第58回 内田 樹/岩田健太郎『コロナと生きる』 | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

おれがこのブログで取り上げるのは、基本的に「お奨め」の書籍ばかりだ。
しかし今回ばかりは、批判的・否定的に扱わせてもらう。

宣伝を兼ねた、Amazonへのリンクも今回は貼らない。

どうせ「好評発売中」なのだから、買いたい方は買っていただきたい。


さて、おれはかつて、内田樹に心酔していたときがある。

このブログでも(現在のところは)最も多く取り上げてきた著者だ。
レビューについては、テーマの「内田 樹」のところからご覧になっていただければと思う。

だが、ここ最近は彼の「ご意見」を参照することは、ほとんどなかった。
一時期集中的に読み込んでいたおかげで、こういうときに何を、どう言うか、ほとんど先回りして読めるようになったから、ということもある。

しかし、今回のコロナ禍に於いて、ごく初期の段階で、その著書を読んでみた。
各界の「第一人者」たちと会談を重ねている内田樹ならば、おれには得られないような「情報」に通じているのではないかという期待もあったし、やはり、あの内田樹が、この「ねじくれた現状」をどのように解釈しているかにも興味があったからだ。

内田樹/岩田健太郎『コロナと生きる』(2020年9月30日第1刷発行)

内容は、感染症の専門医である岩田健太郎(あの岩田健太郎だ!)が、医療現場の現状を含めた新型コロナウイルスに関する知見を述べ、それを拝聴した内田樹が持論を展開するというものだ。

これらの言説を読んで、おれは落胆を禁じ得なかったのだが、その落胆のなかには「やっぱりね」「期待したおれがまちがっていたかも」という“案の定”が含まれていたのも確かなのだ。おれにすら見えている「ねじくれ」が、全く見えていないという印象だった。

かれはアカデミズムの世界に生きているだけあって、「過去の資料」「文献」をもとにした「考察」では天才的な冴えを見せる俊英だ。しかし、このような「現在進行形の新たな奇禍」を「分析」するのは不得手なのではないか? そのような疑義をいだいてしまったのだ。

これは2022年8月の現在から当時を振り返っての「後出しジャンケン」の意見ではなく、発行とほぼ同時期に読んだ際の感想である。

この岩田健太郎は、コロナを《“21世紀の鬼っ子”》と呼び、《「コイツには人格があるんじゃないか?」と思うくらい、非常に性格の悪いウイルス》と表現する。さらに、各国で行なわれた初期段階でのロックダウンは効果があったと評価する一方、コロナなど大したことが無いと経済を優先するトランプを事あるごとに批判し、挙句の果てにワ○チンの普及に関してビル・ゲ○ツ財団にエールを送っている(少なくとも期待しているような発言はしている)。

 

もう、人為的・恣意的な「設定(=無症状者から感染するとか)」をそのまま鵜呑みにして(あるいは同調・利用して)ウイルスをおどろおどろしく脚色してもらいたくないわ。

それに対して内田樹が、十八番(おはこ)の演繹を展開して、政治を批判し、それに牛耳られている(!)マスメディアを批判し、日本人の新たな生きかたを説いたりしている。

内田樹に対する「懐疑」はなにもこのときが初めてではない。

「喫煙擁護」の話になると、途端にトンチンカンなことを言い始める。

 

     ↓
テーマ:内田 樹 第37回 内田樹『「おじさん」的思考』
2012年03月06日(火) 


そして、曾野綾子の件。

ちょっとややこしいので時系列を整理すると、

作家の曾野綾子氏が、2015年2月11日付で、産経新聞の連載コラムに「労働力不足と移民」と題するコラムを載せた。

この内容が人種隔離政策、アパルトヘイトの思想に通じるものだとして、海外を含めた各方面から非難を浴びた。

その「非難の記事」を元に内田樹が曾野綾子とその思想を舌鋒鋭く批判した。
内田樹の研究所「アパルトヘイトをめぐるThe Daily Beast の記事から」
2015-02-18 mercredi


その内田樹の言説を読んだおれが、「曾野綾子がそんなことを言うかな?」と疑問に思って、「コラムの原文」を手に入れて読み、その結果として「内田樹さん、ちょっとおかしいんじゃないの?」という主旨の文章を自分のブログに載せた。
テーマ:時事ネタ 「快」のための提案 

