港町で買い物をした日から、すでに一週間が経っていました。コウは、このところ、ヨナが畑の手伝いに訪れないのを心配に思っていました。そこでコウは、彼女の家を訪ねてみることにしました。

 

          *

 

 コウがヨナの家を訪ねると、なんと彼女は病床の身でした。何事かとコウは彼女に尋ねると、彼女は「起き上がることが億劫でならない」と言うのです。そしてしきりに涙をこぼしました。

 そしてヨナは思い切って、自分の不調の原因が、コッコの店で話をしていた『コード』という組織から届いた、複数の手紙のせいなのではないのかとコウに告白しました。

 コウはすぐに、その手紙を見せてもらいました。手紙の文面には、こう書かれていました。

「あなたの未来はもうすでに決められている。我々の組織からは逃れることはできない。じき迎えに参ります」

 そして魔法陣のようなものが別紙に添えられています。

 コウは、この気味の悪い手紙に、なんとも不快な気持ちになりました。ちょっとしたいたずらでしょうか。しかし手紙は複数です。嫌がらせでしょうか。しかし彼女は、恨みを買うような人物ではありませんでした。

 コウはヨナに、「この手紙を見ちゃいけない」と言って自分の懐にしまい、ヨナを看病するための準備に、いったん、自分の家に戻りました。

 看病に必要なものは、ヨナの家にほとんどありましたから、コウは、自分の着替えと『妖精の書』だけを持って、またヨナの家へ向かいました。

 もしもの時に、自分にできることは、この『妖精の書』のお告げを聞くことしかないように思われたのです。昔の人は、困ったことがあれば『妖精の書』に頼ってきたのです。今度のことも困ったことに違いありません。

 

          *

 

 翌日コウは、コッコの店にも訪れました。ヨナの容体を伝えに行ったのです。

 コッコは、ヨナが病床の身であることに驚きました。しかもコッコは、それが、いつぞやの現実味の伴わない話として笑った、あの『コード』という組織の仕業と聞いて、さらに驚いていました。そしてヨナを心配しました。

 コウはコッコに、ヨナへ届いた手紙を見せました。

 コッコはその手紙を見ると、やはりコウと同様、不快な気分に襲われます。特に添えられている魔法陣のようなものを見ると力が奪われていくようでした。『コード』という組織の脅威が、こんなに身近に存在したのです。そして、ふたりは、この組織について、話し合いました。

 

 『コード』からの手紙の文面にある、「未来が決められている」という事態はどういうことを指しているのか、ふたりは考えました。

 コッコが言いました。「未来というのは、わからないから未来というのだろ。矛盾しているじゃないか」と。

 ふたりは頭で考えようものの、ちっとも結論に至らないので、「ああ」と溜息を着いて、ヨナの置かれている状況を想像してみました。

 

 そんなふうに、未来を恣意的に固定する仕掛けがあるとするのなら、その標的にされた人は、誰しもヨナのように、病に倒れてしまうでしょう。それが、どんなに素晴らしい未来であったとしても。

 未来が固定される世界とは、希望の持てない世界です。だってもう全ては決まっていて、自分の願いや望みは届かず、無効とされているのだから。それが永遠に続くのです。

 ただただレールの上を走るだけの、希望の失われた世界。想像しただけで気が重くなります。そこへ『コード』という組織はヨナを導こうとしているのでしょうか。ふたりはヨナを苦しめているのは、絶望なのではないかと話し合いました。

 

 ヨナはもともと自身の願望に関して消極的でした。希望をあまり語らない質でした。これまで一緒に暮らしてきたコウは、そのことをよく知っていました。

 ヨナは、不幸にも幼くして両親を亡くし、肩身の狭い思いをしながら、ひとりで厳しい現実と戦ってきたため、心には多くの傷を負っていました。

 そんなヨナが、普段から、あまり多くを望まないのはある意味自然なことかも知れません。これ以上傷つかないためには、はじめから望まなければいいというわけなのでしょう。

 それに、ヨナは、今では立派な大人でした。彼女は、学校の先生であり、子どもたちの教育に大きな責任を果たしていました。なので、自分の望みは、二の次にしているようなところがあったのです。

 ただでさえ少ないヨナの希望を『コード』という組織は根こそぎにしようとしているのかも知れません。

 太陽はまだ空高くにありましたが、コウは早めに帰って、ヨナの看病をしようとコッコの店を後にすることにしました。コッコは、ヨナへ「じき見舞いにゆくから」とのことづてをコウに託しました。

 

 ところで、やがてコウとコッコにも『コード』の脅威は迫ります。彼らにも、この『コード』からの手紙が届き始めたのです。しかしふたりは、手紙に触れて嫌な気分に襲われることはあっても、寝こむほどではありませんでした。

 

          *

 

 コウはヨナを甲斐甲斐しく看病しました。そうこうしている間にも、手紙は知らぬ間に次々と送リつけられてきます。コウは手紙が届くと、ヨナには知らせず、すぐに始末しました。しかし、それでもヨナは元気をなくしていくのです。

 ヨナはやつれ、まぶたは涙で膨れていました。

 もう何日になるでしょう、コウはヨナを世話しながら考えました。彼には、『コード』という組織に、まともに向かい合うことができるとは思われませんでした。

 コウはとうとう『妖精の書』からのお告げを聴こうと決意しました。

 

 コウは、『妖精の書』のたくさんの見出しの中から、関係がありそうな項目に、ひとつひとつ目を通していきました。すると『コード』という文言が、そのまま見出しの一部になっている章が見つかります。

 見出しには「『コード』からの逃走」とあります。なんと、『コード』のことに 触れられた章があったのです。

 コウはひと通り『妖精の書』に目を通していたとはいえ、こんな見出しがあったとは、今の今まで気づきませんでした。彼はその章を開いてみました。

まず、『コード』についての注釈があります。「『コード』と呼ばれるものは、古来、人が誕生した時以来、同時発生的に生まれた受動的勢力のひとつであり、近寄るべからず、逃げるべし」と記されていました。

 さらにそこには、「卑怯者が行う逃げと、罪なき者の逃げを混同してはならない。後者は英雄的な行動だ。罪なきものが、牢から逃げるのは、当然のことである。牢に入れられたのだからというへんな思い込みで、ここに居なければならないなんて考えることは無い。あなたは自由だ。躊躇せずに逃げるべし」とも記されています。そうだ。『妖精の書』のこの文言を皆に伝えよう。

翌日、コウとコッコは病身のヨナの家に集まりました。そして『妖精の書』のコードのことが書かれている箇所をコウに習って三人で読みながら考えました。皆、もっともだと改めて気づかされました。でも日常生活ではなかなか気づけないことです。再びこの項目を三人で読み返してみると異変が起こります。にわかに辺りの空気が静まったかと思うと、それに続いて、かすかな青い光がその場に満ちて、『妖精の書』に書かれた項目の文言を明滅させました。何らかのことが起きたのは間違いないようでした。三人の心は軽く強くなりました。

 

「これがお告げか!」