第10回 今野 敏『隠蔽捜査』 | 不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

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読書のほとんどは通勤の電車内。書物のなかの「虚構」世界と、電車内で降りかかるリアルタイムの「現実」世界を、同時に撃つ!

昨日朝の通勤時、運よく座ることができた。
しかも、シートの一番端の座席に、だ。

おれは、会社ではほとんどデスクワークなので、
通勤電車のなかではべつに立っていてもいいかな、
と思っている。

だから、「席取り競争」に血眼になる、
ということはないのだが、
空いていれば座る。

とくに寝不足などで体調がイマイチのときは
座れるとたいへんありがたい。

おれは、幸運に感謝しつつ座り、
膝の上(正確にはももの上)にバッグを乗せ、
その上でさっそく文庫本を読みはじめた。

出発間際に乗車してきた男が、
おれの隣の席に座ろうとしてきた。

おれの左隣の席も、ぽつんと一人分空いていたのである。

そこに腰を降ろしてきた男(やや小太り)は、
両隣の先客(そのうち片方はおれ)を押しのけるようにして、
シートに深くもたれかかったかと思うと、

次に・・・!

ひじ、というか、ひじと肩の間の上腕部で、
おれの上腕部をかなりの力で押してきた。

(何こいつ!?)

勢いよく尻を割りこませてきた振る舞いについては
(どこでもよくある図々しさなので)
黙って大目に見ていたが、
正直、これには驚いたし、カチンと来た。

長年、多くの満員電車に乗ってきたおれだが、
このような厚かましさに遭遇するのは稀である。


でも、それでもおれは、
そのときはまだ黙っていた。

そいつは胸の上で腕を組むようにしていたから、
     (↑ これ自体、狭いところで取る姿勢ではない)
上腕がかなり前方、かつ上方向に位置している。

対して、おれの上腕はふとももの高さ+バッグの厚みの位置にあるので、
そいつの上腕よりも、後方かつ下方にある。

そいつのひじが胸の高さにあるとしたら、
おれのひじの高さは、せいぜい臍の位置だ。

上下だけではなく、前後にもずれている。

だから、
お互いの上腕が互い違いになって、
そうまともにはぶつかり合わない位置関係にあった。

そいつの腕の「後ろ側」と、
おれの腕の「前側」がかすかに触れ合ってはいるが、
満員電車に座っていれば、ごく当たり前の「接触」にすぎない。

・・・はずなのだが!!

そいつは、それでも落ち着かないらしく、
わざわざ、おれの上腕の位置まで腕を下ろして(!)、
そこからおれの上腕を水平方向に押してきたのだ。

わざわざだ。

おれの腕のある位置までわざわざ腕を下げて、
腕をこちらに張り出してきたのである。

おれはそこで口火を切った。
初めから敬語など不要だった。

おれ 「なにするんだよッ」

小太り「腕、邪魔なんだよ。もっと引っ込めてよ」

おれ 「なんで? べつにぶつかってないでしょ?」

小太り「触ってるのも嫌なんだよね」

おれ 「・・・・・・(知るか)」

訴えが受け入れられなかった小太りは、
「もっと、こうすればいいじゃないか」
と、おれの腕を取って、
ひじがへその真上に来る位置までおれの腕を移動させる。

おれは、ふんと鼻で嗤って、
すぐに、もとの位置に腕をもどした。
内心、だったら自分がそうしたらいいじゃないか、と思っていた。
思うだけではなく、口に出してもよかったのだが、
これはどうしても相手が黙らないときの
「切り札」にしようとしていたのだ。
(口喧嘩慣れしてるな、我ながら)

小太り「なんでそうしてくれないの?」

おれはもうウンザリして、
そいつとおれの身体の間を手刀(てがたな)で上下させ、
「身体からひじがはみ出してるわけじゃないでしょ!」
と断言。

そいつは、図々しいやつ特有の「被害者意識」
その鈍感そうな顔に露骨に滲ませながらも、
それ以上の反論や要求はしてこなかった。

やつなりに諦めたのだろう。
そのうち、腕を組んだまま眠ってしまった。

おれは読書にもどった。
世の中にはこんなやつもいるんだな、と思いながら。

はっきりいって、
おれは、電車のなかで自分が不快になるのも嫌だが、
同時に、
他者を不快にしないようにも相当気を遣っている。

他者の邪魔にならないように、
ひじをコンパクトに締めて座るのは当たり前。
バッグから何かを取り出したりするときにも、
ひじが隣の人に当たらないように気をつけている。

