猫も杓子も?
セミナー講師というのが、日本には
たくさんいるそうだ。世界一だそうだ。
それはそれとして、学ぶ意欲がある人が
この日本に多いのはいいことだ。
江戸時代も、明治になっても本物を知る
講師は存在し、全国各地を回ったり、
講を開き、人がそこに全国から足を運んだ。その世界は、損得を超えた上位の
授業だったのは明らかである。
吉田松陰を探求すれば、いわずもがな
明らかなことだ。
ところが今はどうだ。
すざましい、体験も経験もない輩が、
どこかの安っぽい先生に習って、
分かった気になって講師になり、自己満足の
世界に他人を巻き込んで、かえって人を
悩みの闇に陥れてはないか。
セミナーを実際にやっている方に、その
間違う可能性がある自覚があるのか?
人を導くのは、たいへんな覚悟と肚が練られて
ないなら、やるべきではない。
その無責任な態度が、不幸な人をつくる。
キリストは、磔になったのだ。
なんだかわからないけど、いつのころからか、
講師業は儲かると煽った奴がいて、
それから猫も杓子も講師業を憧れとしたのではないか。
猫も杓子もになってしまってはいけない。
だって、僕らは人間という智慧を働かせる
唯一の生き物であって、猫や杓子ではない。
ドクスメが行なっている「逆のものさし講」は、
ぼくが講師ではない。垂直な生き方をした
先人から、書き残された本を頼りにして
学ぶことを第一の趣旨としている。
皆で集合写真を撮るときに、ぼくは
中心にはすわらない。なぜなら、中心に
講師が写っているなら、その学びの会は
詐欺か、嘘をまかり通す会の可能性があるからだ。
あやしいネットワークビジネスや、かつての
オウム真理教の事件を見れば、明らかなことではないか。
講師業をしている方こそ、逆モノ講に
来るべきだ。先人からの命と智慧の伝承に
関する本はぼくが命にかえてみなさんに
提供する。
講師を業とするかたは、歴史に学び、
過去に血を流しながらつかんだ思想に
敬意を称し、さらなる進化に力を貸す
思いでいてほしい。
己が目立ちたい、己が褒められたい、
という方は講師の職を今すぐやめていただきたい!そういうあなたは社会悪である。
ぼくは、いまや日本で一番の読書通である。
いや、8番目かもしれない。(笑)
