大使。


まっとうなアメリカ国民が支持するわけがない。


それにしてもマスメディアは、そもそも格が違いすぎる二人を、あたかも同じ土俵に立つ者同士であるかのように報道することが好きだよな~。


ドナルド・トランプとニッキー・ヘイリーだけではなく、あの「暗○された」とされるナワリヌイに関しても、「世界的に知られた反体制派の指導者」「プーチンの最大の政敵」であると、事実に反した嘘を盛りあげ、プーティンとナワリヌイが同格であるかのように報道した。(こちらも実際は、世界的に知られてもいないし、プーティンにとってなんの脅威にもなり得ない「小物」である)

そうして演出した対立構造を前提として、さらにフェイクを重ねていく。プーティンがかねてより邪魔だったナワリヌイを暗○したというストーリーを、プーティンのイメージを貶めるために垂れ流すのだ。


Deep・Sは、そのようなコドモの屁理屈みたいなケンカの仕方をいつまでつづけるつもりなのだろう?


財力にものをいわせて偽情報の「目撃者」「証言者」「拡散者」を掻き集めているから、なんとか「ケンカ」の体裁を保っていられるが、やってることは、仲間と結託して「あの人に痴漢されました!」「私も見てました!」といって無実の相手に痴漢の濡れ衣を着せようとする愚劣な所業と変わるところがないのである。


だが、そのような「でっちあげ」「虚偽告訴」が通じない相手も増えてきた。


虚偽を暴く環境・仕組みも整ってきている。


一昨年は鹿婆褸の巨頭のエリザベス女王蜂婆さんが逝去し、今年はロス茶坊主も地獄に召された。
(実際の逝去時期は、報道された時期とは異なっている可能性がある)


お菓子配りの邪魔女ヴィクトリア・ヌーランドも国務次官を辞任する。
いずれクラウス・シュワブもシュワシュワと泡となって消えそうだし、ジョージ・ソロスもソロソロすかね?・・・

 

 

 

 

さらには、「情報の辺境地」日本でも、いよいよ史上最凶の大・薬・害がバレようとしている。

 

 

※3月8日の投稿時に貼ったYahooニュースの記事がリンク切れになったため、当該記事記載の「文春オンライン」のリンクを直接貼りつけました。始めからこちらのリンクを貼っておいたほうがよかったかもしれない。(2024/3/19)

 


Deep・Sの掌や指のあいだから、握っていた真実と、それまでついていた嘘が、大々的に漏れはじめた。
掌も指も、握っていることに耐えられぬほど、痩せ細ってきているのだろう。


人を呪わば穴二つということわざ(理路)は、宗派の壁を破って通じるにちがいない。


歪んだ選民思想で「ゴイム」を殲滅しようとした思いあがりの報いを受けるがいい。

 


ネオコンの黄昏。

 

現在、マスメディアに登場しているネオコンは、まさに「残党」といえるだろう。

 

 

 

 

 

 



・・・ということに想いを馳せながら、今朝、中途半端に雪の降るなか、傘を差して通勤した。

いきなり卑近な話題だが、雨や雪の日はいつも思う。



電車のなかで、長傘を腕や手首に掛けて提げるときに、傘の先端が外向きになっているひとがいる。

これは危険だし、他の乗客の服などを濡らしてしまうこともある。
たいへん迷惑なのだが、当の本人はいっこうに無頓着という場合が多い。


単純な話で、傘の柄の先端が外側をむくように掛けると、先端も外側をむいてしまう。(イラスト1)

 

「イラスト1」

 

 

 

 

これを「イラスト2」のように掛けるだけで、迷惑度は激減し、「ほぼ無害」なレベルに落ち着くのだ。



「イラスト2」


なかには、先端が外むきになってしまうことを気にし、できるだけ垂直に近づけるべく傘本体を抑えようとしている人もいるのだが、柄のむきを変えようという発想はないようだ。

 

そもそも、「柄のむきを変えると先端のむきも変わる」ということを知らないのだろう。


こういった傘の持ち方(掛け方)について、他の人はどう思っているのだろう?

 

ざっと検索してみると、この「外むき掛け」に否定的な立場からは、


「柄の先端を内側にして掛けるのがマナー」

「柄の先端を外にして掛けるなんて、育ちが悪い」

 

という意見のほかに、



「腕に傘を掛けること自体NG。先端を床に着けるようにしてしっかり持つべき」

 

という見解や、



「電車に乗ろうとするなら長傘はNG。折りたたみの傘にすべき」

 

という極端な意見まである。


一方、「外むき掛け」にたいしてのおれの素朴な感想としては、



「イラスト2のように掛けるだけで(ほぼ)解決。そんな簡単なことを、どうして思いつかないのだろう」

 

と、不思議に思うだけである。


「これはマナーだ」という意見の発信者と、「これを知らないなんて育ちが悪い」という意見の発信者は別の人だったが、おれは別に「マナー」として誰かに教わったわけではない。



この程度のことは、マナー以前の「生活上の工夫」レベルの話である。
また、このことは親に躾けられたわけではないので、いわゆる「育ち」とも無関係だ。


柄を外むきにして掛けているのに、先端が外にむくことを気にしているひとが近くにいると、

 

「こうするといいよ~」

 

と、(満面の笑みをたたえて)優しく教えてあげたくてムズムズする。




 

ただ、内むきに掛けたからといっても、先端の状態は不安定なのだから、ときと場合によっては、迷惑をかけることもある。

(先ほど「ほぼ無害」と書いたのはそういう意味だ)

 

そのようなときは、やはり先端を床に着けた状態で固定して持つのが適正だろう。


また、前にかかえたリュックのサイドポケットなどに引っ掛ける人も少なくない。
多くの場合、期せずして先端は内むきになるのだが・・・、






それでも、こんなのは論外だ。

 





そんなことより、と、と、と、鳥山明が亡くなっちゃったよーーー!