ところが、そいつは、
それでもおれの腕が「邪魔」だという。

なんのことはない。

そいつは、混んだ電車のなかであるにもかかわらず、
ゆったりと快適なポーズを取り、
しかも、自分の身体に触れられたくないがために、
赤の他人に窮屈な格好を強いようとしてきたのだ。

相手には腕を不自然なまでにすぼめさせておいて、
自分は悠然と腕を組もうという、

究極のわがまま野郎にすぎないのである。




そんなに接触するだけでも嫌なら、
自分で腕をすぼめていればいい。
そもそも座ってこなきゃいい。

他人と顔を合わせたくなければ、
(その是非はともかく)自分のほうで「引き籠る」だろ?
それを他人にむかって、
「おまえら、みんな家から出るな」と言ってるようなものだ。

まともに取り合う必要はない。

前回は、空いているのに過剰に詰めようとするひとについて触れたが、
今回は逆に、混んでいる状況にもかかわらず、
空いているときと同じだけパーソナルスペースを確保しようとする
そんなひとの話でした。

で、

このときおれが読んでいたのは、

今野 敏(びん)の出世作、


『隠蔽捜査』だ!!!


読んだあとで知ったのだが、
「吉川英治文学新人賞」も受賞しているそうだ。


例によって、あらすじなどの予備知識は
できるだけシャットアウトしながら、
読み進める。
(もちろん、読む前も読中も「解説」など読まない)

そもそもこの本を読むきっかけにしたところで、
ただ、「『隠蔽捜査』は面白い、らしい、よ」
と、ほとんど無意識レベルで得た情報を頼りに、
買ってみたにすぎない。


読みはじめてすぐ、
主人公、竜崎伸也(46歳)が、
異様に「学歴」にこだわるエピソードが紹介される。

東大以外は大学とは認めない。

息子も現役で有名私大に合格したらしいのだが、
東大以外は認めん、ということで浪人させている。


おれも、いままでさまざまな小説を読んできたが、
ここまで学歴にこだわる主人公というのは珍しい。

あまりにもこだわるので、
これは作者がこの竜崎という登場人物を
戯画化しているのかと思ったほどだ。

まったく予備知識なしで読み始めたので、
冒頭では、竜崎伸也が主人公であるかどうかも、
まだおれにとって定かではなかったのである。


ちなみに、主人公は、「警察庁」に勤める
いわゆる「キャリア」だ。

東大卒で、
国家公務員Ⅰ種(当時だと甲種)試験に合格し、
警察庁(サッチョウ)に入庁して、(←警視庁じゃないよ)
いまは長官官房の総務課長という立場にいる。

小説内で殺人事件は起きるが、
よくある推理小説や刑事ドラマなどのように、
主人公が現場に急行したり、
聞きこみに回ったりすることはない。

同じ警察官でも、
警視庁や所轄の刑事たちとは、
役割がまったくちがうのだ。

竜崎の立場は「捜査」そのものにではなく、
警察組織や、警察のあり方などに関わっている。

その「殺人事件」は、
警察組織の「根幹」を揺るがしかねない
大きな問題を孕んでいたのだ・・・。

この竜崎という主人公は、
ともかく「スジ」を通す。
通し抜く。
周囲から「変人」と評されるほどの「正論」の男。

キャリアの「特権」も行使する代わりに、
キャリアの「義務」も当然のことして遂行する。
この「当然のこととして」というところに重みがある。

饗応は受けない。
国を守る自分が仕事で「楽」などできるわけはない、
と本気で思っている。

「不当な役得」など求めていない。
いわゆる「しめしめ」という状況を望んでいないのだ。


赤の他人に100%の負荷を強いて、
自分の負荷を0%にしようとした
あの「ひじ突っ張り」の小太りとは、
ほぼ真逆の性格だ。


東大卒にこだわるのもある「理由」があってのことだ。
(そこまで東大卒にこだわっているのに、
「東大卒以外はみんなバカ」という類いの発言はない。
そもそも、そんな風には考えていない)

しかし、そんな竜崎個人も、
「正論」だけでは解決困難な事情に直面する。



さあぁ、困った!

どうする竜崎ッ?


というわけである。

これ以上はネタばれにもなるので触れないが、
この小説は、
他ではあまり味わえないであろう「独特の感動」とともに、
予測困難な、
しかし「小説としてまっとうな」結末に着地する。

さあ! 「まっとうな結末」と聞いて、
あなたはどういう結末を予測するか?

それは読んでのお楽しみだ。
読んで、けっして損はしない。




不快速通勤「読書日記」 ~ おめぇら、おれの読書を邪魔するな! ~

隠蔽捜査 (新潮文庫)
 今野 敏 著




続編の『果断』も近いうちに読むぞーーー!