第48回 ロバート・J・ソウヤー『ハイブリッド -新種-』 | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

いよいよこの「ネアンデルタール・パララックス」も最終巻。
第3巻の『ハイブリッド -新種-』

文庫本ながら、3冊各々が五百ページ超というヘビー級の長編だ。


3冊を1ヶ月近くかけて読んでいると各登場人物にも愛着が湧くし、また、それを抜きにしても、「読む前」と「読んだあと」で明確に「モノの見方」が変わってしまうという、おれにとっては「画期的な小説」のひとつとなった。


発見された化石の骨や関節の巨大さからいって、ホモ・ネアンデルターレンシスの筋力(筋肉量)は、ホモ・サピエンスに較べて圧倒的なものだと推測されている。ホモ・サピエンスの超一流レベルは、ホモ・ネアンデルターレンシスの「ふつう」レベルにすぎないのだ。(ネアンデルタールの成人男子のほとんどが、ホモ・サピエンスの超一流レスラーのような体格をしていたということを意味する)

本書のネアンデルタールの体格・体力面については、そうした考古人類学的な「実像」を踏まえている(または、ふくらませている)。

問題は「知性」だ。

もしも、仮にネアンデルタールの脳に「知性」が宿ったなら・・・。
そのときは、現世人類よりも大容量の脳髄ゆえに、ホモ・サピエンスよりも知能的に優れた存在となるだろう。

つまり、本書で描かれている「ネアンデルタール」は、ホモ・サピエンスより知力も体力も上回っている存在として描かれているのだ。

美しき物理学者ルイーズが解説する。

「ネアンデルタールがあたしたちよりもうまくやってこられたほんとうの理由は、より大きな脳をもっているから。ネアンデルタールのほうが頭蓋の容量が十パーセントも多いのよ。あたしたちの脳では、ものごとの第一段階まで考えるのがせいいっぱいなの。よりよい槍をつくれば、もっとたくさんの動物を殺せる。でも、よっぽど努力しないかぎり、第二段階まで見とおすことはできない。もしも動物を殺しすぎたら、一頭も残らなくなって、こっちが飢えることになる。ネアンデルタールは最初から全体像を見とおすことができたみたいね」


人類より知性も体力も優れている存在の視点を借りて、人類を批判する・・・ということであれば、それこそ「異星人」「地球外生命体」を登場させれば済むことだし、そのようなSF作品はゴマンとある。

ところがそうではなく、もうひとつの地球(並行宇宙)に住むネアンデルタールを主軸に据えることにより、(もしかしたらそうなったかもしれない)別の地球の姿を描出することが可能になり、「こちら側」の地球のようにホモ・サピエンスが生存していることなど「たまたま」なのだ、ということを暗示することもできるわけだ。

そして、それゆえに、単に一方が一方を批判する構図だけではなく、約20万年前に同じ祖先から分派した「いとこ」同士としての交流と友愛も描かれ得るのだ。

そして、敵対も・・・。

かつて合衆国の軍事研究所に所属し、現在は合衆国政府のシンクタンクのディレクターであるジョック・クリーガーが苦々しく本心を吐露する。

やっぱり、気に入りませんね。ランド研究所にいたころは、自分たちと同等の知能をもつ敵を計略で負かすことに全精力をかたむけていました。武力の面で敵のほうが有利なこともありましたし、こちらのほうが有利なこともありましたが、どちらかいっぽうが生まれつき他方より頭がよいという発想はありませんでした。(後略)
「べつにネアンデルタールを負かそうとしているわけじゃないでしょ」ルイーズはそういってから、ひょいと眉をあげた。「ちがうの?」
「は? いえいえ。もちろんそのとおりです。おかしなことをいわないでください」



前々回のブログで、第1巻の『ホミニッド』について書いたとき、作品のなかでネアンデルタールにも知性が生じた驚嘆すべき「理由」が説明され、しかもその理由はこの作品の根幹を成す、ある「理論」と通じているという意味のことを述べた。

さらに、その画期的ですばらしいアイデアを作者がさりげなく提示しているところがオシャレだとも。(オシャレという言葉は使っていなかったかな)

ところが、そのアイデアはその後も(第2巻でも)言及され、最後の最後まで「こちら側の世界」と「こちら側の人類」、そして「こちら側の世界を見るむこう側の人類」をも揺さぶりつづけることになり、そしてクライマックスでは、この「理論」から派生した現象により、人類未曾有の「混乱」に突入する・・・。

・・・って、小説としてはこれ以上展開すると収拾がつかなくなりそうだ、というぎりぎり手前でとりあえず「描写」は収束されるのだが・・・。

ちなみに本書の「ネアンデルタール」から見たサピエンス種は、もちろん「サピエンス(知恵あるヒト)」などとは呼ばれていない。むこう側の世界では、我々の形態の人類は知性をもち得なかったがゆえに数万年前に地球上から消えた「愚かな絶滅種」でしかないのだ(しかも化石の骨格からして貧相で貧弱な)。

彼らから見た「こちら側」の世界の人類の名は「グリクシン」
(一方、ネアンデルタールは自分たちのことを「バラスト」と総称している)
本書にこれらの名称はなんども、あたりまえのように登場するのだが、とくにこのグリクシンという造語の語感は秀逸だ。うっすらとした蔑みが透けてみえるし、なんか日本語の「憎々しい」にも通じる。

試しに電車のなかで不躾な振る舞いをする輩がいたら、心のなかで吐き捨ててやればいい。
「この、グリクシン野郎が・・・」と。(もっとも、自分もそうなんだけどね)



(登場人物のジョック・クリーガーと語感が共通しているのは偶然か? いや偶然ではあるまい)




~今回、ちょっと書き方を変え、ブログのスタイルの定番である「文中での改行」を止めてみました。これまでに較べ、読みやすさ・にくさはいかがでしょう・・・。




ハイブリッド―新種 (ハヤカワ文庫SF)


第3巻『ハイブリッド』の巻末解説は、サイエンス・ライターの金子隆一氏だ。
第36回で取り上げた『アナザー人類興亡史』の筆者でもある。