今は昔のこと、登照(とうしょう)という僧があった。人相を見るばかりでなく、相手の声を聞いたり、そのふるまいを知ることで、命の長短を予想し、身の貧富を教え、つくべき官位の高下を知らせてやる。
登照は、このように相を見ることの名人で、一度も間違うことがなかったから、京に住む僧も俗人も、誰彼となく争って、この登照の僧房に押し寄せた。
この登照が、ある時、所用があって、外出したまたま朱雀門の前を通り過ぎた。その門の下に、老若男女が幾人となくたむろしていた。ところが、登照が見ると十人が十人とも明らかに一刻の猶予もない死相を見せている。これは自分の見間違いかと思って立ち止まり、よくよく眺めたが、いよいよその相が顕著であった。
それを不思議に思い、色々考え合わせたが、いったいどういうわけで、ここにいる人たちが、一時に死ぬようなことが起こるのか、悪人が現れて凶器をふるったとしても、よもや全員をたちどころに殺すことはできまい。
おかしなことだと考えるうちに、はたと、もしやこの朱雀門が今倒れたとすれば、門の下敷きとなって、一人残らずたちまち死ぬはずだと思いついた。さっそく登照は門の下に、並んで休んでいる人たちに向かって、大声を上げた。「見ろ、門が今にも倒れるぞ、まごまごしていると、下敷きになって死ぬばかりだ。さあ早く逃げろ」と怒鳴った。
そこにいた者たちは、これを聞いてうろたえ、そこから散り散りに走り出た。登照も遠く離れて立っていたが、風も吹かず、地震も起こらず、びくともせずにそそり立っていた門が、急にぐらりと動き出すと、そのままどっと前に傾いて、大音響を立てて倒れてしまった。たいしたことはない、とたかをくくって、ゆっくり出た者の幾人かは、門に押し潰されて死んだ。
そののち、登照が人に会ってこのことを話すと、聞く人は「やはり、登照の人相判断は、不思議なものだ」と言って、感嘆した。
またある時、春雨が、いつまでもしとしとと降り続く夜のこと、一条のほとりにある登照の僧房の前の大路を、笛を吹きながら通り過ぎる者があった。
登照は、それに耳を澄ましていたが、やおら弟子の僧に「あの笛の音は、誰が吹いているのかは知らないが、あの音色からすると、もうあまり命がなさそうだ、さっそく教えてやれ」と言った。しかし雨が降る中を、笛を吹きながら、急ぎ足で過ぎていったもので、弟子は、後を追いかけたが、ついに追いつけなかった。
次の日は雨もやんだ。その夕暮れ時の頃、また昨晩と同じ者が、笛を吹きながら大路を戻ってきた。登照はそれを聞いて「あの笛を吹いて通るのは、夕べと同じ人に違いない。なんとおかしなことがあるものだ」と言った。
そこで登照が「あの笛を吹く者を呼んでこい」といいつけたので、弟子は走って行き、後ろから呼び止めた。見れば若い男である。侍らしく思われた。
登照は、その男を近くに呼んで「あなたをお呼びしたのは、ほかでもありません。昨晩あなたが笛を吹いてこの通りを通った時には、その笛の音色に、お命が、今日、明日にもなくなってしまうとの相が聞き取れました。しかし今夜また、その音を聞けば延命の相が出ています。いったい昨晩は、どんなお勤めをなされたのですか」と聞いた。
するとその侍は「昨晩はこれといったお勤めはしておりません。ただ、ここの東のほうの川崎と申すところで、普賢講(ふげんこう、普賢菩薩には寿命延長の徳がある)がもようされておりましたので、わたしも、皆の衆の読経に合わせて、笛を一晩中吹いておりました」と答えた。
登照はそれを聞いて、この人は普賢講の笛を吹いて、仏縁を結んだ功徳により、即座に罪も消え、命が伸びたのだと知った。そこで、仏の加護に感涙して、泣く泣くこの男を拝んだ。侍も喜び、登照に礼を言って帰って行った。
これは最近のことである。このような霊験あらたかな相人もいた、という話である。
(巻24第21話)