コウが八歳の時である。とうとうその時がやって来た。ある土曜日の朝だった。最期の朝だ。
コウは、金曜日の午後に学校の宿舎を出て、おじいさんの本宅で世話になっていた。おばあさんがいろいろ世話をしてくれた。
その日も、おじいさんは、大木の洞に扉をつけた書庫の、備え付けられたベッドに、いつものごとく、眠ったらしい。
おじいさんはこの穴が開いて大きすぎる大木を、細工して作った書庫が自慢だった。
「今まで、だれにも用を果たさなかった、役立たずの、穴の開いた大木を、わしは書庫にした」と胸を張っていた。
翌朝コウは、おじいさんを迎えに書庫に行くと、おじいさんは床に就いたまま、起き上がれなくなっていた。片時も放さなかった『妖精の書』が枕元に置かれていた。
おじいさんは声を発することもできず、残された力を振り絞って書庫の倉庫を指さした。今思えば『おじいさんのノート』のありかを伝えたかったのであろう。細い腕を伸ばして、そのまま力尽きてしまった。これがおじいさんの最期だった。今思うと、じんわりと涙が浮かんでくるが、当時は不思議と涙が一粒もこぼれなかった。おじいさんに教わることはまだまだあるはずだったのに…。
おじいさんは自分の死期を悟っていたのかもしれない。先週の土曜日、いつもは古語の習得の訓練が中心だったのだけれど、その日は『妖精の書』の内容に触れた。それも『妖精の書』が我々に訴えかける根源のお話だという。「まだわからなくてもいい。そのうちに思い出してくれれば」とおじいさんは言った。
その話をしよう。
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おじいさんは「生も死も同じもの、生と死との間には目覚めがあるだけ」と言った。コウには何を言っているのかさっぱり分からない。するとおじいさんは「いつか分かる時が来る」と言った。
コウは「もっとわかりやすく行ってくれ」といいました。
するとおじいさんは、「人は死んだら終わりではない。人が死ぬときには、大きな目覚めがある。すると今までの生は夢のようなものだったと思う時が来る。そしてまた転生する時が来るのかもしれない。生も死も同じ現象だ」と言いました。
今の生が夢だとすると自分の意思が無いかのごとく考えなければならない。コウは混乱した。
しかし、何か困難なことが起きても、この考え方によると、困難なことは、いつかは夢のように感じられる時が来るのだから、何とかやり過ごせていける。今が苦しい時なら元気をもらえる考え方だ。
しかし今のコウには困りごともないし。意思が無い世界なんてまっぴらごめんだった。その時コウは理性が勝っていたのだろう。
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さて、最後のおじいさんとの訓練から一週間たち、おじいさんは亡くなった。コウと過ごした現実から覚めて、また別の夢を生きているのだろうか。それは分からない。当事者でなければ感じられないことだ。『妖精の書』を読み込んでいくとそういう哲学に至るのだろうか? 夢という、自分の意思のない世界。そもそも、人には自由意志があるのか? おじいさんは。人には状況に関係のない自由意志はないと普段からしきりに言っていた。
想像すると、何だか怖い話でもある。
葬儀当日、木棺に入れられたおじいさんは穏やかな顔をしていた。自分ができる『妖精の書』の仕事はすべてやりつくしたという顔だ。一時間ほどのお別れ会が開かれて、村長や世話になった村人が集まった。皆別れを惜しんだ。そして荘厳な音楽と共におじいさんは荼毘に付された。そして、『妖精の書』の仕事はすべてコウに引き継がれた。
コウはひとりぼっちになったような気がした。コウはたとえ、今の現実が夢の中の出来事であろうと、できうる限り意思を働かせて、主体的に動こうとした。『妖精の書』だけが車の全輪ではない。片輪には理性があると信じた。おじいさんだって理性を働かせてコウに『妖精の書』の読解の仕事を頼んだはずだ。夢の中の出来事が理性によってコントロールできるのかもしれない。力は弱くとも。
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コウはすぐに、おじいさんの書庫を自分の家にした。大木の洞で中は広く、ベッドはあるし台所もあった。何よりも、おじいさんとの思い出がたくさん詰まっている。学生時代が終わったら本格的に移住しよう。学校があと一年半ある。それまでは、学校の寮からの通いだが、準備を少しずつ整えていこうと思った。
『妖精の書』の読解は独学でやらざるを得ない。『妖精の書』の読解を受け継ぐ家系は、一代空いてしまった。時間の溝は、おじいさんの死によって、容易く埋まらなかった。
『妖精の書』の根源が、何を語っているのか怖かったけど、おじいさんを信じた。おじいさんの、コウへの愛情が勝ったということだろう。おじいさんが『妖精の書』の読解の果てに、何を見たのか知らないけれど、おじいさんが見た同じ地点に、自分も立とうと決心した。
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果たしてコウは、独学で『妖精の書』を自分のものとすることができるのだろうか。おじいさんから受け継いだ畑仕事もこなさなければならない。相当、遠回りになるだろう。二足のわらじだ。
しかし、寄り道も悪くない。おじいさんを越える妖精術師になれるかもしれないのだから…。それに今では『おじいさんのノート』がある。