「快」のための提案 | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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「産経新聞」(2015.02.11)に掲載された作家の曽野綾子のコラムが、南アフリカの「アパルトヘイト」を擁護するものとして各方面から非難を浴びている。


「コラムの撤回」の仕方とか、「謝罪」の方法についてはとりあえず置いておいて(これこそが優先事項だ、という意見の存在は重々承知のうえで)、もっと基本的なポイントについて疑問がある。


本当に基本的な問題なので、おれの「素朴な疑問」に回答をいただけると助かります。


曽野綾子の主張はたんに、居住文化の異なる人と一緒に住むと摩擦が起きがちなので、別々に暮らしたほうが互いにとって快適だ、ということではないのか?? ちがうのか?


ここに、実際に訪れた南アフリカで見聞したことを例に挙げてしまった(これこそがけしからんという意見もあるかもしれないが)ので、読んだほうは即、アパルトヘイトを連想したのだろう。


※たしかに、以前は白人専用マンションだった → 差別廃止後は黒人も住むようになった → しかしその共同生活は破綻した、という例なので、一部だけ切り取ると「以前のほうがよかった」という主張のようにも見える。見えるだけだけど。


でも、主張の正味は、居住文化の異なる人とは住居(ひいては居住地域)を分けたほうが双方にとって住みよい、ということではなかろうか。


しかしコラムの内容を舌鋒鋭く非難する方々は、「居住区を分ける」即「人種差別」「隔離政策」につながるということを自明の前提にしているようなのだ。


おれの「素朴な疑問」とは「居住区を分ける」ことと「隔離政策」はそれほど密接につながっているのか、ということだ。その「前提」がそれほど「自明」なのか、ということだ。


たしかに、「居住の制限」はアパルトヘイトの「柱」のひとつである。だが、アパルトヘイトの「背景」「法律」はその程度ではとどまらない。とどまるわけがない。


まず、人口にして約15%の少数派の白人が、約85%のアフリカ人を支配するための政策だったこと。
つまり「支配」するという目的が先にあったのだ。
その差別を推し進めるために、多数派を劣悪な環境の狭い地域に押しこめ、参政権を剥奪し、婚姻を制限し、職業や教育の場でも差別を促進していった。


これらは、たんなる「住み分け」とは次元が違う。


居住区の分離がアパルトヘイトの根幹に「あった」のは歴史的事実だが、では、かりに居住区を分けた場合、どのくらいの「確率」で隔離政策は実現するのか? 「居住区を分ける」という発想は、それだけで「差別的な隔離政策」を高い確率で実現させてしまうのか?


たしかに「支配」や「管理」のために「居住区分け」は有効な手段となるだろうが、「居住区分け」がそのまま「支配」への道につながるという、「逆」も言い切れるのか?


曽野綾子は反論として<「チャイナ・タウン」や「リトル・東京」の存在はいいものでしょう。>という穏当なコメントを寄せている。


かように、互いの「快」や「幸福」のために「平和的な住み分け」を主張しただけのコラムだと思うのだが、どうなのだろう。


現に<移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。>ともコラム上で述べているし。


そもそも南アフリカのアパルトヘイトは「移民対策」ですらない。


逆だ。


あとからやってきた少数派が、もともと住んでいた多数派の先住者を圧迫・支配した歴史である。


曽野綾子の意見をアパルトヘイト擁護と解釈する不自然さはここにもある。


それでも「平和的な住み分け」なんかありえない。住み分けという発想は隔離政策に結びつく蓋然性がかなり高いということであれば、その理路を知りたいのだ。単純に。


それぞれの人口・生活様式に見合った「面積」と「環境」であれば、たとえ居住区を分けたとしても、それだけでは「差別」「隔離政策」とはいえず、むしろ「保護」と呼べる場合も多いのではないかと思うが、これは間違いなのだろうか。


間違いだとする場合、考え得る理路としては、移民たちが勝手に集まって○○タウンを作るのはOKだが、国や自治体が「ここに住んで」と居住区を指定した途端、差別が始まるというものだ。


ならば、○○人を大量にやとった「企業」が、ここに住むようにと特定の地域のマンションを手配しても差別につながるのか?
 

国のやることはNGで、企業ならOKなのか?
それとも、国だろうと企業だろうとNGなのか?
 

どこまでならOKで、どこからがNGなのか?
それとも、その他の条件がいかなるものであろうと、「居住区分け」の発想が片鱗でも窺えたら、即NGなのか?


このあたりもふくめてどうなんでしょ、ということです。




内田樹の研究室」より。

  ↓

http://blog.tatsuru.com/2015/02/18_0935.php

コラムの原文を読んでるのか、内田樹さん?
読んだうえで本当に「隔離政策」を「賞賛」してる内容だと解釈してるのだろうか?



【参考】2015.02.11 産経新聞掲載コラム 「曽野綾子の透明な歳月の光」 全文


<労働力不足と移民

 最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている。
 特に高齢者の介護のための人出を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。つまり高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。
 どこの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。孫には衛生上の専門的な知識もない。しかし優しければそれでいいのだ。
「おばあちゃん、これ食べるか?」
という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。
 しかし、同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。条件を納得の上で日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。
 ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。
 もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住むほうが良い、と思うようになった。
 南アのヨハネスブルグに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活は間もなく破綻した。
 黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
 住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は1戸当たり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
 間もなくそのマンションはいつでも水栓から水のでない建物になってしまった。それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。
 爾来、私は言っている。
 「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」>