2015年02月20日(金)
※曾野綾子のコラムの原文は(↑)こちらに記載しています。

この曾野綾子のコラムの内容、今読んでも非難を浴びるような要素はまったく無いと思う。
文化や生活様式の異なる人が同じ場所に無理やり住んだら互いに不幸だ、といった、ごくごく穏当で真っ当な感想が書かれているだけだと思うのだが、おそらく《私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住むほうが良い、と思うようになった。》という記述、あるいは、《南アのヨハネスブルグに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活は間もなく破綻した。》という箇所を捉え、これを「人種隔離政策を擁護するものだ!」「アパルトヘイトに戻した方がいいと主張している」と非難するなんて、まるで正体不明の遺伝子の一断片を40サイクルで1兆倍にまで増幅させて「コロナ陽性!」と判定するPCR検査みたいなものだろう

そしておれは、おそらく内田樹がコラムの原文も読まずに「非難記事」だけを根拠にしてさらに非難を上乗せさせ、こんなに海外から非難されているのに曾野綾子は謝罪しようともしない、ということも含めた無茶苦茶な断罪文章を書いていることに唖然としたのだ。

そして、たんに「居住地を分ける」ことと「隔離政策」との間には甚だしい懸隔があるのではないか、という疑問も投げかけた。(内田樹に直接投げかけたわけではない)

そして、当時(2015年時点)は思わなかったのだが、今あらためて思う。

文化の違う人は別々に住んだほうが良いという、いわばナショナリズムの言説を、ここまで血眼になって否定し去ろうとする姿勢は、もはやグローバリストの言説である、と。

まあな~、
『日本辺境論』だし、『私家版 ユダヤ文化論』だし・・・。

一方、かつて文春オンラインの 2020/02/29 に「今さえよければそれでいい」社会が“サル化”するのは人類が「退化のフェーズ」に入った兆候 と題したインタビュー記事を載せているのだけど、そのなかで、

 

内田 Honesty pays in the long runということわざがありますね。「長期的に見れば、正直は引き合う」という意味ですが、それは逆に言えば、「短期的に見れば、嘘は引き合う」ということです。だから時間意識が縮減して、「短期的に見る」ことしかしない人間にとっては「嘘をつくことの方が引き合う」んです。
 ドナルド・トランプは100年単位の長期的なスパンでとらえたら、米国史上でもっとも愚鈍で邪悪な大統領として歴史に名を残すでしょう。長期スパンで見たときに、アメリカの国益を大きく損なった人として世界史に記録されることは確かですが、短期的に見れば大成功している。ファクトチェックによると、就任からすでに1万以上の嘘を重ね、フェイクニュースを垂れ流したことによって成功したわけです。「嘘は引き合う」の最も説得力のある事例です。

 

とまで言い放っているのだ。

100年単位の長期的スパンでとらえた時に、内田樹がわかりやすいフェイク・ニューズにコロリと騙された「思想家」のひとりとして歴史に名を残さないように祈るばかりだ。


さらに案の定というべきか、今年の「ウクライナ騒動」に絡んだインタビュー記事では、プーチンが狂った独裁者であることを疑いようのない前提として(!)、その周りが「イエスマン」ばかりなのでロシアの政治の中枢部は《統治機構として末期的な風景》だと、もはや手垢のついた仰々しい表現で「大真面目に」批判している始末だ。悪いが、読んでいて恥ずかしく(片腹痛く)なるほどの「愚論」である。

 

    ↓

ロシアとウクライナについてのインタビュー
2022-04-05 mardi

つき合いのある出版社の編集者は内田樹の「イエスマン」ばかりなのだろうか・・・。

 


依拠している情報がいつも「真」である安定した世界なら、内田樹は強い。

だが、かれは「真偽」がほぼ逆転しているマスメディアの報道をそのまま愚直に「真」と見なし、その情報を土台として豊富な格言の知識をいたずらに活かし、多くの文献を引用し、比喩を示し、お得意の修辞法を駆使してご高見を披瀝している。だが、「真」と「偽」を見分ける能力に欠けていれば、せっかくの“建築物”もほとんどすべては砂上の楼閣となるのだ。仮に、もし、わざと間違えているのなら、Deep・S側の人間である。

さらば、内田樹。
もう「世界」は変わってしまった。もう、あなたの書籍を買って読むこともないでしょう。
長い間、ありがとうございました。