ある休日、今日もコウは『妖精の書』の読解に励んだ。ケンもそれに付き合った。
コウはこう思った。
あらゆるものに縛られる現代の人。多くの人が、そこからの解放を願っている。「自由を得たいと」
『妖精の書』はその方法を「やむを得ずの哲学」の実践で達成しようとしている。それにしても、やむを得ずとは何とも受動的である。また、やむを得ずという言葉がネガティブだ。
しかし『妖精の書』の立場からすると、この「やむを得ずの哲学」を実践した状態こそ、人、本来の自然な姿だという。そして理性は、この『妖精の書』の理解に、より聡明さを求めるためにあると言ってもいい。以前、理性の働きが強いと、より『妖精の書』の理解がはかどると言ったのは、こういった事情だ。
「やむを得ずの哲学」とは、言わば、「ナマケモノの哲学」と言っていい。教育によって矯正された、一般的な理性の持ち主の人にとっては、ただの「怠け者の哲学」とうつるのであろうが…。
自分が、怠け者タイプだったとしても、何も引け目を感じることは無い。「やむを得ずの哲学」を自然と実行しているのだから。コウには、遺伝的に『妖精の書』を読解する、資質があるのだと思う。『妖精の書』を伝導する、そんな家系に生まれたのだから。コウは、最初から「やむを得ずの哲学」のいうナマケモノ気質を持っているのだろう。そして、子どもの頃から、それに引け目に感じたことは無かった。
自己肯定感もマックス。
そもそも人類の二百五十万年前の祖先は、食物連鎖の中の中くらいにいて、食っちゃ寝るというダラダラした生活を送っていた。つまり我々が食べた後、ゴロゴロしたくなるのは、遺伝子的にあたりまえのことだったのだ。コウの生活態度は、「やむを得ずの哲学」から見ると正しかった。生まれてからの教育でも、それは矯正されなかった。不思議と。
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コウには、だんだん『妖精の書』の主軸の考え方が分って来た。それは、やはり、「やむを得ずの哲学」の実践にあると言っていい。それは、例えば、悟りの類いを目指しているのではない。あくまで理性を重んじる哲学だ。理性を追求したところにあるものが悟りというなら否定はしないが。
人という種は、欲望に対する行動の選択肢が多過ぎる。思い切って足ることを知り、「やむを得ずの哲学」で、さらに行動を制限する。それくらいでちょうどいいのかもしれない。すると心が安定する。この状態を『妖精の書』では「自由」と言っているのではないだろうか?
「やむを得ずの哲学」の真髄を表した一文を今の解釈で更新し、再び読んでみよう。
「感じてから応じ、迫られてから備え、やむを得なくなって初めて行動する。知恵と意思をいったん脇に置き、天の自然な理に従う。自分の外を変えるのではなく、自分が外に対してうまく為合(仕合わせ)る。すると逆説的に、その先には自由と幸せがある」これこそが、『妖精の書』が最も伝えたいことなのではないだろうか。
解釈は広がった。しかし解釈は、その時々で変わるものだ。そこには、その時の主観が入り込む。客観的解釈という言葉があるが、完全に客観的な解釈など存在しないのではないだろうか。
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『妖精の書』を一緒に眺めていたケンも、コウに同調した。ケンも自然と「やむを得ずの哲学」を実践していたのだ。
ケンはこれまで孤独に悩んできた。しかし実のところ、やむを得ずではあっても、その孤独を楽しんでいたのだと気がついた。そして、旅人になることも作家になることも、やむを得ずながら自分で選んできたのだと納得した。
ケンの自己肯定感もマックス。
「今日の『妖精の書」の読解には意味がある。皆にも知らせよう。コッコとヨナとアンに!」
ケンは言った。
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ケンの呼びかけで、日曜の晩に、スーパーマーケット「COCO友」に仲間たちは集まった。そして今、事務室に集合している。
「大切な知らせって何だい」コッコがケンに聞いた。
「『妖精の書』の「やむを得ずの哲学」のこれ以上ない新しい解釈が生まれたんだ。
「感じてから応じ、迫られてから備え、やむを得なくなって初めて行動する。知恵と意思をいったん脇に置き、天の自然な理に従う。自分の外を変えるのではなく、自分が外に対してうまく為合(仕合わせ)る。すると逆説的に、その先には自由と幸せがある」とケンが言った。
同じようでいて、言葉づかいが違う。また自由や幸について触れていた。
しかしコッコには、その意味がよく分からなかった。以前、心を病み、コウに救われたにもかかわらず、また実業家らしい志に戻っていたのだ。いかにもコッコらしい。ただ、以前と違い、休むべき時は休むようになっていた。
ヨナにも、その意味はうまく伝わらなかった。コッコと同じく仕事が順調で、大きなストレスもないため、自由を求める切実さが湧きにくいのかもしれない。順調ならそれでよい。つまずいて心を病まなければ、それで十分なのだ。
しかし、アンには届いた。自由という言葉に、心が反応したようだ。自由に生きたいという気持ちが誰よりもあったのだから…。
ストレスの多い看護師という仕事に携わるアンにとって、「自由」という言葉はひときわ輝いて見えた。その言葉を手掛かりに「やむを得ずの哲学」の今の解釈をとつとつと理解した。
アンの自己肯定感もマックス。
誰でも、自己肯定感が持てるよう、まだ『妖精の書』を読みこんでいく必要があるようだ。すると「やむを得ずの哲学」にも、また、新たな解釈が生まれるかもしれない。
さらなる精進を胸に、コウとケンは未来へ誓いを立てた。